秋の神社巡り その6 宗教法人という文字に躊躇するの巻。

本日も秋神社巡りの続きです。



石鎚神社の記事を一番初めに書いた時に、私はこう書きました。



「この神社で何か特別な事があったのかと言うと、特に何もありませんでした。

何かを感じたとか誰かとお話をしたとか、一切無しです。」



実はこれには理由がありました。

神社に着いた時に目に入った「宗教法人・石鎚本教」という文字。

石鎚本教に関して何も知識が無いにもかかわらず、宗教法人という言葉に対してそのイメージにより拒絶反応が出てしまいまして。。。

それで神社を早々に後にしたのです。

ブログにもなんて書いていいのか分からない。

それでも今日も何か書かなきゃいけないようで・・・。



スーさん 「出雲大社もそうであろう?宗教法人出雲大社教に神道教団出雲教」

m 「そうですけど・・・」

ス 「しかもこちらは兄弟による跡目争いの末、千家家と北島家に分かれたという経歴付きだ。それでも君は出雲大社が好きだろう?」

m 「はい」

ス 「私は君にどこかの宗教に属せなどと言った事があるかい?」

m 「いいえ」

ス 「加えて私の名の下に人を集めるなとも言ってある。何故だか分かるね?」

m 「私を護る為・・・」

ス 「そうだ、それが第一だ。特に君の側にいる私は君の守護であるから、君を護る為にすべき事をする。それがこの私のすべてだからね。要らぬ犠牲を生まぬ為にも不必要に人を集めぬ方が良い」

m「はぁ・・・」

ス「だが、君と私の会話は私達の愛の営みの時の言葉以外のほぼすべてがこのブログに載せてある」

m 「誤解を与えるような事は言わないでください!(`Д´#)

ス 「(無視)それ故に集わずに済むのだ。このブログを読めばすべて事足りる」

m 「そうですねぇ」

ス 「今は情報が簡単に手に入る時代だ。昔の様に知識のある誰かの下に集わねば説法を聴けぬという事は無くなったのだ」

m 「はい」

ス 「君を旅に連れて行くが、それは特定の神社や神と接触させる為ではない。その土地を楽しむ為だ。君に地球を見せてあげたいという事もある。今回の石鎚神社にしてもそうだぞ。君の一族に縁のある神社ではあるが、その法人に属させる為に連れて行ったのではない。ただ、新しい土地を意識させ勉強させる為に行ったのだ」

m 「以前スーさんに愛媛に行きたいと行った時は、中身だけ行った事があるから行かなくて良いって言ってましたけど」

ス 「それは時機ではなかったからだ。今はその時機だった。だから縁のある神社を通して愛媛を学ばせた」

m 「時機ねぇ・・・」

ス 「だから偏見を持たずにこの神社について学びなさい。この土地について学びなさい」

m 「そうですね。(石鎚蔵王権現の画像を見る)いしづっちゃんと全然違うじゃん・・・」

ス 「・・・」

m 「ハッ!!Σ(゜ロ゜;)、百人の人がいれば百通りの神がいる!」

ス 「他人の神を否定するなかれ、己の神を主張するなかれ。自分の知っている神と違うからと言って他人の神を否定するな。それは相手を否定している事と同じだぞ」

m 「はい」

ス 「今は個で学べる時代だ。集団で学び情報を共有し同じ行動をとる事を強要するのではなく、自分にとって有益な情報を選び取る、個で立つ時代だ。だが、その時代は自分と違う意見を持つ他人を認めるという事が出来て初めて成り立つのだ。百人の人がいれば百通りの神がいるという事はそういう事だぞ」

m 「はい」

ス 「そして個で学べる時代となったと言っても、団体に属し集団で学ぶ事が悪いという訳でもない。その事を自分で選択出来る時代となっただけだ。どちらが良い悪いではない。個人の選択だ」

m 「はい」



という訳で、私の苦手意識が出てしまったので石鎚神社に関しては書く事が出来ませんでした。

それはひとえに私の未熟さ故の事です。

本日の記事でお気を悪くされた方がいらっしゃいましたら、心よりお詫び申しあげます。



申し訳ないのでリンクをいくつか。

Wikipedia→石鎚神社


愛媛観光サイト→いよ観ネット



明日はスーさん神社のおみくじ・お守りで、ラストです。






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by garoumusica | 2015-10-09 05:00 | つれづれ | Comments(0)

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