古代(略)その7 出雲国造神賀詞と更に出雲国風土記。

はい、という訳で本日は出雲国造神賀詞の続きです。




出雲国造神賀詞に出てくると思われる神社を描いたものがこちらでした。

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で、私は勝手に神武天皇の宮を四方向から守護しているんだな、と思ったのです。

なんでまた国を譲らさせれた上に守護まで買って出たのか・・・。

磐余彦さんが出雲系の人と結婚したからでしょうか。

と思っていたのですが、古代の日本では前勢力(王権?)を倒して新しい国を造った時には、その殺害した前勢力の王を祀って新しい国を守護させる、という習慣があったのだそうです。

それは祟りを恐れてなのか、残っている前勢力の怒りを鎮める為なのかは分かりませんが。

残念ながら、この話のソースを忘れてしまったんです・・・。

自分としてもソースが分からなくてスッキリしないのですが、その風習が本当にあったのだとしたら、大国主一族は磐余彦勢に惨殺されたって事なんですかね?

だから白梼原宮を守護する様に祀られた。

という事を考えると、出雲国譲り神話はますます創作されたもの臭くなって来ました・・・。



スーさんがなんで出雲国造神賀詞を読めと言ったのか、その意図を考えてみると、やはり数日かけて見てきた神社の並びと、それらが守るもの、そして更にそれらの事実が示すものを知らせたかったのだろうなと。

私としてはスーさんっ子なんで、彼らの神話を否定する様な事をするのは嫌なんですけど・・・(´・ω・`)

つっくんとアマテラねぇちゃんのセリフを思い出します。

「なかなか酷な事をなさいますなぁ・・・」

「これが為政者というもの」



さてさて前回、出雲国造神賀詞の記事を書いた時に『出雲国造家にはちょっと異なる日本神話がありそう、見てみたいですねぇ』と書いたのです。

それに関して記事を書いた後にスーさんから助言を受けました。

その為の出雲国風土記だろう?と。

なるほど!

て言うか、記事にしてアップする前に教えて!(´Д` )



古事記の完成が712年。

全国に風土記の作成を指示したのが713年。

出雲国造が出雲神話に関してリベンジするならココですね!

そして出雲国風土記が完成したのは、なんと!733年!

20年の歳月がかかっています・・・!

気合が入ってますね。

きっと日本書紀(720年)の内容もチェックして書いたのでしょうねぇ・・・。

そう考えると、結構つまんない風土記が楽しく読める気がしてくるから不思議です。

風土について纏めただけの本ですから、結構つまんないんですよね・・・。

私が持っている風土記は島根県古代文化センターが編集されたもので、コラムとか解説などは読んでいてすっごく面白いのですけど、風土記そのものは結構つまんないです。→解説 出雲国風土記

ちなみに現存するよその地域の風土記で成立が分かるものは、常陸国風土記(ひたちのくにふどき)が721年、播磨国風土記(はりまのくにふどき)が715年、あるいは717年となっています。



さてさて、この風土記を見直していかなければいけないのかー、と溜息をついていましたところ、スーさんにこの本を読み直しなさいと言われた本があります。


これ、2年前に出雲旅行に行く前に読もうとしたのですが、当時は歴史に疎かったので読めなかった本なのです。

寝ちゃって・・・。

で、早速パラパラとめくってみましたら、なんと!坂本さんが出雲国風土記に出てくる神話について、分かりやすく纏めてらっしゃる・・・!

ラッキー!と思って、読もうとしているところです←読んでない。


明日は読んでると思います。

多分。


☆―(*´・∀・`)―☆―(´・∀・`*)―☆―(*´・∀・`)―☆―(´・∀・`*)―☆


それでは本日も良い一日を~。

スーさん 「本が読めない時、れは今読む時ではないという事だ」

musica 「知識がある程度ないと読めないものもありますもんね」

ス 「君の場合は時機ではなかったのだ。そして今がその時機だ」



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by garoumusica | 2016-03-01 05:05 | 古代氏族 | Comments(0)

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