古代(略)その11 遠賀川式土器の分布とオホナムジさん。

本日も続きをしていこうと思います。




という訳で、昨日の図をもう少し詳しく見ていきます。

遠賀川(おんがかわ)式土器の分布と四隅突出型墳丘墓とオホナムチさんの勢力圏の図。

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若狭から近江、尾張を通る緑色の線は、土器の様式の違いです。

つまりアレです、土器が伝わるのにちょっと時間がかかってしまい、形が変わっちゃったって事です。

縄文時代晩期から弥生時代早期頃、あの線より上の地域、東日本ではサケ・マス・クルミ・落葉性ドングリ・クリ・トチの実・常緑性ドングリといったものが取れ、食料は大変豊かだったようです。

ですがあの線を境に西日本では、サケ・マス・クリといったものが気候的に取れなくなっていきます。

それは西に行けば行くほど取れなくなり、九州では常緑性ドングリしか取れなかったそうです。

なので食料の確保が難しい地域で、稲作が一気に広まったようなのです。

そして稲作と共に遠賀川式土器も広がりました。

一気にって言っても2〜3世代跨いだ様ですけど・・・。



で、この稲作を伝えたのが大陸から渡って来た人々。

大陸から朝鮮を経由して来た渡来系の稲作民が、遠賀川式土器を日本に持ち込んだと言われています。

彼らは北九州から上陸し、西日本全体に短期間のうちに広まり定住します。

そして坂本さんが言われるのは、彼らは文化的にも宗教的にも近い存在で、同じ神を祀り、同じ神話を持っていたとの事。

その神がオホナムチなのだそうです。

彼らが縄文人と共に定住するにつれて、縄文人が元々信仰していた神と習合し、各地にオホナムチを祀るところも出てきた。

そして更に大陸から渡来した人々が新しい神をもたらした結果、土地によって様々な神を祀る事となった、と推測されています。



縄文人が元々信仰していた神っていうのは、以前もどこかで記事にした気がしますが、アレです、山とか島とか。

大神神社の御神体の三輪山が一部を除いて禁足地となっていますが、そういう所のようです。

去年が私が旅した青島神社も、昔は神職と藩のお偉いさん以外は立ち入り禁止でした。


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青島神社の古代の祭事場付近です。

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縄文時代は自然そのものに神性を見出していたのですねぇ・・・。



という感じで、出雲とヤマトが同じ神を信仰していた為、ヤマトで起きた国譲りを出雲に置き換えた、と言うのが坂本さんの説です。

では何故置き換える必要があったのかと言うと、神武東征以前にあった大国の存在を消し去りたかった為、なのだそうです。

その大国と言うのは、あの国です。

中国の正史である『魏志倭人伝』に掲載されていながらも、『古事記』『日本書紀』でまったく触れられていないあの国。

邪馬台国。

磐余彦さんが長髄彦さんを倒して手に入れた国が、邪馬台国である、という事なのだそうです。

邪馬台国・・・。

まぁ読みもヤマトっぽいですしねw


今日は本館もあるので、短いですがこれでおしまいです。


☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡


それでは良い週末を〜。

スーさん 「花の命は短い。楽しめる時に楽しんでおきなさい」

musica 「私は毎年その時期に絵の締め切りが・・・」

ス 「心の目で見よ」

m 「なんか言い出した・・・」

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by garoumusica | 2016-03-05 05:03 | 古代氏族 | Comments(0)

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