カテゴリ:古代氏族( 51 )

物部氏を調べていたはずなのに、出雲の話題メインでその19まで来てしまいました。。。

自分でも何を調べているのかよく分からなくなります(`・ω・´)+





「ミムロ山(三輪山)と耳成山を結ぶ地域は磯城・十市と呼ばれる以前は出雲だった」

というキーワードですが、これってソースは何なのでしょうねぇ。

多分地元の伝承かなんかだとは思うのですが・・・。

だってこれってすっごいポイントです!(`・ω・´) 。

古代氏族物部氏 その15 実権を握っていたのは磯城?の巻。の記事でちょっと載せたのですが、2代綏靖天皇の奥さんは『日本書紀』第1の一書では磯城県主の娘となっています。

この時点で磯城っていう名前がある訳ですが、磯城・十市と呼ばれる前は出雲だったというのなら、神武天皇が東征する前のこの地は「出雲」だった事になるはずなのです。

あー、気になる~~~、ソースを確認したい!

奈良の民俗資料館に行ったら何が出てくるのかなーーー。

この本にはサラッとこの一言だけなので。。。



現在の奈良の出雲は桜井市のほんの小さな町ですが、磯城・十市が出雲だったのなら相当広い範囲だった事になります。

この本では、天孫族は自分たちの前に出雲族という有力な部族がこの地を納めていたという事実を消し去りたいが為に、出雲という地名を磯城・十市という名に変更し消し去ったと推測されています。

だとすると、その為に島根に出雲という地名と出雲神話を与えた。

そしてあえて神武天皇の皇后に出雲系の女性を残したのは、島根のオオナムジとミムロの大物主を関連づける為。

・・・もあるでしょうし、大物主一族が余りにも有力で人々の記憶から消し去る事が出来なかった為、仕方が無いので神武天皇の皇后をわざと出雲系の人物にしたとか・・・。

うーーーん・・・。



あ、そう言えば、島根の出雲に関する話題をひとつ忘れていました。

出雲の地名の由来で「出鉄(いづもの)から来ているという説」があると書いたのですが、その後に出雲国風土記の解説本にこのような内容の記述を発見してしまいました。

出雲といえば鉄と言うくらい産鉄地域のイメージが強いですが、実は7世紀以前の実態は分かっていないのだそうです。

奈良時代の列島内での最大の鉄の産地は吉備

f0351853_02154770.jpg

この図では備前・備中・備後・美作にあたります。


では出雲ではいつ頃から製鉄が発展したのかというと、古墳時代後期の6世紀後半から7世紀なのだそうです。

結構遅いですよね、意外でした。

これを考えると、出雲の国名の由来が「出鉄」っていうのはない気がします。

となると、イザナギさん由来か?ワカメ(藻)由来か?



この出雲国風土記の解説本では、『古事記』の崇神天皇の段に出てくる倭健(やまとたける)が出雲健(いずもたける)を殺害した時に詠んだ歌が挙げてあります。

「夜都米佐須伊豆毛(やつめさすいづも)」

という詩なのですが、これは「沢山の藻」を意味し、イヅモとは神聖な藻「厳つ藻」という意味である、との事なのです。

で、注として、これは5世紀頃までの話で7世紀以降は一貫して「出雲」であり、この頃には雲由来説が定着していた可能性が高い、との事なのです。

という事は、ワカメ(藻)説が有力ですね(`・ω・´)

まぁ、少なくとも出雲という地名はあったという事は分かりました。

あ!悲しい事に気が付いてしまいました・・・。

ワカメが有力って書いてしまったら、須佐之男命の日本初の和歌が嘘っぱちっていうのを強調してしまう事になるって気がついてしまいました ( ; _ ; )/~~~

すっごい複雑、何コレ、ちょっと酷くない!?スーさん!

やだー、これ以上夢を壊さないで欲しいーーー。

でも、明日はいよいよミムロ山と大物主と桜井市の出雲の関係を整理していきたいと思います。

これがまた面白いのです ( ; _ ; )


━―━―━[ JR ショボン駅 (´・ω・`) ]━―━―━


それでは本日も良い1日を。

musica 「理性と感情、そのバランスを取るのにこのシリーズが役に立っている気がします」

ス 「ははは、君がここ数年慣れ親しんだ出雲神の消滅の危機だからね。落ち着かないだろうが、事実は事実だ」

m 「はい。ほんの2〜3年前まで初詣にすら行かなかったのに、いつの間にか出雲神を身近に感じるようになっていましたから」

ス 「この様に感情が揺れる場面であっても理性を持って行動する事。感情はあくまで物事に対する反応に過ぎぬ。それに流されぬ様にね」

m 「はい」


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by garoumusica | 2016-03-25 04:59 | 古代氏族 | Comments(0)
はい、本日も野見宿禰(のみのすくね)さんです。




昨日は野見宿禰さんはどこの出雲から来たのか!?というところで終わりました。

島根県の出雲か?奈良県桜井市の出雲か?

ここでアレの出番です。

そうです!(`・ω・´)+

『出雲国風土記』!

垂仁天皇の時代は733年に出来た『出雲国風土記』より前なので、出雲出身の野見宿禰さんの偉業も載っているはず!

早速見てみると、ありました!



飯石(いいし)郡の山野の解説の項。

「野見、木見、石次(いわすき)の三野」



以上!これだけ!!!

