カテゴリ:古代氏族( 51 )

本日も大国主命の検証です。

検証と言っても、坂本さんの本を読むだけなんですけど・・・。→出雲王朝の隠された秘密―浮かび上がる古代の神々と国のかたち




坂本さんは『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』以外に、『万葉集』に関しても調べられています。

Wikipediaによりますと、『万葉集』は7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた、日本に現存する最古の和歌集です。

天皇、貴族から下級官人、防人など、様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年以降とみられているそうです。

で、坂本さんはこの中に大国主やオホナムチを歌った歌があれば、それを歌った人の出身地や歌を詠んだ場所から、その当時大国主やオホナムチがどの地域の人々に知られていたか推測出来、そこから大国主やオホナムチの勢力の及んだ地域が分かる可能性がある、と推測されました。

は〜、賢いですねぇ〜〜〜。

発想が違います(`・ω・´)



で、万葉集には大国主が出てくる歌が6首あるそうなのです。

しかも!大国主名義ではなく、

オホナムチが出てくる歌が4首、

八千桙神(やちほこのかみ)が出てくる歌が2首なのだそうです。

『古事記』が出来たのが712年、『日本書紀』が出来たのが720年。

その前後に詠まれた歌が纏められた『万葉集』に大国主の名が一つも出てこないという事は、やはり『古事記』に編纂者が作り出した言葉か、あまり一般的ではない大国主という名をあえて使ったという事になる、との事です。

そして『古事記』『日本書紀』が完成した後も、その後しばらくは大国主という名は一般には広まらなかったようだ、と坂本さんは推測されています。

それに対し、『万葉集』ではオホナムチと八千桙神という名は『古事記』『日本書紀』の影響のない段階から使われていたのだとか。

その歌の関係する土地は、石見、筑前、紀伊

一方『古事記』にオホナムチ名義で出てきた場所は、出雲、伯耆、因幡、越

更に『播磨国風土記』にも、播磨と伊予の地名の起源になっているとの記載があるそうです。

纏めると、オホナムチの分布は、


出雲、石見、伯耆、因幡、越、播磨、伊予、紀伊、筑前


となります。

該当する国名のところをピンク色にしてみました。

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オホナムチさんの勢力圏?


ついでに出雲国風土記に載っている場所も書いてみました。

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これを見ると大穴持命の勢力が出雲西部に集中しているのが分かります。

懐かしの出雲古禰さん圏ですね。

出雲古禰さんと言えば、アレですわ。

スサノオさんの剣を天皇に取られた上に、殺されちゃった人ですよ!→古代氏族 古代出雲2大勢力編 その2 出雲古禰。

あらやだ偶ぜ〜ん☆

・・・今日はまぁめんどいんで、これ以上は突っ込みませんが・・・。



はい、ここでちょっと楽しい事をしましょう!

上の『出雲国風土記』の図に、ついでにスサノオさんとクシナダさんの登場場所も記入しましたので、それを見ていきましょう〜。



一番右側のオレンジ丸、意宇郡のスサノオさんから。

『出雲国風土記』にはこうあります。

安来郷(やすきごう)

神須佐之袁命(かんすさのおのみこと)が、国土の果てまで巡りなさった。
その時、ここに来なさっておっしゃられた事には、

「私の心は安らかになった」[原文…安平(やす)けくなりましぬ]

だから安来という。



真ん中の大原郡のスサノオさん。

佐世郷(させごう)

古老が伝えて言うには、須佐能袁命が佐世の木の葉を髪飾りにして踊りなさった時に、刺していた佐世の木の葉が地面に落ちた。

だから佐世という。



左のオレンジ丸、飯石郡のスサノオさん。

須佐郷(すさごう)

神須佐能袁命がおっしゃられた事には、

「この国は小さい国だが、国として良いところである。だから私の名前は、木や石にはつけまい」

とおっしゃられて、ご自分の御霊をここに鎮め置かれた。

そして大須佐田・小須佐田をお定になった。

だから須佐という。



ちなみに大須佐田・小須佐田というのは、須佐にあった大小の田んぼの事だそうです。

で、この須佐郷の解説によりますと、この話はスサノオさんの小規模な国造りの神話だという事です。

上記のように各地を巡行した末に、飯石郡の須佐郷に鎮座したのだとか。



で、ラストは、ピンク色の久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめのみこと)です。

熊谷郷

古老が伝えて言うには、久志伊奈太美等与麻奴良比売命が、妊娠して出産しようとなさる時に、産む場所をお求めになった。

その時にここに来ておっしゃられた事には、

「とても奥深い[原文…久々麻々志枳(くまくましき)]谷である」

とおっしゃられた。

だから熊谷という。



ここに出てくるなっがいクシナダさんのお名前、久志伊奈太美等与麻奴良比売命。

これはですね、

久志伊奈太美が神秘な御霊を持って稲田を見守る、

等与は豊かな、

麻奴良は真瓊(まぬ)で玉、「ら」は接尾語とすると、玉のような、になり、

トータルすると、

神秘な御霊を持って稲田を見守る、豊かな玉のような姫君

となるそうですw

も〜、スーさんどうする???

