藤原京跡編 その2。~大和のまほろばを巡る旅~

本日は藤原京の続きです。




通って良いのか分からない畦道を急いで通り抜けます。

途中見かけた廃屋。

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今居る時代がいつなのか分からなくなる錯覚を覚えました。

つわものどもが夢の後って感じです。

崩れかけた屋根には、スーさんの守護の目に見える印のカラスが。

心強いものです。



畑を抜けました。

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中央に見える山は天香具山なので、下の図から考えるとこの時は宮の前を通る道に居たようです。

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標識。

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今までは藤原京跡でしたが、これからは藤原宮跡を見ていきます。

看板を発見。

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藤原宮は694年に飛鳥浄御原宮から宮を遷しました。

そしてそれまでの天皇毎、または一代の天皇に数度の遷宮が行われていた慣例とは異なり、持統・文武・元明の3代に渡って使われました。

宏大な都で、後の平城京・平安京よりも広い25㎢はあると想定されています。

はじめのカラスの画像の後ろに映っている山が耳成山、二番目の画像に映っている山が香久山、そして下の畝傍山。

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この三つの山を合わせて大和三山と呼ばれています。

都はこれら大和三山を超えた所まで拡がっていました。

すごいですねぇ・・・。

もう一度復元図。

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そして今はここです。

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政治の場ですね。

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朝堂とは天皇が早朝に政務をみる朝政をはじめとする庶政(政治全般)や、臣下参列のもと国儀大礼を行う為の庁舎の事です。

まさにこの場所で政治が行われていたのですねぇ・・・。

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奥の朱い柱は大極殿院閤門跡の柱で、手前にちょろっと見える柱は朝堂院の南門跡の柱だと思われます。

ここで力尽きた私は、柱の土台に座ってしばらくぼんやりしましたw

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今日で藤原京跡編は終わりにしたかったのですが、終わりまで辿り着けませんでした・・・。

なので明日も続きます。


○・v・◎・v・●・v・○・v・◎・v・●・v・○・v・◎


それでは本日も良い一日を~。

昨日の続き。

スーさん 「防ぎ様が無い?なぜそう思うのかね?」

musica 「えー、だって『患者さんが居る、追い越したら失礼かな?』とかいう考えって、パッと浮かぶものじゃないですか。だからそれをコントロールするのは難しいです」

ス 「気遣いをするなと言っているのではない。気遣いをしても気が交流しないようにすれば良いのだ」

m 「どうやってですか?」

ス 「世の中にはその方法が数多く知られているだろう?イメージでバリアを作るだとか、気を身体に密着させるだとか」

m 「あー、オーラがどうのこうのってやつですね」

ス 「もっと簡単な方法がある」

m 「何ですか?」

ス 「頼りになる君のおじさんに頼む事だ」

m 「あー・・・。やっぱり頼まないとダメですか?」

ス 「駄目ではないが、今回の様に学びの良い機会だからと辛い想いをする事になるかもしれぬ」

m 「えっ・・・!?」

ス 「ハハハ」




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by garoumusica | 2016-07-15 05:00 | 大和のまほろばを巡る旅 | Comments(0)

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