・・・。

えー・・・(´・ω・`)。


ちなみ飯石郡はここ↓です。

f0351853_01345030.jpg

須佐之男命が魂を鎮め置き、自分の名前を付けた須佐郷がある所です。

野見野は飯石郡の一番下で、この図では切れています(`・ω・´)+




本当に野見宿禰さんが出雲出身なら、『出雲国風土記』にもうちょっと記載があっても良いのではないかと思うのです。

野見宿禰さんは天穂日命の14世の子孫で、第12代の出雲国造である鵜濡渟(うかつくぬ)の孫と言われていますから。

しかも、垂仁天皇に皇后である日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の葬儀の時に、それまで行われていた殉死(臣下を殺して古墳に埋める)の風習に代わる埴輪を提案した人物です。

この貢献により野見宿禰さんは土師臣(はじのおみ)の姓を与えられ、代々天皇の葬儀を司る事となりました。

お父さんである第10代崇神天皇がお亡くなりになったのが、258年だとか318年だとか言われていますので、この流れで言うと埴輪は3世紀後半から4世紀に創られ始めたという事になります。

考古学的にも埴輪は3世紀後半から6世紀後半にかけて造られたとの事ですので、合っていると思う事は思いますが、まぁ自信はありません(`・ω・´)+



ちなみに土師氏からは菅原氏・秋篠氏・大枝(大江)氏が派生します。

菅原氏と言えば菅原道真!

道真さんは埴輪関係の人だったのですね。。。

なんだか意外でした。



さてさて、こんな画期的な提案をした人物に関する記述が『出雲国風土記』に載らないはずがない!

載っていないという事は、やはり桜井市の出雲の人なのか。。。

あ!そう言えば野見宿禰さん、垂仁天皇から殺しちゃった當摩蹶速(たぎまのくえはや)さんの土地を貰ったんですよ。

その場所はどこなのか調べてみたいと思います。



与えられた土地のあった當麻邑(たぎまむら)は、現在の奈良県葛城市當麻に位置するのだそうです。→google maps 奈良県葛城市當麻

広域で位置関係を確認してみますと、三輪山の真西に位置しますが大阪寄りですね。。。

野見宿禰さんを調べるきっかけとなった、

「ミムロ山(三輪山)と耳成山を結ぶ地域は磯城・十市と呼ばれる以前は出雲だった」

とは、ちょっと離れていますね・・・。→google maps 奈良県橿原市木原町 耳成山

うーん、与えられた當麻邑に自分の出身地の出雲の名をつけたって言うのなら分かりますが、離れてるかなぁ、許容範囲かなぁ。。。



で、もう一度『日本書紀』を見てみたところ、

野見宿禰さんに當摩蹶速さんの土地を与えた事が、「腰折田(こしおれだ)」という場所がある所以である

と書いてありました。

この腰折田はどこにあるのでしょうね・・・。

調べてみましょう!

どうやら奈良県香芝市良福寺付近に、腰折田伝承地の看板があるようです。→奈良県香芝市良福寺

ここから耳鳴山まで車で約30分→google maps 良福寺から耳成山まで 

うーん、許容範囲?


明日も続きます。


*:.。..。.:*ヽ(*゚∀゚)ノ*:.。..。.:*ヘ(゚∀゚*)ノ*:.。..。.:*


それでは本日も良い一日を~。

musica 「最近、陽のある時は本を読んでいる事が多いのですが、昨日は何故か早めに記事を書かなくちゃ!って気になったので、陽のあるうちにこの記事を書いたのです」

スーさん 「うむ」

m 「それで何だったのかな~って思っていたら、夜になって急にアクセサリーの創作意欲が湧いてきまして。その作業に没頭しました」

ス 「それは自分自身のこれからを予期しての行動だ」

m 「まさかの予知?」

ス 「その呼び名が嫌ならば、情報をキャッチした、でも良い」

m 「あー、そっちの方が響き的に落ち着くかも」


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by garoumusica | 2016-03-24 04:53 | 古代氏族 | Comments(2)
本日は奈良県桜井市の出雲に関して調べてみます。





地図を地形表示でご覧いただければお気づきになるかと思いますが、一部は三輪山と尾根続きの場所です。

三輪山っぽいですけど、ここの名称は巻向山になるようです。

なるほど、三輪山の大物主由来って感じがしますね・・・。



この場所にはダンノダイラというヤマトの原住民族の聖地があります。

youtubeに写真をまとめたものをUPされていました!→古代イズモ族の聖地 ダンノダイラ

磐座信仰です。

三輪山自体にも磐座信仰があって、各自の好きな岩の側に卵を供えるという風習があるそうです。



さてさて、この様な場所に出雲がある訳ですが、この出雲の伝統工芸品は「出雲人形」→出雲人形画像

この出雲人形の由来はと言うと、なんと!

相撲の元祖と言われる野見宿禰(のみのすくね)の作った埴輪!

