古代氏族 古代出雲2大勢力編。

本日は昨日の記事の続きで、古代出雲の2大勢力について書いていきます。



古代出雲は北海(きたつうみ・日本海の事)の中核に位置した為、大陸や九州、北陸地方との交流がありました。

そして古代出雲には東西に分かれた2大勢力があったとされています。

こんな感じです。

f0351853_01345030.jpg

私がんばった↑

地図左の黄色が出雲西部勢力、右のピンク色が出雲東部勢力です。



西部の神門郡に位置する神原神社古墳からは景初三(239)年と銘が入った三角縁神獣鏡が出土しています。

これは魏(220~265年に中国の華北を支配した王朝)から邪馬台国の卑弥呼に授けられた100枚の鏡のうちの1枚です。

また、出雲郡に位置する杵築大社(出雲大社)の摂社である命主社(いのちぬしのやしろ)からは、銅戈(どうか)と硬玉製勾玉が出土しています。

銅戈は北部九州産、硬玉製勾玉は新潟県糸魚川産の可能性が高く、この時代に北部九州、北陸と交流があったことを物語っています。

他にも出雲郡に属していながら何故か出雲東部勢力の墳墓とされている西谷墳墓群(にしだにふんぼぐん)の3号墓には、地元出雲産・吉備産・北陸産の土器が出土しており、他の地域の首長と積極的に交流していた様子がうかがえます。




さてさて、出雲西部を支配していた豪族が「出雲古禰(いずものふるね)」

出雲東部を支配していた豪族が淤宇宿禰(おうのすくね)」です。

昨日の図をもう一度。

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中央下の部分の記述がこの二人に関するものです。

両方とも出雲国造家の祖となっていますが、これはどうやらもともと同族だったとみられているからのようです。

そしてこれらの勢力がまたうまく付き合っていたようです。

立地環境の違いがその性格に大きな違いをもたらしたそうで、日本海に面する出雲西部勢力は古くから大陸や九州、北陸地方との交流が盛んで常に意識が外に向いています。

西部にある杵築大社のおーくにさんも葦原中国の国造りにみられるように、積極的な面を持っています。

そして東部は内陸に位置していた為か、西部ほどの積極性を持って外部との交流はみられなかったようです。

西部とは違い土地が肥沃だったそうですので、自分達の土地である程度内需を賄えたからとかですかね?

そのせいか東部に位置する熊野大社のスーさんは、出雲国風土記では農耕の神として描かれており、穏やかな面が前面に押し出されています。

西部と東部それぞれの性質が、それぞれの地に位置する大社の神の性質と重なる所が面白いですよね。

この2大勢力の性質の違いからか、西部と東部はなかなかうまく付き合っていたようです。



明日も続きです。

本日の参考文献はこちら。


上の説明だけじゃ足りないよ~って方は、これらを読まれたら面白いと思いますよ!

最近古代出雲が分かるようになってきたので、出雲国風土記を読むのが楽しいです(`・ω・´)←スーさんの思うツボ( ̄ー ̄)





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by garoumusica | 2015-10-14 05:00 | 古代氏族 | Comments(0)

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