古代氏族 古代出雲2大勢力編 その2 出雲古禰。

本日も昨日の記事の続きです。




いきなりですが、これは古代日本の豪族の勢力地図です。

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古代って言っても2~3世紀頃なんですけどね。

古代って言うと、古代エジプト文明とか古代ギリシャ文明なんかを思い出すのですが、これらは紀元前3000年とかですからね、日本のこの程度の年代を古代などと言ってはいけない気がするのです。

紛らわしい。。。

それは良いとしまして、古代日本にはこんな感じ↑の豪族達が地方を治めていました。



で、出雲に話を戻します。

また昨日の図です。

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出雲西部を支配していた出雲古禰(いずものふるね)さん。

彼は日本書紀の崇神六十年条に出てきます。

内容はこんな感じです。



『出雲には高天原から伝えられた神宝がありました。

これを崇神天皇が見てみたいから献上して☆と要求をしました。

ですが古禰は筑紫に出掛けていて不在だった為、彼の弟達が勝手に宝を差し出してしまいます。

後日出雲に戻った古禰はどうして自分の帰りを待たなかったのだと大いに怒りまして、弟の飯入根(いいいりね)を騙し討ちにしてしまいます。

古禰の弟の甘美韓日狭(うましからひさ)とその子・鸕濡渟(うかずくぬ)は朝廷に参り詳しく報告し、朝廷は吉備津彦(きびつひこのみこと)と武渟河別(たけぬなかわわけ)を遣わして出雲古禰を殺させました』


古禰死す・・・!


なんと!弟の告げ口であっさりと殺されてしまいました。

元はと言えば無茶言った朝廷と勝手な事した弟のせいなのにねぇ・・・。

吉備津彦と武渟河別は四道将軍(よつのみちのいくさのきみ←なんだかカッコいい響きです)と呼ばれ、四道将軍とは日本書紀に登場する皇族(王族)の四大将軍の事です。

四道将軍は大彦(おおびこ)、武渟河別、吉備津彦、丹波道主(たんばみちぬし)の4人を指します。

なんでも日本書紀では、崇神天皇10年(紀元前88年頃)にそれぞれ、北陸、東海、西道、丹波に朝廷に服従させる為に派遣されたらしいですよ。



で、この中の吉備津彦さんを吉備の象徴として、武渟河別さんを大和の象徴として捉える考え方があるそうです。

もう一度勢力図。

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出雲のすぐ近くの吉備とちょっと離れた大和。

この勢力に服従させられたという史実をこの様な形で表したのではないか、という事です。

て言うか、古禰さん以外の兄弟は朝廷側の要求にあっさりと応じている上、飯入根が殺されたよって朝廷に告げ口しているところをみると、古禰さん以外の兄弟は既に朝廷側についている感じがしますよねぇ・・・。



ところで東部勢力の淤宇宿禰(おうのすくね)さん、西部の古禰さんが粛清された時どうしていたのかと言うと、何もしていません。

日本書紀上でなくリアルな世界でも、出雲西部が吉備と大和に攻撃された時に西部側に加担したとかそういう痕跡が無いそうです。

なので東部側には朝廷側からあらかじめ話をつけてあったのではないか、という考察があるのだそうです。

恐ろしいわ~、古代の豪族・・・。



このシリーズを書くきっかけとなった漫画『八雲立つ』。

その時のブログはこちら→『八雲立つ』に学ぶ その1。

その中でスサノオさんが『次こそ勝ってやる。殺し尽くし滅ぼし尽くしてやるぞ』と王朝を呪っていますが、実際の歴史の中でそれを言うとしたらこの古禰さんかもしれないですねぇ・・・。



とりあえず今日はここまでで、続きはお絵かき曜日が終わった後の来週の火曜日にする事にします。

明日からはいつも通りのおっさんsとの日常です。





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by garoumusica | 2015-10-15 05:00 | 古代氏族 | Comments(0)

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