古代(略)20 纒向市場と不老不死のお薬の巻。

本日はミムロ山と大物主の関係について纏めていきたいと思います。




と言ってもまぁ、本に全部書いてある事なんですけどね→大和誕生と神々―三輪山のむかしばなし

さてさて、三輪山は古代ではミムロ山と呼ばれており、現在の様に禁足地ではなかったそうなのです。

禁足地などという制度(?)は、土地に対して所有意識を持った弥生人・大陸からの渡来人の制度で、縄文人にはその様な考えが無かったそうです。

それは何故かと言うと、縄文人の食料が木の実だとか魚だとか獣だったから。

季節が移り変わり食料が取れなくなると、その度に別の場所に移動する生活だったのだそうです。

自由ですねぇ・・・。

だから土地を所有するという習慣が無かったのだそうです。



しかし弥生人が渡来し稲作が始まると、その土地に定着する様になります。

安定して食料の確保が出来る様になったからです。

ですが、それでもまだ土地の所有などという考えは生まれなかった様に思われます。

アレです、以前稲荷神社について調べた時に出てきた、

「春に山の神が里に降りてきて田の神となり、秋に収穫が終ると山に帰る」伊奈利と稲荷、狐と空海、そして秦氏 その2。

という考えからも分かる様に、神様でさえ土地を所有していませんでしたもんねぇ・・・。



さてさて、大物主さん。

この方の部族はどうもミムロ山に暮らしていた様なのです。

なんでまた山に!?と思うところですが、この場所で管理運営をしていたそうです。

何を管理していたのかと言うと、宇陀・都祁(つげ)で産出される辰砂(しんしゃ)=水銀。→google maps 宇陀市


これも以前記事にしましたが、奈良の大仏建立で発生した水銀中毒の原因となったのが、辰砂でした。→伊奈利と(略)、更に荷田氏。本日は秦氏と水銀中毒。

で、何を運営していたのかと言うと、纒向市場です。→google maps 纏向遺跡

私はgoogle earthで見ていますけれども、これ面白いですねぇ・・・。

前方後円墳が可愛いです。



ところでこの辰砂・水銀、これを大陸の人達はわざわざこの日本まで購入しに来ていたのだそうです。

辰砂・水銀はもちろん大陸でも採れる訳です。

それなのに何故この島国まで大きな危険の伴う海路でわざわざ買い付けに来ていたのか。

それは不老不死のお薬だと信じられていたから。

そしてその最上級は蓬莱山で採れたもの、と言われていたからなのです。


明日も続きます。

ちょっと短いのはパソコンの不調のせいです・・・。


・。.:*(・ω・)・。.:*(・u・)・。.:*(・v・)・。.:*


それでは本日も良い一日を~。

スーさん 「『一月(いちげつ)往(い)ぬる 二月(にげつ)逃げる 三月(さんげつ)去る』という言葉を、先月の同じ日に言ったが、一日一日を大切に生きる事が出来たかね?」

musica 「あっという間に思えたから、そんなに大切にしていなかったのかな・・・」

ス 「そう思うなら今すぐ変えなさい」



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by garoumusica | 2016-03-26 04:59 | 古代氏族 | Comments(0)

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