それではニューフェイス・野見宿禰さんについて調べてみたいと思います(`・ω・´)+



野見宿禰さんは『日本書紀』の第11代垂仁(すいにん)天皇の所で出てきます。

即位7年秋7月7日、垂仁天皇と御付の者達が、強さが自慢の當麻邑(たぎまのむら)在住の當摩蹶速(たぎまのくえはや)の噂話をします。

御付の者達 「日頃から周囲の人に『強い者に会って、生死を問わずに全力で力比べをしたいものだ』と言っているそうですよ」

垂仁天皇 「私も聞いたぞ。誰かこれに並ぶ者はおらぬか?」

別の人 「出雲国に勇士がいます。野見宿禰という者です。試しにこの人物を呼び寄せて、蹶速と戦わせてみたいものです」

垂仁天皇 「呼んで」

という訳で、即日、倭直(やまとのあたい)の先祖の長尾市(ながおち)を派遣して、野見宿禰を呼び寄せました

早速相撲を取らせてみたところ、野見宿禰は當摩蹶速の肋骨を踏み折り、更にその腰を踏んで折り殺しましたとさ。

めでたしめでたし☆



えー・・・、って感じですね・・・。

初期の相撲って激しかったようです。



さてさて、上の文章で出て来た、

即日、倭直(やまとのあたい)の先祖の長尾市(ながおち)を派遣して、野見宿禰を呼び寄せました。」

という文章の「即日」という言葉。

この即日の取り方で出雲の位置が変わってきます。


「この話をした当日に出雲国へ使いを出しました」

↑だと、出雲国はいつもの島根県。


ですが、これ↓だと場所が変わります。

「この話をした当日に野見宿禰を天皇の元へと来させました」

このふたつ目の解釈だと、島根の出雲国から当日に到着する事は無理です。



以前描いた運脚日数の図。

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京ですけど、まぁどんまい。

徒歩で大体20日位かかります。

が!野見宿禰が、桜井市出雲在住だったらどうでしょう。

当日でも行けるんじゃないですかね?


明日も続きます。


◎・v・●・v・○・v・◎・v・●・v・○・v・◎・v・●・v・○・v・◎


それでは本日も良い一日を!

スーさん 「朝晩の寒暖の差が激しい。着衣に気をつけなさい」

musica 「喉が痒い・・・」

ス 「それは花粉だね」



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by garoumusica | 2016-03-23 05:07 | 古代氏族 | Comments(0)
本日も古代氏族シリーズの続きです。

前回↓。




昨日は「島根の出雲と奈良の出雲、どっちが先なのか!?」で終わりました。

えー、これってどうすればいいの!?とスーさんに聞いてみたところ、



スーさん 「出雲の地名の由来について調べてみた事があるかい?」

musica 「八雲立つ~ 出雲八重垣 妻籠みに~、でしょ?」

ス 「それはあくまでも神話であろう?」

m 「まぁ、そうですけど・・・」


という事で、出雲の地名の由来をまず調べていきたいと思います。



「出雲」

調べてみますと何種類か意味がありました。

漢字のあて方によって意味が異なるようで、


出雲:雲が湧きあがる様子

稜威母:イザナミへの敬意

稜威藻:龍神信仰


こんな感じです。

それにしても3つ目の稜威藻の龍神信仰って面白いですね。

なんでも、藻草の神威凛然たる様を表しているそうです。。。

藻草に対して神威(神の威光・威力)を感じ、凛然(凛々しく勇ましい)と思う感性が、私とは違いますね・・・。

なんでしょう?

ワカメが海底でゆらゆら揺らめいている姿を、龍神と重ねたのでしょうか・・・。

素晴らしい感性ですね。



あ、あともうひとつ「いづも」の由来がありました。

出鉄(いづもの)から来ているという説もあるのだとか。

なるほど、確かに出雲は砂鉄から鉄製品を造る「たたら製鉄」が盛んでした。

出雲系と言われる神武天皇の皇后の名前にも、たたらが入っていましたし。

更には良質な砂鉄が採れていたそうですから、「鉄が出る」という地名でもおかしくなさそうです。



ですが、古代には「出雲」という地名が無かったらしいのです。

ではいつ出雲という地名が付いたのかというと、おそらく大化の改新。

国や郡を制定した時に付けられたのだろう、との事なのです。

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漢字二文字なのも、この時に中国を真似て名付けたからだとか。

なので、それを考えると「出雲」という漢字の組み合わせと意味も、その時造られた可能性が高いのでしょうか・・・。

えー・・・、スーさんの詠んだ「八雲立つ~」が消えてしまうのは寂しい・・・。

更に私に追い打ちをかけますと、古代出雲は出雲+伯耆でひとつの国だったのだとか。

ですが大和朝廷の弱体化と共に出雲と伯耆に分けられたのだそうです。



結局のところ、出雲がいつから出雲と呼ばれるようになったのか、よく分からないままです・・・。

手がかりとなりそうだなと思うものは、『魏志倭人伝』に出てくる国名でしょうか?

『魏志倭人伝』には約30か国の名称が出てきます。

なんと!それを表にまとめられている方がいらっしゃるので、リンクを貼っておきます。→邪馬台国30国一覧表

素晴らしいですね!

この中に出雲の古代の名称があるかもしれない・・・。



明日は出雲に対して奈良の出雲です。

これがなかなか興味深いのですよ!


(o・ω・o)ノ++++++++++ヽ(o・ω・o)


それでは本日も良い1日にを~。

ス 「連休明けで月曜日の憂鬱ならぬ、火曜日の憂鬱に陥っていないかね?」



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by garoumusica | 2016-03-22 05:00 | 古代氏族 | Comments(0)
はい、という訳で、本日二度目の別館 画廊musicaです。

あー、めんどい、おっさんに却下された記事だって、1時間半もかけて書いたのに(´Д`)

その記事を訂正しながら書かなきゃいけないんでしょ?

しかもそれをしたら明日の記事も書かなきゃなんでしょ・・・?