いいお嫁さん貰ったねw



はい、5時になったので纏めますと、『出雲国風土記』におけるスサノオ信仰は、須佐郷を拠点とした出雲地方の山間部に広がっていた可能性があるのだそうです。

『出雲国風土記』のスサノオさんは、素朴でおおらかな首長って感じですよね。

八岐大蛇退治のような華やかな出来事はありませんが、出雲国風土記のスサノオさんも良いですね///


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それでは本日も良い一日を~。

スーさん 「今日はひな祭り。桃の季節には少々早いが、今日は意識して花に触れなさい」

musica 「なんで?」

ス 「心が安らかになろう?」

m 「あ、出雲国風土記のセリフに合わせましたねw」


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by garoumusica | 2016-03-03 05:20 | 古代氏族 | Comments(4)
はい、本日も頑張ろう〜。

いつもの続きです。←適当になって来た。




時は和銅六年(713年)五月二日、次のような官命が出されました。


一、畿内七道諸国の郡・郷名に好い字をつける。

二、(一)郡内の所産の銀・銅・彩色・草木禽獣魚虫等の種類、(二)土地の肥沃、(三)山川原野の名の由来、(四)古老の伝える旧聞異事等を史籍に記して報告する。


一の好い字をつけるって、漢字を当て字してねって事でしょうね。

なんか面白いです。

畿内七道っていうのは、以前出雲国造の勉強した時に出てきたやつです。

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懐かしいですね・・・。


で、出雲国の郡はこんな感じでした。

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『出雲国風土記』には、天平五年(733)当時に出雲国を構成していた九郡が、

・意宇(おう)
・島根(しまね)
・秋鹿(あきか)
・楯縫(たてぬい)
・出雲(いずも)
・神門(かんど)
・飯石(いいし)
・仁多(にた)
・大原(おおはら)

の順で載っています。

なんでわざわざ順番を書いたかというと、一番初めの意宇郡の部分に「国譲り」のエピソードが出てくるからです。

まず意宇郡の総記があり、次に意宇郡にある郷(=さと)の場所とその名の由来について説明があります。

で、その意宇郡の郷の解説の初っ端に来るのが、母理郷(もりごう)。


『郡家の東南三十九里百九十歩の所にある。

所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の大穴持命(おおなむちのみこと)が、高志(こし)の八口(やぐち)を平定なさってお帰りになる時、長江山においでになっておっしゃられたことには、

「わたしが国作りをして治めている国は、皇御孫命(すめみまのみこと)が平和に世をお治めになるようお任せ申し上げる、ただ八雲立つ出雲国は、わたしが鎮座する国として、青く木の茂った山を垣の如く取り廻らし、玉の如く愛でに愛で正して守りましょう。」

とおっしゃられた。

だから文理という。神亀三年(726)に字を母理に改めた。』


ここがまず『古事記・日本書紀』とは違うところです。

『古事記・日本書紀』では記載の無かった、出雲国は自分が守るという言葉が載っています。

更には大国主さんの名前まで違う。



坂本さんの本によりますと、

『古事記』では、

大国主という名が16回
大穴牟遲(おほなむぢ)が9回
葦原色許男(あしはらしこを)が3回
八千矛(やちほこ)が2回

『日本書紀』では、

大己貴神、または大己貴命が21回
「一書にいう」という形で
大国主が2回
その他の呼び方が1回ずつ

なのだそうです。



が、『出雲国風土記』では大国主という名が一度も出てきません。

出てくるのは、
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)が20回
所造天下大神の大穴持命(おおなむちのみこと)が8回
その他として
大穴持命が1回
大神命が1回
大神大穴持命が1回

だそうです。

ちなみに所造天下大神は、国土を造った偉大な神、という意味だそうです。

なのですが、『出雲国風土記』では出雲国内の話に終始し、よその国の話は上記の国譲りに出てくる高志(=越)くらいです。

ちなみに越はどこだったかというと、

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濃いオレンジ丸のところです。

更に頑張ってこういうのも作ってみました(`・ω・´)

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手元の資料には8世紀の行政区分からしか載っていなかったので、8世紀です。

