天川村の歴史を学ぶ編。 ~大和のまほろばを巡る旅~ 

本日は天川村の歴史について学んでいこうと思います。




とりあえず、天川村の歴史を調べてみます。

wikiによりますと、原始遺跡はほとんど発見されておらず、古代には人は定着していなかったそうです。

まぁ、本当に山奥ですからねぇ・・・。


ですが、深山幽谷の地であった事がかえって修行者達の「行場」を開くきっかけとなり、7世紀に役行者小角さんにより金峰山・大峯山が開山されて以来人々の定住を促し、山岳修験道の根本道場として栄えたのだそうです。

なるほど、あの岩々を駆け巡っていたのでしょうね。

f0351853_02413922.jpg

なんだか意外と歴史が浅い感じです。



それから平安時代には宇多天皇、藤原道長などをはじめ多くの人々が大峯山へ御岳詣をしたのだそうです。

道場としての大峯山は、単独の山を指す名前ではなく吉野山から熊野へ続く長い山脈全体を意味しているのだそうですが、山上ヶ岳の頂上付近には修験道の根本道場である大峯山寺山上蔵王堂があり、藤原道長が自筆の妙法蓮華経、無量義経、観普賢経、阿弥陀経、弥勒上生下成仏経、般若心経など併せて十五巻を銅の筺に納めて埋経したのだとか。


で、これに倣い、貴族の大峯登拝と埋経が盛んになったのだそうです。

なるほど・・・。

と、昨日の看板の内容に繋がったところで昨日の内容の復習。



『御身拂(ミタライ)とも御盥(ミタライ)とも申されている天川村は、南朝・後南朝哀史の数々を秘めた邑で、村内各地に史実・伝承が残されていますが、河合寺・光遍寺・来迎院などの黒木ノ御所に潜幸遊ばされた南帝方や護良親王は賊徒襲来の砌、ここみたらい峡の頂上にある観音峯(1,347メートル)の洞窟に天川郷士がご案内して度々潜られ給うたもので、洞窟の下の岩石に御歌が刻まれています。

吉野山 花そ散るらん 天の川

 雲のつつみを くずす白波

伝承によれば長慶天皇、天川の黒木の御所をお出ましになり観音峯の洞窟に潜まれ給いしも、賊徒、観音峯に押しよせ来るを逃れ給いし折、河川の増水せる、ここ、みたらい峡の「光の滝」に御入水、御崩御ましまし「みたらいの淵」にて御遺体をお引上げ奉ったと申され、御物、御玉体は光遍寺・弁財天社・牛頭神社・伊波多神社・国玉神社等に夫々お祀り申せしと伝えられています。

臨くと 登りてみれは みたらいや 

 みいずの神器 ここにあるかな』



えーっと、南朝・後南朝っていうのは南北朝時代のアレです。

鎌倉時代の後は室町時代な訳ですけど、室町時代は更に分類され、後醍醐天皇(南朝側)が吉野行宮に遷った1336年から、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位するかたちで両朝が合一を見た1392年までの、56年間を言います。

この頃の都って当然京な訳ですけど、政権争いにより後醍醐天皇が吉野で新たに政権を建てた事から、吉野側の政権を南朝、京の政権を北朝と呼ぶようになったのだとか。

なので南朝は吉野朝廷とも呼ばれていました。

こういう理由で『天川村は、南朝・後南朝哀史の数々を秘めた邑』と表現されているようです。

とは言うものの、南朝側は大和国の吉野(奈良県吉野郡吉野町)、賀名生(同県五條市西吉野町)、摂津国の住吉(大阪府大阪市住吉区)の3ヵ所を本拠地としていたそうで、南北朝時代全体から見れば吉野に朝廷があった時間は短いのだそうです。

ですが黒木の御所(政変時の行宮)があったほどですから、この地には南帝側の味方が多かったようで、賊徒(朝廷や政府に反逆する者)襲来の度に匿って貰っていたようです。

残念ながら長慶天皇は光の滝に入水されたようですが・・・。

f0351853_02415174.jpg

看板に書かれていた天川村の歴史がなんとなく理解出来た気がします。

という事で、天川村の歴史のお勉強は終~了~。

明日は丹生川上神社下社編です。


∋(´・ω・)o/・*:..。o○☆゚+。*゚¨゚゚・*:..。o○☆゚+。*゚¨゚゚・*:..。o○☆゚+。*


それでは本日も良い1日を~。


スーさん 「それで君はいつ運動を再開するのかね?」

musica 「ね~・・・。カーヴィーをずっとしていないので、身体の節々が痛い・・・」

ス 「分かっているならすれば良いだけの事。しなければならないと思いながら出来ずにいると、余計な波動の法則を生む事となる」

m 「そうですね!来週からにしよう!(`・ω・´)+」

ス 「・・・まぁ今週はゆっくりと身体を休めなさい」




[PR]
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by garoumusica | 2016-06-09 05:00 | 大和のまほろばを巡る旅 | Comments(0)

目に見えない厳ついおっさんと絵描きの会話。それから大変申し訳ありませんが、本サイト内の画像、写真の無断転載・転用を禁止させていただいております。


by musica