・・・(´・ω・`)。

はー・・・(;´д`)=3




はい、以前こういう↓記事を書きました。

天孫降臨をした天皇家の祖の瓊瓊杵命は、須佐之男命と天照大神が誓約をした時に須佐之男命が初めに生み出した子な訳です。

で、大国主に懐柔された天穂日命は、誓約の際に二番目に須佐之男命が生み出した神であり、出雲国造の祖な訳です。

そして大国主須佐之男命の子供だとかだとか言われている訳です。



前回はこれ↓でした。

初代天皇である磐余彦さんの奥さんの媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)は大物主・もしくは事代主の娘

2代綏靖(すいぜい)天皇の奥さんの五十鈴依媛(いすずよりひめ)は事代主の娘

3代安寧(あんねい)天皇の奥さんは『日本書紀』では渟名底仲媛(ぬなそこなかつひめ)は、事代主の子・鴨王の娘

4代懿徳(いとく)天皇の奥さんは『日本書紀』では天豊津媛(あまとよつひめ)で、息石耳命(おきそみみのみこと)の娘

息石耳命は第3代安寧天皇の第一皇子で、もちろん母は皇后の渟名底仲媛で事代主の子・鴨王の娘

出雲系統のお姫さんを天皇家が娶っている、という内容でした。



これらを考えると、すわ!出雲王国強し!って感じですが、そうは問屋が卸しません。

2代綏靖天皇の奥さんは『日本書紀』第1の一書では磯城県主の娘の川派媛(かわまたひめ)、第2の一書では春日県主(磯城県主の後の名称)の女の糸織媛(いとおりひめ)、『古事記』では師木県主の祖の河俣毘売(かわまたびめ)となっています。

3代安寧天皇の尊号は『日本書紀』では「磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)」、『古事記』では「師木津日子玉手見命」。

奥さんは『日本書紀』第1の一書では磯城県主葉江の娘の川津媛、第2の一書では大間宿禰の娘の糸井媛とし、『古事記』では師木県主波延(河俣毘売の兄)の娘の阿久斗比売(あくとひめ)となっています。

そして4代懿徳天皇の奥さんは『日本書紀』第1の一書では猪手(磯城県主葉江の弟)の娘の泉媛、第2の一書では磯城県主太真稚彦の娘の飯日媛とし、『古事記』では師木県主の祖の賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめ、亦名を飯日比売命)です。

なんだなんだ、この磯城県主の羅列は・・・。

5代目以降も磯城県主の娘やその周辺の豪族の娘さんを娶っています。

なので純粋に出雲系と言われているのは神武天皇の奥さんの媛蹈鞴五十鈴媛だけになるようです。



ところで県主(あがたぬし)って何かと言うと、そういう役職です。

ヤマト王権への忠誠度が高く、ヤマト王権の代権者としてその地方を治めたのが県主。

その第一号?が磯城県主です。

初代磯城県主は神武東遷の時に忍坂(おさか・おしさか)で戦った磯城兄弟の弟です。

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「0」のところです。

以前記事にした時のこの図の解説で、私はこう書いていました。

・大和国磯城の豪族・磯城兄弟に遭遇→戦います。

・再び八咫烏を送りますが、兄磯城(えしき)さんは拒絶し惨殺、弟磯城さんは恭順します。

以上ですがまぁ、私の性格(めんどくさがり屋)が良く表れてますねぇ・・・。

で、この磯城県主は『先代旧事本紀』によると、饒速日命の末裔で、物部氏と同族なのだそうです。

やっと物部氏に戻って参りました(`・ω・´)+

と言ってもまぁ、良く調べてないのでここまでしか書けないのですが。



さてさて、こうなると気になるのが磯城な訳です。

磯城は今で言うところの天理市の一部桜井市の大部分宇陀市の一部磯城郡の一部なのだそうです。→google maps

で、なんで磯城県主の娘をこんなにも娶ったのかと考えれば、当時の前ヤマト王権(邪馬台国?)の実権を握っていたのが磯城だったから、としか考えられないのです。

実権を持った土着の首長から女性をもらう事で王権を安定させようとした、という感じです。

ちなみに当時の邪馬台国は連合国だったと言われています。



さてさて、そうなると大物主とか事代主はどうなってしまうのか。。。

やっぱり出雲のオオナムジさん≠三輪の大物主という事で、出雲神話に関する神々は関係ない?

出雲神話はヤマトの地にあったという邪馬台国隠しの為に創られただけ、と考えた方が自然・・・。

などと思っていたところ、大和誕生と神々―三輪山のむかしばなしという本にこの様な記述を発見しました。

「ミムロ山と耳成山を結ぶ地域は磯城・十市と呼ばれる以前は出雲だった」


えー・・・。

そう言えば桜井市にも出雲って場所がありますよね。→google maps 桜井市出雲

島根の出雲と奈良の出雲、どっちが先なのか!?


というところで明日に続きます。



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by garoumusica | 2016-03-21 21:00 | 古代氏族 | Comments(0)
はい!という訳で、昨日の続きです。




天孫降臨をした天皇家の祖の瓊瓊杵命は、須佐之男命と天照大神が誓約をした時に須佐之男命が初めに生み出した神の子な訳です。

で、大国主に懐柔された天穂日命は、誓約の際に二番目に須佐之男命が生み出した神であり、出雲国造の祖な訳です。

そして大国主須佐之男命の子供だとか孫だとか言われている訳です。

昨日はここまででしたが、なんか不思議な感じがしますよねー・・・。

こういう氏族の神話って、自分達の威厳を高める為にそれぞれの氏族が勝手に創り上げたらしいんですけど、なんでまた大国主、オオナムジと繋がる様な神話を創り上げてしまったのか。



以前「うろ覚えですけど、これからしばらく天皇家は出雲系の姫を娶っていたはず。まぁ後できちんと調べてみますが。。。」と書いて調べていなかったので、ちょっとここのところも気がかりなので調べてみる事にします。→古代(略)長髄彦と神武東遷編 その4 出雲と大和の国譲り。



初代天皇である磐余彦さんの奥さんは媛蹈鞴五十鈴媛ひめたたらいすずひめ)。

例のコレです↓。

f0351853_03403310.jpg

2代綏靖(すいぜい)天皇の奥さんは『日本書紀』『旧事本紀』では五十鈴依媛(いすずよりひめ)。

この方も事代主の娘さんだそうです。

上の図に載っていないのは調べてないからです(`・ω・´)+

調べてみましょうー。

・・・あー、なんという事でしょう!

