伊(略)そして秦氏、更に荷田氏←NEW!その2。

なんでこんな事になったのか分からないですが、本日もお稲荷さんの続きです。



とりあえず、昨日のラストに出て来た命婦神(みょうぶしん)の由来から調べていこうと思います。

命婦神は空海さんの弟子の書いた書物『稲荷流記』に出てきます。

その内容はと言いますと、



平安初期の弘仁年間(810~24)に平安京の北郊・船岡山の麓に棲む年老いた白狐の夫婦がおりました。

この狐夫婦はとても善良な狐で、いつも世の為人の為に尽くしたいと願っていました。

ですが獣の身であり、その願いを果たす事は出来ないでいました。

そんなある日の事、狐の老夫婦は五匹の子狐を伴って稲荷山に参拝します。

そしてこうお祈りをしました。

「本日より御社の眷属となり、神のお力を以てこの願いを果たしてください」

すると社が大きな音を立て、稲荷神の御神託が下りました。

「あなた達の願いを聞き入れました。只今よりこの社の仕者(仕える者。特に、神仏に仕える人や鳥獣)となり、参詣者や同じ信念を持つの仲間たちを助け、慈愛の心を以て接しなさい」

それからというもの狐の老夫婦は稲荷山に移り住み、信者の前に直接、あるいは夢の中などに間接的に姿を現して人々を導くようになり、人々の間で「告狐(つげぎつね)」と呼ばれるようになりましたとさ。



ちなみに夫狐は小薄(おすすき)、妻狐は阿古町(あこまち)という名前を稲荷神から授けられたのだとか。

はじめ、この夫婦は稲荷社の上社(一ノ峯)に夫狐、下社(三ノ峯)妻狐が仕えるようになっていたのだそうです。

が、その後の明応年間(1492~1501)に書かれた『遷宮記』によりますと、稲荷社の上社には夫狐、中社には黒烏(くろを)、下社には妻狐がを祀った末社があったとあるそうです。

更に妻狐の下社が移動となり現在の白狐社となったそうです。

こちらの文化遺産オンラインでご覧いただけます→伏見稲荷大社 白狐社

ちなみにこのお社の祭神は妻狐の阿古町さん、別名「命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)」のみになります。

上社と中社は現存しません・・・。

お社が無くなっちゃったのかー・・・。

黒いからすと書いてくろをさん。。。

一体どなたなのか気になりますね。



ところでこの老狐夫婦が元居た船岡山には建勲(けんくん)神社があり、その中にある稲荷命婦元宮は伏見稲荷大社命婦社の親神「船岡山の霊狐」を祀っているそうです。→建勲神社のホームページ

親神・・・。

船岡山の霊狐=老狐夫婦ですよねぇ?

親神って何でしょうね・・・。

元祖!とか発祥の地!的なアレですかね?

建勲神社は明治時代に作られた神社なのだそうですが、末社の義照稲荷社や稲荷命婦元宮は秦氏の守護神として古くからこの地にあったとか。

これは深草の秦氏ではなくて太秦に拠点を置いた秦氏の神社なのでしょうか。

色々ありますねぇ。。。



はい、という訳で本日も終わりませんでした。

絵を描きたいのにお稲荷さんが終わらない・・・。

f0351853_02585277.jpg


きつねっ子、渾身のアピール。


(゚д゚)ノ(´x`)ノ(゚_っ゚)ノ(・v・)ノ(゚∀゚)ノ (゚д゚)ノ


それでは本日も良い一日を!

スーさん 「急がば回れというであろう?週末は特に肝に銘じる様に」




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Commented by とーり。 at 2015-12-04 12:20 x
お勉強が続きますね。これも決められた流れだったりして(°_°)稲荷神社に対する意識、物凄く変わりました!参拝してもどこか壁を感じていたんですよね、、きつねっこちゃん、こんなに可愛いのに〜!!もしかしたら今描かれている絵に必要なお勉強なんでしょうかねぇ(´・_・`)
Commented by garoumusica at 2015-12-04 23:10
> とーり。さん コメントありがとうございます。

勉強ですねぇ。。。
今描いている絵は熊野のスーさんですが、平安時代に熊野詣でが流行った時に熊野の行き帰りは必ず伏見稲荷へ参拝するというのがあったそうですよ。
そういう意味では繋がりがなくもないですかねぇ(´・_・`)
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by garoumusica | 2015-12-04 05:00 | 神社巡り | Comments(2)

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