越はこの図では越前となっています。

越前の右横には越中・越後と続いていきます。



で、話が逸れましたが、以上の結果から大国主という名は地元出雲では使われていなかったと推測されます。

『日本書紀』においても「一書にいう」に2回出てくるのみなので、大国主という呼び方は『古事記』を編纂した者が作った名の可能性が高い、と推測されました、坂本さんが



更に坂本さんは面白い推測をされています。

『古事記』の各章を細分化し、①大国主と②大穴牟遲、③葦原色許男、④八千矛の登場回数を数えられています。

上巻-3 天照大神と須佐之男命の場面では、
①が11回、②が1回、③が1回、④が1回

上巻-4 大国主命の場面では
①が9回、②が8回、③が2回、④が1回

上巻-5 葦原中国の平定の場面では、
①が6回、②〜④が0回

上巻-6 邇邇藝命(ににぎのみこと)の場面では、
各0回

となっています。

以上の事から坂本さんが推測されたものは、

上巻-4 「大国主命」では様々な名前が登場し舞台も出雲・因幡・伯耆・越に及んでいる事から、『古事記』のこの部分は、これらの地の実際の伝承を取り入れた可能性が高い。

上巻-3「天照大神と須佐之男命」・5「葦原中国の平定」においては、ほぼ大国主しか使われていない事から創作された可能性が高い。

『日本書紀』においては、大己貴に統一するという方針が貫かれた可能性が高い、との事です。


明日も続きます。


☆・゜・*:.。.*.。.:*・☆・゜・*:.。.*.。.:*・☆・゜・*:.。.:*・☆


それでは本日も良い一日を~。

musica 「坂本さんの本、今回は普通に面白く読めました」

スーさん 「この氏族シリーズで勉強したおかげだね」

m 「はい。て言うか、まず出雲の勉強をさせておいて、それから七支刀に似た木を見せて物部氏の勉強をさせ、その過程でまた出雲に戻るって、すっごい手の平コロコロですね!」

ス 「これが守護の導きw」


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by garoumusica | 2016-03-02 05:04 | 古代氏族 | Comments(0)
はい、という訳で本日は出雲国造神賀詞の続きです。




出雲国造神賀詞に出てくると思われる神社を描いたものがこちらでした。

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で、私は勝手に神武天皇の宮を四方向から守護しているんだな、と思ったのです。

なんでまた国を譲らさせれた上に守護まで買って出たのか・・・。

磐余彦さんが出雲系の人と結婚したからでしょうか。

と思っていたのですが、古代の日本では前勢力(王権?)を倒して新しい国を造った時には、その殺害した前勢力の王を祀って新しい国を守護させる、という習慣があったのだそうです。

それは祟りを恐れてなのか、残っている前勢力の怒りを鎮める為なのかは分かりませんが。

残念ながら、この話のソースを忘れてしまったんです・・・。

自分としてもソースが分からなくてスッキリしないのですが、その風習が本当にあったのだとしたら、大国主一族は磐余彦勢に惨殺されたって事なんですかね?

だから白梼原宮を守護する様に祀られた。

という事を考えると、出雲国譲り神話はますます創作されたもの臭くなって来ました・・・。



スーさんがなんで出雲国造神賀詞を読めと言ったのか、その意図を考えてみると、やはり数日かけて見てきた神社の並びと、それらが守るもの、そして更にそれらの事実が示すものを知らせたかったのだろうなと。

私としてはスーさんっ子なんで、彼らの神話を否定する様な事をするのは嫌なんですけど・・・(´・ω・`)

つっくんとアマテラねぇちゃんのセリフを思い出します。

「なかなか酷な事をなさいますなぁ・・・」

「これが為政者というもの」



さてさて前回、出雲国造神賀詞の記事を書いた時に『出雲国造家にはちょっと異なる日本神話がありそう、見てみたいですねぇ』と書いたのです。

それに関して記事を書いた後にスーさんから助言を受けました。

その為の出雲国風土記だろう?と。

なるほど!

て言うか、記事にしてアップする前に教えて!(´Д` )



古事記の完成が712年。

全国に風土記の作成を指示したのが713年。

出雲国造が出雲神話に関してリベンジするならココですね!

そして出雲国風土記が完成したのは、なんと!733年!

20年の歳月がかかっています・・・!