初代天皇磐余彦さんの奥さん・媛蹈鞴五十鈴媛の妹ですって!

えー・・・、上の図を書き換えるの面倒なんですけどー・・・(´・ω・`)

とは言うものの、『古事記』では綏靖天皇の奥さんは河俣毘売(かわまたびめ)となっていて、この方は磯城県主の娘さんです。

磯城っていうのは神武東遷で出てくる磐余彦さんの敵方の、兄磯城・弟磯城のアレです。

兄磯城は建御名方か!?と言われている人で、弟磯城は磐余彦さんに投降した人です。



3代安寧(あんねい)天皇の奥さんは『日本書紀』では渟名底仲媛(ぬなそこなかつひめ)。

事代主の子・鴨王の娘さんです。

鴨って賀茂の事ですよねぇ?(←記事を書きながら調べ、今初めて鴨王の事を知ったのでよく分からない)

鴨、賀茂と言えばコレです↓。

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原宮の裏鬼門を護る高鴨神社。

あー、でも祭神が阿遅鋤高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)だからちょっと違いますね・・・。

ちなみに阿遅鋤高日子根神は大国主と田心姫(たこりひめ)の間に出来た子だそうです。

あーもう、田心姫って須佐之男命と天照大神の誓約で生まれた子じゃん・・・。

腹違いの姉との子かよ、おーくにさん・・・。

正妻も須佐之男命の娘の須世理姫なのに・・・。

まぁ、以前何かで調べましたけど、古代は母が違えば結婚して良かったとの事なので・・・。

それでもおーくにさんの節操の無さ、溜息モノですね( ;´Д`)



はい、話を戻します。

4代懿徳(いとく)天皇

この方の奥さんは『日本書紀』では天豊津媛(あまとよつひめ)で、息石耳命(おきそみみのみこと)の娘さんです。

で、息石耳命は第3代安寧天皇の第一皇子で、もちろん母は皇后の渟名底仲媛で事代主の子・鴨王の娘さん。

懿徳天皇もお父さんが安寧天皇、お母さんが渟名底仲媛命で、彼らの第2皇子です。

えー・・・、姪っ子と結婚しちゃったのかー・・・。

障害が心配されますが遺伝的にどうなんでしょうねぇ。



とまぁ、こんな感じで出雲の血が皇室に4代に渡って取り込まれて行くのです。

明日に続きます。


(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)


それでは本日も良い一日を!

昨日の続きから。

スーさん 「特別な行動ではなく、日常の行動の足先をほんの少し変える程度だね」

musica 「でも気の向くまま行動して何も無かったら、ちょっとガッカリするかもです」

ス 「そういう場合は一見何も起こらなかったように見えるかもしれないが、足先を変える事によって何らかの災いから遠ざかる事が出来たのだ」



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by garoumusica | 2016-03-17 05:00 | 古代氏族 | Comments(5)
という訳で、お久し振りの古代氏族シリーズです。

前回はいつだったかと思い検索してみると、なんと!10日前!


て言うか桜の君で全てを出し切ってしまったので、何を調べていたのか記憶に無いという・・・。

なので自分でブログの内容を読み直しちゃいました。



第1回目の国譲りの大国主=神武天皇に国譲りさせられた大物主=出雲国風土記の大穴持=崇神天皇に殺された出雲古禰

ここまでやっていました。

期間が空いちゃったので、自分でも自分が何を言いたかったのかよく分かりません(`・ω・´)+

自分で自分の説を解読する羽目になるとは・・・(´・ω・`)

取りあえずもう一度国譲り神話を漁ってみます。

て言うか、そうしなさいとのお達しが・・・。



須佐之男命と天照大神の誓約

そもそもの発端は須佐之男命と天照大神の誓約に始まります。

まずは天照大神が須佐之男命の十握剣から、

・田心姫(たこりひめ)
・湍津姫(たぎつひめ)
・市杵嶋姫(いちきしまひめ)

を生み出します。


次に須佐之男命が天照大神の八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいほつみすまる=勾玉)から、

・天忍穂耳命(あめのおしほみみ)
・天穂日命(あめのほひ)
・天津彦根命(あまつひこね)
・活津彦根命(いくつひこね)
・熊野櫲樟日命(くまのくすび)

を生み出します。

が、この子供達は相手の持ち物から生み出したので、親権は元の持ち主にあります。

なので宗像三女神は須佐之男命の子供という事になります。

とは言うものの、須佐之男命は高天原を追放される時に親権を天照大神に譲る事になりますが。

あ、そう言えばここのところは先日記事に書いた、三人官女と五人囃子のところですね。→雛祭りとスサノオとアマテラス。



葦原中国平定

はい、では須佐之男命と天照大神の誓約から、大国主の国譲りに話を飛ばします。

大国主の国譲り=葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい)で、まず高天原から派遣されたのは須佐之男命が天照大神の勾玉から生み出した天忍穂耳命。

