古代(略)その9 大穴持命、神須佐之袁命、久志伊奈太美等与麻奴良比売命。

本日も大国主命の検証です。

検証と言っても、坂本さんの本を読むだけなんですけど・・・。→出雲王朝の隠された秘密―浮かび上がる古代の神々と国のかたち




坂本さんは『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』以外に、『万葉集』に関しても調べられています。

Wikipediaによりますと、『万葉集』は7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた、日本に現存する最古の和歌集です。

天皇、貴族から下級官人、防人など、様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年以降とみられているそうです。

で、坂本さんはこの中に大国主やオホナムチを歌った歌があれば、それを歌った人の出身地や歌を詠んだ場所から、その当時大国主やオホナムチがどの地域の人々に知られていたか推測出来、そこから大国主やオホナムチの勢力の及んだ地域が分かる可能性がある、と推測されました。

は〜、賢いですねぇ〜〜〜。

発想が違います(`・ω・´)



で、万葉集には大国主が出てくる歌が6首あるそうなのです。

しかも!大国主名義ではなく、

オホナムチが出てくる歌が4首、

八千桙神(やちほこのかみ)が出てくる歌が2首なのだそうです。

『古事記』が出来たのが712年、『日本書紀』が出来たのが720年。

その前後に詠まれた歌が纏められた『万葉集』に大国主の名が一つも出てこないという事は、やはり『古事記』に編纂者が作り出した言葉か、あまり一般的ではない大国主という名をあえて使ったという事になる、との事です。

そして『古事記』『日本書紀』が完成した後も、その後しばらくは大国主という名は一般には広まらなかったようだ、と坂本さんは推測されています。

それに対し、『万葉集』ではオホナムチと八千桙神という名は『古事記』『日本書紀』の影響のない段階から使われていたのだとか。

その歌の関係する土地は、石見、筑前、紀伊

一方『古事記』にオホナムチ名義で出てきた場所は、出雲、伯耆、因幡、越

更に『播磨国風土記』にも、播磨と伊予の地名の起源になっているとの記載があるそうです。

纏めると、オホナムチの分布は、


出雲、石見、伯耆、因幡、越、播磨、伊予、紀伊、筑前


となります。

該当する国名のところをピンク色にしてみました。

f0351853_04005322.jpg

オホナムチさんの勢力圏?


ついでに出雲国風土記に載っている場所も書いてみました。

f0351853_04004282.jpg

これを見ると大穴持命の勢力が出雲西部に集中しているのが分かります。

懐かしの出雲古禰さん圏ですね。

出雲古禰さんと言えば、アレですわ。

スサノオさんの剣を天皇に取られた上に、殺されちゃった人ですよ!→古代氏族 古代出雲2大勢力編 その2 出雲古禰。

あらやだ偶ぜ〜ん☆

・・・今日はまぁめんどいんで、これ以上は突っ込みませんが・・・。



はい、ここでちょっと楽しい事をしましょう!

上の『出雲国風土記』の図に、ついでにスサノオさんとクシナダさんの登場場所も記入しましたので、それを見ていきましょう〜。



一番右側のオレンジ丸、意宇郡のスサノオさんから。

『出雲国風土記』にはこうあります。

安来郷(やすきごう)

神須佐之袁命(かんすさのおのみこと)が、国土の果てまで巡りなさった。
その時、ここに来なさっておっしゃられた事には、

「私の心は安らかになった」[原文…安平(やす)けくなりましぬ]

だから安来という。



真ん中の大原郡のスサノオさん。

佐世郷(させごう)

古老が伝えて言うには、須佐能袁命が佐世の木の葉を髪飾りにして踊りなさった時に、刺していた佐世の木の葉が地面に落ちた。

だから佐世という。



左のオレンジ丸、飯石郡のスサノオさん。

須佐郷(すさごう)