気合が入ってますね。

きっと日本書紀(720年)の内容もチェックして書いたのでしょうねぇ・・・。

そう考えると、結構つまんない風土記が楽しく読める気がしてくるから不思議です。

風土について纏めただけの本ですから、結構つまんないんですよね・・・。

私が持っている風土記は島根県古代文化センターが編集されたもので、コラムとか解説などは読んでいてすっごく面白いのですけど、風土記そのものは結構つまんないです。→解説 出雲国風土記

ちなみに現存するよその地域の風土記で成立が分かるものは、常陸国風土記(ひたちのくにふどき)が721年、播磨国風土記(はりまのくにふどき)が715年、あるいは717年となっています。



さてさて、この風土記を見直していかなければいけないのかー、と溜息をついていましたところ、スーさんにこの本を読み直しなさいと言われた本があります。


これ、2年前に出雲旅行に行く前に読もうとしたのですが、当時は歴史に疎かったので読めなかった本なのです。

寝ちゃって・・・。

で、早速パラパラとめくってみましたら、なんと!坂本さんが出雲国風土記に出てくる神話について、分かりやすく纏めてらっしゃる・・・!

ラッキー!と思って、読もうとしているところです←読んでない。


明日は読んでると思います。

多分。


☆―(*´・∀・`)―☆―(´・∀・`*)―☆―(*´・∀・`)―☆―(´・∀・`*)―☆


それでは本日も良い一日を~。

スーさん 「本が読めない時、れは今読む時ではないという事だ」

musica 「知識がある程度ないと読めないものもありますもんね」

ス 「君の場合は時機ではなかったのだ。そして今がその時機だ」



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by garoumusica | 2016-03-01 05:05 | 古代氏族 | Comments(0)
本日は出雲国造神賀詞のお勉強の続きです。




昨日の記事で神社が分からなかった阿遅須伎高孫根命(あじすきたかひこねのみこと)葛木の鴨の社

コメント欄にて、ここではないですか?という神社を教えてくださいました。

如月さん、ありがとうございました。

高鴨神社だそうです。

で、昨日の地図を完成させますとこんな感じ。

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うん、菱形w

四つの神社だからきっと結界だろうと思ったのですが、結界ならもうちょっときれいな四角を描いても良さそうですよね。

と、神社の位置関係を調べて思ったのですが、結界の中に入りそうなモノを考えてみたら、この菱形を納得できました。


菱形に入るモノ、こちら!

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白梼原宮(かしはらのみや)!

神武天皇の宮です(`・ω・´)+


画像の右下に方角を示すものを書いたのですが、この宮からの位置関係を見ますと、なんと!

大神神社が鬼門に!

裏鬼門には高鴨神社が!

なるほどねぇ~~~・・・。



最初は藤原京かと思ったのです。

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藤原京でも良さそうな気がしたのですが、出雲国造神賀詞を奏上したのが716年。

という事は、この時すでに都はHey!Joe!京!

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※都の大きさは適当です。

出雲の四神が守ったのは白梼原宮で良さそうですね。



ですけど、ちょっと変な感じがします。

出雲国造神賀詞では、大国主さんがこの位置関係で祀ってねって国譲りの時に言った、と言っている訳です。

でも、実際にニニギさんが天孫降臨したのって、高千穂な訳ですよね?

それから179万2470年、天孫は日向でのんびりと暮らしていた訳ですよね?(←日本書記に書いてある)

でもなんで大国主さんは国譲りの時点で、三輪から葛城にかけてのあのヤマトの地を指定したんでしょうね?

エスパー?※神様です。

まぁ約180万年ほど日向でのんびり暮らしていたっていうのが、まず変な感じがする訳ですがwww



他にも出雲国造神賀詞ってよく読んでみると、変なところがあります。

国譲りの指示をした人が高御魂命となっているのです。

天照大神じゃないんです。

天穂日命の間違いも訂正しているところを見ると、出雲国造家にはちょっと異なる日本神話があるんでしょうねぇ・・・。

あるなら見てみたいですけどねぇ|ω・`)チラッ

大人の事情もありそうですし。。。

それにしても出雲国造さん、結構なロックな精神をお持ちですよね。

面白いです。



特に、716年に平城京でこの神賀詞を読み上げたのでしょう?

それなのに、大国主さんが守っているのは白梼原宮と言っているのです。

これって、

「遷都した後の事は、一切関知致しません」

って、わざわざ宣言している様にも聞こえる気がするのですが、どうですかね?

うがち過ぎ?