「須佐之男命が天照大神の玉から生み出した」とわざわざ書いてみました。

横着な天忍穂耳命は天の浮橋から葦原中国を覗くと、「葦原中国はなんかうるさくて無理」と天照大御神に報告します。



で、次に派遣されたのは二番目の子供の天穂日命。

彼は大国主に心服して3年高天原に戻りませんでした。

ちなみに天穂日命は出雲国造の祖神です。

出雲国造神賀詞では天穂日命は大国主に懐柔されて3年ほど遊び呆け天照大神を裏切ったのではなく、3年間葦原中国を視察し常に高天原に報告を続け、天穂日命の子供である建比良鳥命(たけひらとりのみこと)に経津主神(ふつぬしのかみ)を副えて天降りさせ、国譲りを成功させたと言っています。

ここが出雲国造のロックなところです。



最終的に葦原中国平定は『古事記』では建御雷神(たけみかづち)を遣わして平定。

『日本書紀』では武甕槌神(たけみかづち)と経津主神(ふつぬし)を遣わして平定します。



天孫降臨

葦原中国平定後、天照大神は天忍穂耳命に葦原中国を治める様言い渡します。

が、天忍穂耳命は息子の邇邇藝命(ににぎのみこと)が生まれたのでその子に治めさせると言い、実際に降臨させます。

で、邇邇藝命は磐余彦=神武天皇の祖な訳です。



大国主命

さてさて、ここで大国主に出て来てもらいます。

大国主は『日本書紀』では素戔男尊の子供とされています。

『古事記』、『日本書紀』の一書や『新撰姓氏録』によると、須佐之男命の六世の孫だとか七世の孫だと言われています。



・・・。

なんて言うかこの辺でこんがらがって来ちゃう訳ですが、

天孫降臨をした天皇家の祖の瓊瓊杵命は、須佐之男命と天照大神が誓約をした時に須佐之男命が初めに生み出した神の子な訳です。

で、大国主に懐柔された天穂日命は、誓約の際に二番目に佐之男命が生み出した神であり、出雲国造の祖な訳です。

そして大国主須佐之男命の子供だとか孫だとか言われている訳です。

え・・・、なんだろう?

この血縁関係は・・・。

以前考えるのを放棄した「天皇家には始めから出雲の血が入っている」というのを思い出しました。→古代(略)長髄彦と神武東遷編 その4 出雲と大和の国譲り。

思い出したのは良いですが、どう対応して良いのかよく分かりません(`・ω・´)+

という訳で、また明日!

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なんとなくスーさん神社を。


(o・ω・o)ノ++++++++++ヽ(o・ω・o)


それでは本日も良い一日を~。

昨日の会話の続きです。

スーさん 「気の向くまま足の向くまま行動してみるという事は、何も特別な行動をせよというのではない。君で例えるなら、仕事帰りにふと思いついていつもと違うスーパーへ寄ってみる、駅の出口を変えてみる、という感じだ」

musica 「気の向くまま足の向くまま行動してみるって言うと、何か特別な事をしなくちゃいけないと思っちゃいますが」

ス 「特別な行動ではなく、日常の行動の足先をほんの少し変える程度だね」


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by garoumusica | 2016-03-16 05:00 | 古代氏族 | Comments(0)
はい、本日は昨日の記事に出て来た邪馬台国と言うキーワードを基に、ざっくりと探っていきたいと思います。




邪馬台国。

昨日の記事に神武東征以前にあった大国は邪馬台国だった、と書いた後に、ちょっとふざけた感じで読みもヤマトっぽいですしねと書いたのです。

が、どうも中国の人が邪馬台国を読みあげると「ヤマト」と発音するらしい、という事が発覚しまして・・・。

昨日記事にする前に漢字辞典で「台」の音読みを調べたのですが、その辞書には「タイ・ダイ・イ」しか載っていなかったのです。

だから「ヤマト」とは読めないなぁと思ったのですが・・・。

という事があり、調べてみる事にしました。



まず邪馬台国について記載のある『魏志倭人伝』というのは、3世紀末に書かれた中国の歴史書です。

私が資料として使っている山川 詳説日本史図録によりますと、中国西晋(せいしん=中国の王朝)の陳寿さんが3世紀に編纂した『三国志』のうちの『魏書』東夷伝倭人条の通称が、『魏志倭人伝』なのだそうです。

その倭人条に邪馬台国について書かれているのです。

で、年代が分かる記述は無いかな~と思って山川のおまけの資料を見ていると、こんな内容がありました。

「景初二年六月、倭の女王、大夫難升米(だいふなしめ)等を遣わし郡に詣り、天子に遣りて朝献せんことを求む」

この景初二年と言うのは三年の間違いらしいのですが、

「景初三年(239年)6月に卑弥呼さんが大夫と言う役職に就いている難升米さんを帯方郡って所に遣わして、魏の天子に謁見して朝貢する事を求めた」

と言う内容です。



この239年という数字を見た時に、私は崇神天皇を思い出しました。

崇神天皇という方は、3世紀から4世紀初めにかけて天皇史上初めて実在したとされる方です。

お亡くなりになったのは258年だとか318年だとか言われています。

で、邪馬台国は三世紀半ばの朝貢を最後に中国の歴史書から姿を消します。

なので、邪馬台国の滅亡時期と重なるのがこの崇神天皇なのです。

更にこの崇神天皇は神武天皇と同一人物だという説があります。

例のアレです、籠神社の

「多次元同時存在の法則」

『違う神であっても名前の意味が同じであれば同一神、名前が違っていても神話のストーリーが同じなら同一神、さらに違う系図に同じ神の名があれば、その間にいる神々も同一神』という法則で、八百万と言われるほど膨大な日本の神々を整理する時に極めて強力な効果を発揮するってやつです。



