古代道路 いざ出雲へ編。

本日は古代出雲の各地との交流ルートです。



弥生時代から木をくり貫いたカヌーの様な船を使って、各地と交流していた出雲。

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いざ出雲へというタイトルを付けておきながら、出雲から出て行くルートをいきなり持ってくるのもどうかなとは思いましたが・・・。



大和へは一旦徒歩で吉備を通って瀬戸内海へ行き、そこからまた舟を使っていたようです。

筑紫から大陸へと書いていますが、一旦対馬へ行きそこから今の韓国へ行っていたのだそうですよ。

この図には書いていませんが、筑紫から九州内陸へ、というルートもあったとの事です。

チラッと読んだだけですが、古代の出雲の黒曜石がロシアで発見されているようです。

直接ロシアと交流があったとはなかなか想像出来ませんが、大陸に渡った出雲の黒曜石がロシアへ渡って行ったのかもしれないですねぇ・・・。

ほんと、出雲って交流が盛んですね。

この頃が古代出雲の第一次絶頂期だとか。

スーさんとかの時代ですかね?

腕を組みながら諸外国の方々と外国語でバリバリ交渉をしているスーさんの姿、フツーに想像出来ますよねw

で、第二次が意宇宿禰さんが出雲国造になった頃みたいです。



律令時代に七道が整備され、

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大和から出雲へのルートはこんな感じになりました。

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北海に出るおなじみのルートと、山陰道を通るルート、山陽道を通り出雲街道を通るルートです。

そして、出雲国内の道も整備されます。

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これは出雲国風土記に記載されている道を図にしたものです。

各郡に郡家というものが設置され、郡家を結ぶ形で道が作られています。

ピンク色の道は山陰道です。

オレンジ色の点は駅家です。



古代出雲の勢力図の郡の境界線と、

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上の道の図を併せるとこんな感じです。

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意宇郡に出雲国の国府が置かれている以外はそのままって感じですね。

各国の国造は各国の主要豪族が任命されたそうなので、意宇郡に国府が置かれたところを見ると古代出雲の権力が出雲東部に集中していたという事でしょうねぇ。。。



なんだかこうやって古代出雲の交流の様子を見ていると、須佐で見たスーさんのイメージを思い出します。

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musica 「海を見ているとその向こうへ漕ぎ出したくなります?」

スーさん 「ハハハ、そうだね」

m 「海の向こうを征服したいからとかですか?」

ス 「そんな理由じゃないさ」

m 「何ですか?」

ス 「海の向こうに何があるか見てみたい、ただそれだけさ」

m 「男子な発言ですね」

ス 「男とはそういうものさ。海があれば渡りたくなる、山があれば越えてみたくなる。そういうものなのだ」

m 「そういうものですか。帰りを待つ稲ちゃんも大変ですね」

ス 「彼女はそういう人間ではないさ。自分から私の横へ来る人だよ」

m 「あー、そうでしたね!」→おっさんsの姿。

ス 「ハハハ」

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それでは今日も良い1日を〜。

ス 「今日という日を悔いのないように生きなさい」


m 「なんですか?いきなり」

ス 「ん?君の行う祝福の手伝いさ」





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by garoumusica | 2015-10-29 05:00 | 古代氏族 | Comments(0)

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