あ、5時過ぎちゃったのでまた明日です(`・ω・´)+

という訳で、今日も更新が遅れました。。。

すみません・・・。


(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)


それでは本日も良い一日を~。

スーさん 「悔いの無い一日を過ごしなさい」


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by garoumusica | 2016-02-28 05:21 | 古代氏族 | Comments(2)
本日も物部氏探索の続きです。




昨日の記事を書いた後、スーさんが出雲国造神賀詞について調べろと言うので、今からちょっと調べてみたいと思います。

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)。

これは出雲国造が新しく就任した時に、天皇に対して奏上する寿詞(よごと)の事です。



出雲国造神賀詞の全文はこちらのサイトにありました。→日本神話と古代史

このサイトのメニュー「その他文献」に現代語訳と共にありますので、ご覧ください。

内容に関してですが、初めの部分は天皇に対する挨拶と、ほんのり出雲の自慢と、これだけ禊ぎして来たぜ、みたいな感じ。

中盤は国譲りの内容が入ります。

これ、ちょっと面白いのですが、この神賀詞を奏上したのが716年。

古事記が出来たのが712年。

で、このタイミングで古事記の内容と異なる内容の神話を神賀詞に入れるって、なかなか面白いですよね。

古事記に書かれた国譲りの場面での自分達の祖神に対する誤り(?)を、天皇に向かって訂正している訳です。

以前、このシリーズで出雲国造家を調べた時にも記事にしました。→出雲国造家 祖神・天穂日命編。

ですが、出雲国造の訴えむなしく、720年に編纂された日本書記での天穂日さんの扱いは、変わる事はありませんでした。



で、今回スーさんが調べろと言ったのは多分ここの部分です。


『己命の和魂を八咫の鏡に取り託けて、倭の大物主櫛甕玉命と名を称へて、大御和の神奈備に坐せ、己命の御子阿遅須伎高孫根命の御魂を、葛木の鴨の神奈備に坐せ、事代主の命の御魂を宇奈提に坐せ、、賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備坐せて、皇孫の命の近き守り神と貢り置きて、八百丹杵築の宮に静まりましき』


まず大穴持(おおなむじ=大国主)さんの和魂を八咫鏡にコピ―して、それを倭の国の大物主櫛甕玉(おおものぬしくしみかたま)と名付けて、三輪山に鎮座させます。

大神神社の事でしょうね。

それから大穴持さんの子供の阿遅須伎高孫根命(あじすきたかひこねのみこと)を、葛木の鴨の社に鎮座させます。

これはちょっとどの神社に当たるのかよく分からないです・・・。

で、事代主さんの御魂を宇奈提(うなて)に鎮座させます。

河俣神社らしいです。

更に、賀夜奈流美(かやなるみ)さんの御魂を飛鳥の社に鎮座させます。

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)だそうです。

彼ら四神で皇御孫命(=天照大神の子孫)の御親近の守護神としました。

そして最後に大穴持さん自身は八百丹杵築宮に鎮座しました。

八百丹って言うのは杵築の枕詞だそうです。

ちなみに、この頃は出雲大社ではなく杵築大社と呼ばれていました。



あ、五時になってしまった・・・。

という訳で今日はここまでです。

また明日に続きます。


☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡


それでは良い週末を~。

スーさん 「休む時は休む、働く時は働く。どちらか片方だけではバランスが崩れてしまう」


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by garoumusica | 2016-02-27 05:08 | 古代氏族 | Comments(2)
はい、本日も古代氏族物部氏の続きです。




昨日は「て言うか天津神・饒速日さん、国津神・大国主の孫と結婚してたんですか!?」で終わりました。

鈴木真年さんの『史略名称訓義』と、丹後宮津藩主本荘氏の『本荘家譜』という系図に、「長髄彦(ながすねひこ)さんは大国主さんの子供の事代主さんの子供」と書いてあるそうで・・・。

ちなみに鈴木真年さんの『史略名称訓義』は、国会図書館のデジタルなんとかで読む事が出来ます。

検索してみたら「国立国会図書館デジタルコレクション」でした。

これです。→史略名称訓義. 上

始めは崩し文字で読みにくいのですが、名前の説明に入ると読みやすい文字で書いてあるので、興味のある方は覗いてみてください。

パソコンで見ると扱いやすくて良いかもです。

ちなみに私は適当にページを開いたら、スーさんの所でしたw



で、長髄彦さんの出自を調べていたら、なんとなく磐余彦(いわれひこ=神武)さんの奥さんの事が気になり、改めて古事記と日本書記を読んでみたら、普通に載ってました。

磐余彦さんの奥さんは、古事記では比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)、日本書紀・先代旧事本紀では媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)という方。

で、その両親が古事記では大物主と勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)、日本書記・先代旧事本紀では事代主と玉櫛媛なのです。

まとめてみました。

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磐余彦さんも饒速日命さんと同じく国津神を娶っています。

まぁ国津神の女しかいない訳ですから、当たり前って言えば当たり前なんですけど、出雲系の方を娶っているのが面白いと言うか。

で、うろ覚えですけど、これからしばらく天皇家は出雲系の姫を娶っていたはず。

まぁ後できちんと調べてみますが。。。

でも、ちょっと不思議な感じですね。

天皇家には始めから出雲の血が入っている訳ですから。

・・・(´・ω・`)

また今度考える!(ノ)’∀`(ヾ)



はい、という訳で、今までの内容と今日の内容を併せてみるとこんな感じ?