神武天皇と崇神天皇は、共に「はつくにしらすすめらみこと」という名称を持っています。

神武天皇は始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)。

崇神天皇は御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)、または所知初國御眞木天皇(はつくにしらししみまきのすめらみこと)。

どちらも「初めて天下を治めた天皇」という意味です。

つまりこの国には、初めて国を治めた天皇がふたり存在することになります。

で、ものすごく批判のある説ではありますが、この二人を同一人物とする学説もあるにはあるのです。



でも同一人物だと考えると、二度の国譲りの件に関してもなんとなく納得がいくのです。

以前勉強した古代出雲。

そこで出て来た出雲古禰さん。

彼を殺したのが崇神天皇。

『日本書紀』の崇神六十年条にこうあります。

「古禰の弟の甘美韓日狭(うましからひさ)とその子・鸕濡渟(うかずくぬ)は朝廷に参り詳しく報告し、朝廷は吉備津彦(きびつひこのみこと)と武渟河別(たけぬなかわわけ)を遣わして出雲古禰を殺させました」→古代氏族 古代出雲2大勢力編 その2 出雲古禰。

先日の記事で出雲国風土記における大穴持さんの勢力圏と、出雲古禰さんの勢力圏が重なると書いたのです。

あらやだ偶然wって。

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何が言いたいのかと言うと、多次元同時存在の法則を使うと、

第1回目の国譲りの大国主=神武天皇に国譲りさせられた大物主=出雲国風土記の大穴持=崇神天皇に殺された出雲古禰

という図式も考えられるなー・・・って事です。

色々と考えなければならない事が山盛りの図式ではありますが・・・(´・_・`)


明日も続きます。

絵に追い込まれていなければ・・・。


(゚д゚)ノ(´x`)ノ(゚_っ゚)ノ(・v・)ノ(゚∀゚)ノ (゚д゚)ノ(´x`)ノ(゚_っ゚)ノ(・v・)ノ


それでは良い日曜日を~。

musica 「今週は3月9日に部分日食があるそうですよ!」

スーさん 「何らかの変化が見られる者もおろう」

m 「それは曖昧な予言ですね。今日地球のどこかで地震が起こるだろうってレベルの予言ですよ!」

ス 「ハハハ」


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by garoumusica | 2016-03-06 05:00 | 古代氏族 | Comments(0)
本日も続きをしていこうと思います。




という訳で、昨日の図をもう少し詳しく見ていきます。

遠賀川(おんがかわ)式土器の分布と四隅突出型墳丘墓とオホナムチさんの勢力圏の図。

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若狭から近江、尾張を通る緑色の線は、土器の様式の違いです。

つまりアレです、土器が伝わるのにちょっと時間がかかってしまい、形が変わっちゃったって事です。

縄文時代晩期から弥生時代早期頃、あの線より上の地域、東日本ではサケ・マス・クルミ・落葉性ドングリ・クリ・トチの実・常緑性ドングリといったものが取れ、食料は大変豊かだったようです。

ですがあの線を境に西日本では、サケ・マス・クリといったものが気候的に取れなくなっていきます。

それは西に行けば行くほど取れなくなり、九州では常緑性ドングリしか取れなかったそうです。

なので食料の確保が難しい地域で、稲作が一気に広まったようなのです。

そして稲作と共に遠賀川式土器も広がりました。

一気にって言っても2〜3世代跨いだ様ですけど・・・。



で、この稲作を伝えたのが大陸から渡って来た人々。

大陸から朝鮮を経由して来た渡来系の稲作民が、遠賀川式土器を日本に持ち込んだと言われています。

彼らは北九州から上陸し、西日本全体に短期間のうちに広まり定住します。

そして坂本さんが言われるのは、彼らは文化的にも宗教的にも近い存在で、同じ神を祀り、同じ神話を持っていたとの事。

その神がオホナムチなのだそうです。

彼らが縄文人と共に定住するにつれて、縄文人が元々信仰していた神と習合し、各地にオホナムチを祀るところも出てきた。

そして更に大陸から渡来した人々が新しい神をもたらした結果、土地によって様々な神を祀る事となった、と推測されています。



縄文人が元々信仰していた神っていうのは、以前もどこかで記事にした気がしますが、アレです、山とか島とか。

大神神社の御神体の三輪山が一部を除いて禁足地となっていますが、そういう所のようです。

去年が私が旅した青島神社も、昔は神職と藩のお偉いさん以外は立ち入り禁止でした。


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青島神社の古代の祭事場付近です。

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縄文時代は自然そのものに神性を見出していたのですねぇ・・・。



という感じで、出雲とヤマトが同じ神を信仰していた為、ヤマトで起きた国譲りを出雲に置き換えた、と言うのが坂本さんの説です。

では何故置き換える必要があったのかと言うと、神武東征以前にあった大国の存在を消し去りたかった為、なのだそうです。

その大国と言うのは、あの国です。

中国の正史である『魏志倭人伝』に掲載されていながらも、『古事記』『日本書紀』でまったく触れられていないあの国。

邪馬台国。

磐余彦さんが長髄彦さんを倒して手に入れた国が、邪馬台国である、という事なのだそうです。

邪馬台国・・・。

まぁ読みもヤマトっぽいですしねw


今日は本館もあるので、短いですがこれでおしまいです。


☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡


それでは良い週末を〜。

スーさん 「花の命は短い。楽しめる時に楽しんでおきなさい」

musica 「私は毎年その時期に絵の締め切りが・・・」

ス 「心の目で見よ」

m 「なんか言い出した・・・」

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by garoumusica | 2016-03-05 05:03 | 古代氏族 | Comments(0)
本日も出雲における国譲りに関して見ていきます(`・ω・´)+




