元伊勢・檜原神社編 その1。 〜大和のまほろばを巡る旅〜

本日は元伊勢・檜原神社です。

サクサク行っちゃいましょう~。


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鳥居。

二本の柱に注連縄っていう組み合わせをよく見かけますが、昔の鳥居はこんな感じだったのでしょうか?



由緒書き。

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何故檜原神社が元伊勢と呼ばれているのかが分かるので、そのまま載せてみます。



(元伊勢)檜原神社と豊鍬入姫宮の御由緒

大神神社の摂社「檜原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)」(向かって左の建物)は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。

第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿(どうしょうきょうでん)」にお祀りされていました。

同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎王)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立ててお祀りされました。

その神蹟は実にこの檜原の地であり、大御神の伊勢御遷幸ののちもその御蹟を尊崇し、檜原神社として大御神を引続きお祀りしてきました。そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。

檜原神社はまた日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ツ鳥居を有していることが室町時代以来の古図に明らかであります。

萬葉集には「三輪の桧原」とうたわれ山の辺の道の歌枕となり、西につづく桧原台地は大和国中を一望できる景勝の地であり、麓の茅原・芝には「笠縫」の古称が残っています。

また「茅原(ちはら)」は、日本書紀崇神天皇七年条の「神浅茅原(かむあさぢはら)」の地とされています。更に西方の箸中には、豊鍬入姫命の御陵と伝える「ホケノ山古墳(内行花文鏡出土・社蔵)」があります。



画像はありませんが、もうひとつ看板がありました。



第十代崇神天皇の御代、それまで皇居で祀られていた「天照大御神」を、皇女・豊鍬入姫命に託し、ここ檜原の地(倭笠縫邑)に遷しお祀りしたのが始まりです。

その後、大神様は第十一代垂仁天皇二十五年に永久の宮居を求め各地を巡幸され、最後に伊勢の五十鈴川の上流に御鎮まり、これが伊勢の神宮(内宮)の創祀と云われる。



檜原神社拝殿。

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美しい・・・。

この三ツ鳥居は伊勢神宮の第六十二回神宮式年遷宮の古材を使って、昨年建て替えられたものです。

なのでまだピカピカでしたよ!



鳥居の向こうは禁足地。

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禁じられると覗きたくなるのが人情というもの・・・。

禁足地の山はもちろん三輪山です。




檜原神社の拝殿の左側には、豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)があります。

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昭和61年創祀ですか・・・。

新しいですね。



お社。

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姫様に相応しい愛らしいお社です。



明日も続きます。


*・☆・゜・*:.。.*.。.:*・☆・゜・*:.。.*.。.:*・☆・゜・*:.。.:*・☆・゜・*


それでは本日も良い一日を~。


スーさん 「あの場合はふ〇っしーしか適役がいなかったのだよ」

musica 「えー、どういう事ですか?」

ス 「君が知っているゆるキャラの中で、喋る事が出来る唯一の存在だからだ」

m 「えっ!?それだけの為にふ〇っしーに化けたのですか?」

ス 「そうだ」

m 「なんて言うか・・・、神職も大変ですねぇ・・・」

ス 「神職が大変なのではない、君と接しているから大変なのだ」

m 「なんですか?その格言風なお言葉は・・・」

ス 「ハハハ!」


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by garoumusica | 2016-06-26 05:00 | 大和のまほろばを巡る旅 | Comments(0)

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