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事代主さんのお母さんは神屋楯比売(かむやたてひめ)さんって言うらしいです。

で、建御名方さん≒長髄彦さんっていうのもあったので、ちょっと書いてみました。

お母さんが不明みたいですね、この人・・・。

しかも古事記にしか出てこないですし。

そう言えば長髄彦さんには安日彦(あびひこ)さんっていうお兄さんがいて、神武東遷の時に東北に逃げたという説もあるとか。

それが建御名方さんって感じなのでしょうか???

・・・(´・ω・`)

また今度考える!(ノ)’∀`(ヾ)



で、国譲りって何なんだろう?って疑問に思います。

まず一回目が出雲における国譲り。

二回目が大和における国譲り。

どちらも出雲系、登場人物もなんとなく近い。

ここで思い出すのが、古代氏族物部氏 長髄彦と神武東遷編 その1。で触れた、


「多次元同時存在の法則」


『違う神であっても名前の意味が同じであれば同一神、名前が違っていても神話のストーリーが同じなら同一神、さらに違う系図に同じ神の名があれば、その間にいる神々も同一神』という法則で、八百万と言われるほど膨大な日本の神々を整理する時に極めて強力な効果を発揮する、ってやつです。

これって、ここでも応用で使えそうですよね・・・。



神の部分を神話に変更して応用した場合、出雲の国譲り神話と大和の国譲り神話、これが同一の神話だとすると。

客観的な事実を基に検討すると、消えて無くなるのは当然出雲の国譲り神話。

グッバイ、出雲神話・・・(´;ω;`)



あ!そう言えば出雲国風土記はどうだったかな。

確か出雲国風土記には、事代主さんも建御名方さんも出て来なかった気がします。

須佐之男さんも超脇役な農業神でしたし。

そして大国主さんの国譲りも、「出雲国以外は譲る」みたいな感じだった気が・・・。

・・・(´・ω・`)

忘れちゃいました!(ノ)’∀`(ヾ)

グッバイと言うのはきちんと調べた後にします(`・ω・´)+


という訳でお絵かきの進み具合によっては、明日も続きをするかもです。

無かったら適当なスーさんブログです。


(o・ω・o)ノ++++++++++ヽ(o・ω・o)


それでは本日も良い一日を~。

スーさん 「一月(いちげつ)往(い)ぬる、二月(にげつ)逃げる、三月(さんげつ)去る。一日一日を大切にしなさい」

musica 「昔はいちげつっていう言い方だったのですか・・・」



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by garoumusica | 2016-02-26 05:00 | 古代氏族 | Comments(1)
はい、本日も長髄彦さんと神武東遷の巻の続きです。




今日もこの図から行きます。

とりあえず今はざっくりとした説明だけですが・・・。

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⑦熊野村(くまのむら)

・ここに上陸するまでに暴風雨に遭った為、陸でも海でも進軍が阻まれる事を憤慨したお兄ちゃんの稲飯(いない)さんと三毛入野(みけいりの)さんが入水(人身御供)しました。

・磐余彦さんは息子の手研耳(たぎしみみ)さんと共に、熊野の荒坂津=丹敷(にしき)の浦に進み(て言っても⑦のすぐ近く)、丹敷戸畔(にしきとべ)を殺します。

・その後、熊の形を借りた土地神の毒気を受け、磐余彦さん達は倒れます。

・その窮地を救ったのが熊野の高倉下(たかくらじ)さんです。

・高倉下さんは高天原より霊剣・布都御魂を賜り、布都御魂を磐余彦さんの元へ持参したところ、毒気を浴びた磐余彦一行は目を覚ます事が出来ました。

(ちなみにちょっと前に布都御魂に関して記事にしていました。→古代氏族物部氏 石上神宮 布都御魂大神編。古代氏族物部氏 石上神宮 布都御魂大神編 つづき。

・天照大神より八咫烏を賜り、八咫烏の案内により熊野から吉野河に至ります。

⑧吉野河

・国津神の贄持之子(にえもつのこ)さん、井氷鹿(いひか)さん、石押分之子(いわおしわくのこ)さんに出会います。

・彼らは味方です。

・更に八咫烏に案内をしてもらいます。

⑨宇陀(うだ)