古代氏族物部氏のお勉強をしていたはずなのに、何故出雲国について学んでいるのか。

自分でもちょっと忘れちゃってたので、もう一度振り返ってみますw

神武東征における最大の敵となった長髄彦さん。

この人の妹が饒速日さんの奥さん。

そしてその間に出来た子が物部氏の祖となるウマシマジさん。

ここまでは良かったのです。

問題は長髄彦さんのお父さんが事代主さんと発覚した事。

え?なんで出雲の大国主さんの息子さんが大和の地に出てくるの?

で、スーさんに言われて読んだ出雲国造神賀詞に、神武さんの宮を守る様に出雲神々を配置したという内容がある事を発見。

え?国譲りって出雲と大和の二回あったって事!?

そして思い出した、籠神社の多次元同時存在の法則。

これを応用するとどちらかが消える。

多分消えるとしたら、出雲の国譲りの方・・・。

更にスーさんに読めと与えられた坂本さんの本。

そこには『古事記』に書かれている大国主という名と出雲における国譲りは、古事記の作者による捏造の可能性が高い、とありました。

っていうのが昨日までの流れです。


坂本さんの言われている事、ものすごく納得出来るのですよねー・・・。

今まで散々おーくにさんおーくにさんって呼んできた人間にとっては受け入れがたいものではありますが・・・。

グッバイ!大国主という呼び名!

グッバイ!出雲における国譲り!



と、昨日思っていたのですが、私はある事に気がつきました。

建御名方神はどうなるの!?

建御名方神は『古事記』の国譲りの場面のみに出てくる神様です。

『日本書紀』には出てきません。

もちろんそれ以降の『先代旧事本紀』などには出てきますが、これは『古事記』の内容を真似て書かれた可能性も否定出来ません。

なので、『古事記』の国譲りが創作されたものだとしたら、必然的に建御名方神も消滅してしまいます。

・・・(´・ω・`)

南方先生にはお世話になっているし、頑張って建御名方神を描いたし・・・。

・・・。

でも!出雲の建御名方神がいなくなったとしても、お諏訪さんの建御名方神が居ますし、長髄彦さん=建御名方神という説や、まだ記事にはしていませんが磯城の兄磯城さん=建御名方神という説もありますから、建御名方神が消えて無くなる訳じゃない!

・・・( ; ; )

でも!出雲のおっさんsの指示で勉強しているのだから、続けるのみです(`・ω・´)



はい、長い愚痴は終わりです。

昨日の続きをします。

昨日は古典から見たオオナムチさんの勢力圏の図を載せました。

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で、坂本さんの本にはこれを考古学的にも検証してあります。

出雲系の本にはよく出てくる四隅突出型墳丘墓というのがあります。

この四隅突出型墳丘墓というのは、紀元前100年頃に広島か出雲どちらかで発祥したものと言われています。

なのでこの墳丘墓の発祥地が出雲とすれば、その分布を見れば出雲の勢力圏(同盟国)が予測出来るという訳なのです。

で、四隅突出型墳丘墓というのはこんな感じです。

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・・・(´・_・`)。

思わずゆるキャラ化してしまいました・・・。

だって可愛い形なんですもん(`・ω・´)

まぁ、こんな形の墳丘墓だと思ってください。

この墳丘墓の分布地をオオナムチさんの勢力圏の図に書き込んでみました。

こんな感じです。

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まぁまぁ重なる・・・(´・_・`)。

残念ながら出雲族の勢力は、ヤマト迄は届かなかった様です。



では何故同じオホナムチさんが出てくるのか。

それを解くのが弥生式土器なのだそうです。

弥生式土器に遠賀川式土器と呼ばれるものがあって、これは九州から西日本に広く分布する弥生時代前期の土器で、水田耕作の西から東への伝播の指標とされているのだそうです。

何故かというと、最初に稲作を行っていた人達が使っていた土器だからです。

で、遠賀川式土器は西日本全域と東日本や東北の一部でも見つかっているのですが、土器の様式が同じなのだとか。

何故それを気にするのかというと、土器というのは様式が時代ごとにどんどん変わって行くものらしいのですが、それなのにこれだけ広い範囲で同じ様式の土器を使っていたという事は、ごくごく短期間の間に水稲耕作が広まった事を示しているのだそうです。

つまり、弥生時代の初期に遠賀川式土器を携え、西日本一帯に急速に広がった稲作民がオオナムチを祀っていた為に出雲とヤマトで同じ神が信仰され、ヤマトの国譲りを出雲の国譲りに差し替える事が出来た、という事も考えられるのだとか・・・。

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緑丸が遠賀川式土器の出土した場所です。

あ、5時になるので今日はここ迄にします!


ヽ(´・ω・`)人(´・ω・`)人(´・ω・`)人(´・ω・`)人(´・ω・`)人´・ω・`)ノ


それでは本日も良い一日を!

南方先生 「私はここに居るよ」

musica 「はい( ´ ▽ ` )ノ」



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by garoumusica | 2016-03-04 05:07 | 古代氏族 | Comments(0)

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