古代(略) その18 野見宿禰と埴輪と出雲国風土記の巻。

はい、本日も野見宿禰(のみのすくね)さんです。




昨日は野見宿禰さんはどこの出雲から来たのか!?というところで終わりました。

島根県の出雲か?奈良県桜井市の出雲か?

ここでアレの出番です。

そうです!(`・ω・´)+

『出雲国風土記』!

垂仁天皇の時代は733年に出来た『出雲国風土記』より前なので、出雲出身の野見宿禰さんの偉業も載っているはず!

早速見てみると、ありました!



飯石(いいし)郡の山野の解説の項。

「野見、木見、石次(いわすき)の三野」



以上!これだけ!!!

・・・。

えー・・・(´・ω・`)。


ちなみ飯石郡はここ↓です。

f0351853_01345030.jpg

須佐之男命が魂を鎮め置き、自分の名前を付けた須佐郷がある所です。

野見野は飯石郡の一番下で、この図では切れています(`・ω・´)+




本当に野見宿禰さんが出雲出身なら、『出雲国風土記』にもうちょっと記載があっても良いのではないかと思うのです。

野見宿禰さんは天穂日命の14世の子孫で、第12代の出雲国造である鵜濡渟(うかつくぬ)の孫と言われていますから。

しかも、垂仁天皇に皇后である日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の葬儀の時に、それまで行われていた殉死(臣下を殺して古墳に埋める)の風習に代わる埴輪を提案した人物です。

この貢献により野見宿禰さんは土師臣(はじのおみ)の姓を与えられ、代々天皇の葬儀を司る事となりました。

お父さんである第10代崇神天皇がお亡くなりになったのが、258年だとか318年だとか言われていますので、この流れで言うと埴輪は3世紀後半から4世紀に創られ始めたという事になります。

考古学的にも埴輪は3世紀後半から6世紀後半にかけて造られたとの事ですので、合っていると思う事は思いますが、まぁ自信はありません(`・ω・´)+



ちなみに土師氏からは菅原氏・秋篠氏・大枝(大江)氏が派生します。

菅原氏と言えば菅原道真!

道真さんは埴輪関係の人だったのですね。。。

なんだか意外でした。



さてさて、こんな画期的な提案をした人物に関する記述が『出雲国風土記』に載らないはずがない!

載っていないという事は、やはり桜井市の出雲の人なのか。。。

あ!そう言えば野見宿禰さん、垂仁天皇から殺しちゃった當摩蹶速(たぎまのくえはや)さんの土地を貰ったんですよ。

その場所はどこなのか調べてみたいと思います。



与えられた土地のあった當麻邑(たぎまむら)は、現在の奈良県葛城市當麻に位置するのだそうです。→google maps 奈良県葛城市當麻

広域で位置関係を確認してみますと、三輪山の真西に位置しますが大阪寄りですね。。。

野見宿禰さんを調べるきっかけとなった、

「ミムロ山(三輪山)と耳成山を結ぶ地域は磯城・十市と呼ばれる以前は出雲だった」

とは、ちょっと離れていますね・・・。→google maps 奈良県橿原市木原町 耳成山

うーん、与えられた當麻邑に自分の出身地の出雲の名をつけたって言うのなら分かりますが、離れてるかなぁ、許容範囲かなぁ。。。



で、もう一度『日本書紀』を見てみたところ、

野見宿禰さんに當摩蹶速さんの土地を与えた事が、「腰折田(こしおれだ)」という場所がある所以である

と書いてありました。

この腰折田はどこにあるのでしょうね・・・。

調べてみましょう!

どうやら奈良県香芝市良福寺付近に、腰折田伝承地の看板があるようです。→奈良県香芝市良福寺

ここから耳鳴山まで車で約30分→google maps 良福寺から耳成山まで 

うーん、許容範囲?


明日も続きます。


*:.。..。.:*ヽ(*゚∀゚)ノ*:.。..。.:*ヘ(゚∀゚*)ノ*:.。..。.:*


それでは本日も良い一日を~。

musica 「最近、陽のある時は本を読んでいる事が多いのですが、昨日は何故か早めに記事を書かなくちゃ!って気になったので、陽のあるうちにこの記事を書いたのです」

スーさん 「うむ」

m 「それで何だったのかな~って思っていたら、夜になって急にアクセサリーの創作意欲が湧いてきまして。その作業に没頭しました」

ス 「それは自分自身のこれからを予期しての行動だ」

m 「まさかの予知?」

ス 「その呼び名が嫌ならば、情報をキャッチした、でも良い」

m 「あー、そっちの方が響き的に落ち着くかも」


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Commented by 沙冶 at 2016-04-05 09:36 x
ネタが被ってしまったら…と思って様子を見ていたのですが
どうも、そちらの方には話が行かないかな?…と感じたので書いてみます。
以前住んでいた大阪の北摂に「野見神社」という所があったので
野見宿禰さんは、私にとっては馴染み深い方です。
近隣には「片埜神社(野見宿禰が拝領地に建立)」や
「溝咋神社(大物主の妻とされる三島溝咋耳の姫を祀る)」などもあり。
三輪の神様ってば、奈良からこんな所まで通ったんでしょうかね?
割と謎の多いエリアだなーと、以前から思っています。
Commented by garoumusica at 2016-04-06 16:50
> 沙冶さん 情報ありがとうございます。

>三輪の神様ってば、奈良からこんな所まで通ったんでしょうかね?

確かですね、奈良時代の古文書によると「出雲臣」の人達は畿内だと大和・山背・河内に住んでいたそうなので、そういう関係の様に感じます。「片埜神社」も。よく調べていないので分かりませんが。。。

「野見神社」について調べてみたら明治時代にこの名前になったそうですが、その前は何だったのでしょうね?創建当時は牛頭天王がメインだったようなので、お寺っぽい感じだったのかもです。面白いですねぇ。

今のところ土師氏を詳しく調べる様な流れではなさそうなので、物部氏が落ち着いたら調べてみます!(`・ω・´)+
ありがとうございました。
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by garoumusica | 2016-03-24 04:53 | 古代氏族 | Comments(2)

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