・兄宇迦斯(えうかし)・弟宇迦斯(おとうかし)の兄弟に会います。

・この二人に八咫烏を遣い、磐余彦さんに仕えるかどうか確認すると、兄宇迦斯さんは八咫烏を追い返し弟宇迦斯さんに磐余彦さんを迎撃すると言い、謀略を巡らします。

・一方の弟宇迦斯さんは磐余彦さんに恭順、兄宇迦斯さんの謀略を曝露し、磐余彦さんと共に兄を殺します。

⓪忍坂(おさか・おしさか)

・敵がいっぱいいて困った磐余彦さん、占いをしたりします、おっとめ~。(この辺ちょっと⑨と⓪が混じってそうですが、気が向いたら後日細かく見ていきます)

・土雲(つちぐも)の八十建(やそたける)さんが室屋(むろやー洞穴)に集結し待ち構えていました。

・磐余彦さんは八十建さんに御馳走を振る舞い、油断させたところで惨殺します。

・で、ここで再び長髄彦さんと戦います。

・更に大和国磯城の豪族・磯城兄弟に遭遇→戦います。

・再び八咫烏を送りますが、兄磯城(えしき)さんは拒絶し惨殺、弟磯城さんは恭順します。

・その後、饒速日さんがやって来て長髄彦さんを殺し、磐余彦さんに国譲りをします。

ラスト!白梼原(かしはら)

・ここで即位です。



はい!やっと長髄彦さんに入ります!

長髄彦さん、古事記にも日本書紀にもたいした説明はありません。

古事記には登美の那賀須泥毘古とあり、日本書記に至ってはほとんどスルーです。

で、先日購入させられた三輪氏の本を読んでみたところ、この様な説明がありました。

江戸時代から明治時代にかけて活躍した鈴木真年さんの『史略名称訓義』という本には、この様に書かれているそうです。


「大和国城上郡登美の人、長髄も同所の邑(むら)名、飛鳥事代主の子」


・・・(´・_・`)。

ハイ?(・・?)

事代主の子!?Σ(・□・;)

・・・( ゚д゚)

だって事代主さんって大国主さんの息子さんでしょ???

国譲りの時に大国主さんが息子の意見を聞いてくれって言って、最初に指定した人が事代主さんですよね???

その事代主さんのお子さんが、長髄彦さんなんですか???

磐余彦さんの宿敵の長髄彦さん!?



もうひとつ記述がありました。

丹後宮津藩主本荘氏の『本荘家譜』っていう系図にある、長髄彦さんの妹の三炊屋媛(みかしぎやひめ)と饒速日命の間に出来た、宇摩志麻遅(うましまじ)さんの注にこうあるのだそうです。

母飛鳥大神の女(むすめ)、登美夜毘売」

この飛鳥大神っていうのは事代主さんの事らしいです。

ネットで調べてみたらあんまり出てこないですし、朝鮮系の王子にもこの名前を使っているそうなので、いまいち出典が掴めないですが・・・。



あー・・・、つまりアレですか?

三輪山の神様=大物主=大国主の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)

大国主の子供=大物主の子供=事代主

事代主の子供=長髄彦・三炊屋媛

大物主の子供の子供だったら三輪山の麓を治めていてもおかしくないよねって事ですか?

て言うか天津神・饒速日さん、国津神・大国主の孫と結婚してたんですか!?

そして婿入り?

えー、これってもしかしてスサノオさんと同じパターン?

ファー――!!!


明日はお絵かき曜日ですが、いい所なんで多分続きを書きます。


■゚Д゚■゚Д゚■゚Д゚■゚Д゚■■゚Д゚■゚Д゚■゚Д゚■゚Д゚■゚Д゚■゚Д゚■


musica 「ねぇスーさん。昨日の神武東遷のところで『戸畔というのはヤマト王権以前に使われていた称号の一つで、4世紀以前の女性首長の名称に使われた』って書いたのですが」

スーさん 「うむ」

m 「こういう言葉があるって事は古代は女性首長が結構居たって事ですよね?」

ス 「そうだね。この部分だけでも二人出て来たし、今回省略した部分にも勇猛果敢な女性の記述があったね」

m 「はい。面倒だったから略しちゃったwで、話は変わりますが、稲田姫物語の時にスーさんやアマテラねぇちゃんが、稲ちゃんの事を『次期首長』扱いしていたのがすごく不思議だったんです」

ス 「フフフ」

m 「なので、今回畿内における神武東遷を調べて、ようやく納得出来ました」

ス 「だから君にずっと神武東遷を調べろと言ってたのだ。君が私の言う事を聞かないから(以下略)」


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by garoumusica | 2016-02-25 05:00 | 古代氏族 | Comments(0)
はい、本日も長髄彦さん特集です。




