古代氏族 出雲国造家 熊野大社編。

出雲国造家由来の神社の続きで、本日は熊野大社です。



出雲国一之宮熊野大社は松江市八雲町熊野にあります。

祭神は伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなこ かぶろぎくまのおおかみ くしみけぬのみこと)で、ひと言で言えばスーさんの事です。

そしてそのスーさんがこの地に火を伝えたといういわれから、火の発祥の神社として知られ、「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれています。

創建されたのは神代と言われ、『日本書紀』に「出雲国造をして厳神の宮を作らしむ」との記載があります。

そしてこの熊野大社を代々奉斎してきたのが、出雲国造家です。



千家さんの書かれた本には、スーさんの別名、櫛御気野命(くしみけぬのみこと)の中にある「みけ」という言葉、これは「みけ=御饌(食事の事)」という意味で、熊野大社のスーさんは「穀物の神」なのだとあります。

そして熊野という名にある「くま」は「かみ」という言葉が転じたものだそうで、熊野大社のある熊野という地名にも神が宿っているそうです。

出雲国造の祖神・天穂日命、この神も名前の「ほひ」が「穂霊」の意味を持つとして、稲穂の神として知られています。

よって、出雲国造が穀霊を身に帯びる天穂日命より出で、穀神として高い権威を持つ熊野の神を奉斎してきたのも自然な事なのだそうです。

そうそう昨日記事にした神魂神社は、冬になると雪深くなる熊野大社の遥拝所としての役割もあったようです。→古代氏族 出雲国造家 神魂神社編。



が、次のような説もあります。

出雲に熊野大社を持ち込んだのは紀伊の海人ではないか・・・?

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大和の下に紀伊を追加しました。


この説を唱えるのは『出雲大社の暗号』の関裕二さん。

それは何故かといいますと、『延喜式』の中に出雲と紀伊双方に同じ名の神社が存在するが、熊野大社を除いたすべてで紀伊の神社の方が出雲よりも格上であるからとあります。

そして「熊野」の名を持つ式内社は各地にあるが、この広がりは紀伊の海人の活動範囲と重なるから、としています。

紀伊や熊野の海人達は、4世紀末から6世紀にかけて積極的に大陸と交流していたのだそうです。

よって当然出雲との交流もあっただろうし出雲への移住もあり、それにより熊野の神が伝わったのではないかという事だそうです。

それにしても古墳時代って思っていたよりもずっと発展していたのだろうな~って、最近つくづく思います。

服装とかイメージだと生成りの粗末な服って感じでしたけど、もっと大陸寄りのおしゃれ?な服装だったのかもって思っちゃいます。



熊野大社の位置はこちらです。

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熊野大社が現在ある場所へは明治時代に移されました。

それ以前は意宇川に添って500メートル上流にあり、そこを「上の宮」、今の場所を「下の宮」と呼んでいたのだそうです。

『雲陽誌』という島根県が20世紀初頭に編纂した本には、「速玉・事解男・伊弉冉三神を上の社、天照大神・素盞嗚尊・五男三女を下の社」とあり、上の宮を熊野三社、下の宮を伊勢宮と呼んでいたそうです。

そして中世以前、上の宮は天狗山(昔は熊野山と呼ばれていた)の頂上に祀られていたそうです。

ここで地図。



赤が現在の熊野大社、黄色が旧上の宮、水色が初代熊野大社(?)です。

あぁ~、こうして記事にしていると出雲へ行きたくなりましたー・・・。

前回はおっさんの指示で弾丸だったから、今度はゆっくり行きたいです。

そろそろ神在祭ですし・・・、ねぇ?→チラッ

速攻で却下されました(´・ω・`)

しじみ飯・・・。





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by garoumusica | 2015-10-22 05:00 | 古代氏族 | Comments(0)

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