神須佐能袁命がおっしゃられた事には、

「この国は小さい国だが、国として良いところである。だから私の名前は、木や石にはつけまい」

とおっしゃられて、ご自分の御霊をここに鎮め置かれた。

そして大須佐田・小須佐田をお定になった。

だから須佐という。



ちなみに大須佐田・小須佐田というのは、須佐にあった大小の田んぼの事だそうです。

で、この須佐郷の解説によりますと、この話はスサノオさんの小規模な国造りの神話だという事です。

上記のように各地を巡行した末に、飯石郡の須佐郷に鎮座したのだとか。



で、ラストは、ピンク色の久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめのみこと)です。

熊谷郷

古老が伝えて言うには、久志伊奈太美等与麻奴良比売命が、妊娠して出産しようとなさる時に、産む場所をお求めになった。

その時にここに来ておっしゃられた事には、

「とても奥深い[原文…久々麻々志枳(くまくましき)]谷である」

とおっしゃられた。

だから熊谷という。



ここに出てくるなっがいクシナダさんのお名前、久志伊奈太美等与麻奴良比売命。

これはですね、

久志伊奈太美が神秘な御霊を持って稲田を見守る、

等与は豊かな、

麻奴良は真瓊(まぬ)で玉、「ら」は接尾語とすると、玉のような、になり、

トータルすると、

神秘な御霊を持って稲田を見守る、豊かな玉のような姫君

となるそうですw

も〜、スーさんどうする???

いいお嫁さん貰ったねw



はい、5時になったので纏めますと、『出雲国風土記』におけるスサノオ信仰は、須佐郷を拠点とした出雲地方の山間部に広がっていた可能性があるのだそうです。

『出雲国風土記』のスサノオさんは、素朴でおおらかな首長って感じですよね。

八岐大蛇退治のような華やかな出来事はありませんが、出雲国風土記のスサノオさんも良いですね///


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それでは本日も良い一日を~。

スーさん 「今日はひな祭り。桃の季節には少々早いが、今日は意識して花に触れなさい」

musica 「なんで?」

ス 「心が安らかになろう?」

m 「あ、出雲国風土記のセリフに合わせましたねw」


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Commented by たき at 2016-03-03 23:55 x
私は出雲地方出身なので、知ってる地名がでてくるとちょっと楽しい(*^_^*)

で、ご存知かもしれませんが、昔の出雲地方は今と地形がちょっと違います。(斐伊川の流れる方向とか水域とか)

参考になりそうな図が、国土交通省中国地方整備局 出雲河川事務所の「斐伊川資料館」の「流域の特徴」の「斐伊川 河道の変遷」にありました。

リンクがうまく貼れなかったので、良かったら検索してみてください^ ^
Commented by garoumusica at 2016-03-04 06:11
> たきさん コメントありがとうございます。

おぉ、情報ありがとうございます。このサイトは初めて見ました!
勉強になります(`・ω・´) 。

ちなみに私の出雲の地図は、私の持っている出雲国風土記に記載されている地図を参考にして書きましたよ〜。
古代文化センターが使用されている地形がこれだったので、この地形でも問題ないのだろうと判断しました( ´ ▽ ` )ノ

地元の方にお伺いしたいのですが、出雲では大国主さんをなんと呼びますか?
大国主さんですか?オオナムチさんですか?変化球で出雲大神?
ちょっと気になったのでお尋ねしてみました。
Commented by たき at 2016-03-06 10:48 x
古代文化センターが使っている地形だったんですね。
musicaさん作の出雲風土記登場場所では、宍道湖の西側が空白になっているので、当時は水域だったんだろうなーと思った次第です^ ^

あと、地元では大国主さんをなんて呼ぶか。
・・・なんて呼ぶんでしょう??

一応、母にも電話で訊いてみましたが、神様込みで「大社(たいしゃ)さん」でした。
地元といっても少し離れているので、お膝元だと違うかもしれないですね〜。
Commented by garoumusica at 2016-03-09 05:49
> たきさん コメントありがとうございます。

おぉ、わざわざお母様に聞いてくださったのですかΣ(・□・;)
なんかすみません。。。

大社さんですか。
なんか愛されてますって感じが伝わってきますね!ありがとうございました!

あぁ、一週間くらい掛けてのんびりと島根を旅したいです。。。
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by garoumusica | 2016-03-03 05:20 | 古代氏族 | Comments(4)

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