長髄彦さんは磐余彦(いわれひこ=神武天皇)さんの宿敵と言われています。

それは何故かと言いますと、磐余彦さん達が畿内に乗り込んだ際に、一番初めに闘い敗れた相手であり、そしてお兄ちゃんの五瀬(いつせ)さんを殺した相手だからです。

ちょっとここで畿内における神武東遷のルートの確認をしてみます。

f0351853_01423039.jpg

吉備(岡山)から畿内へ向かう為、まず辿り着いたのが、

①速吸門(はやすいのもん)

・明石海峡です。

・ここでですね、国津神の珍彦(うづひこ)さんと出会い、水先案内人を務めてもらいます。

・なんでもこの人、『古事記』では亀の甲羅の上に乗っていたらしいですよ!

・後に磐余彦さんから椎根津彦(しいねつひこ『日本書紀』)、槁根津彦(さおねつひこ『古事記』)という名前を貰います。

・倭国造(やまとのくにのみやつこ・やまとこくぞう)の祖となります。

・ちなみに倭国は大和国の中央部にあたる領域です。

②浪速渡(なみはやのわたり)

・潮が速く急流であった為、磐余彦さんが「浪速」と名付けたそうです。

・この場所を超えて河内湖に入ったそうです。

(↑間違えて現代の地図を描いてしまい分かりにくいので、下の図で予想してください(`・ω・´)+)

f0351853_03125874.jpg

余計な図が入って分かり難いのでもう一度東遷の図を。

f0351853_01423039.jpg

③白肩津(しらかたのつ)

・ここで長髄彦さんと出逢います!

・上の図では陸地になっていますが、当時は船で行ける場所でした。

・生駒山の北を越えて侵攻しようとした磐余彦さんですが、③あたりにある孔舎衛坂(くさかざか、くさえのさか)で応戦した長髓彦さんにまさかの敗戦。

・ここでお兄ちゃんの五瀬さんの肘に、長髄彦さんの放った矢が当たります。

・ちなみに矢で受けた傷の事を痛矢串(いたやぐし)といいます。←どうでもいい知識。

④血沼海(ちぬのうみ)

・五瀬さんが血の付いた手を洗った場所です。


⑤男之水門(おのみなと)

・男の水門ってwナニの事?

・( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン

・この場所で五瀬さんの傷が悪化し、お亡くなりになります。

・その時に「賊に傷つけられて死ぬとは!」と雄叫びをあげたので、「雄水門(おのみなと、男之水門)」と呼ぶようになったのだそうです。

・男の水門(=ナニ)ではなかったです( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン

⑥竈山(かまやま)

・五瀬さんの遺体がこの地に安置されました。

・その後、この周辺にある名草邑(なぐさむら)に着き、名草戸畔(なぐさとべ)という名草邑の統治者である女性と戦い、殺します。

・磐余彦さんイライラしてたんでしょうね、名草戸畔の頭、胴、脚を切り離しちゃったんだそうです。クソですね。

・ちなみに戸畔というのはヤマト王権以前に使われていた称号の一つで、4世紀以前の女性首長の名称に使われたそうです。

⑦熊野村(くまのむら)

・ここに上陸するまでに暴風雨に遭った為、陸でも海でも進軍が阻まれる事を憤慨したお兄ちゃんの稲飯(いない)さんと三毛入野(みけいりの)さんが入水(人身御供)しました。

・なんでも「母も叔母も海神であるのに、どうして我々は波によって進軍を阻まれなければならないのか」と言って、身を投げたそうです。

・ちなみにお母さんは玉依姫(たまよりひめ)→日向神話を巡る旅 皇子原神社編。で、叔母さんは豊玉姫(とよたまひめ)→日向神話を巡る旅 鵜戸神宮編。日向神話を巡る旅 青島神社編 その1。、おじいちゃんは綿津見大神(わたつみのかみ)です。

・磐余彦さんは息子の手研耳(たぎしみみ)さんと共に、熊野の荒坂津=丹敷(にしき)の浦に進み(て言っても⑦のすぐ近く)、丹敷戸畔(にしきとべ)を殺します。

・現在の新宮市(しんぐうし)の御手洗海岸は、丹敷戸畔を殺した際に着いた血を洗い流した為、その名が付いたそうです。

・その後、熊の形を借りた土地神の毒気を受け、磐余彦さん達は倒れます。


なんだか時間が無くなったのでまた明日~。


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆


それでは本日も良い一日を!

スーさん 「君は余計な豆知識を書き過ぎるのだ」

musica 「男の水門・・・」

ス 「・・・」


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by garoumusica | 2016-02-24 05:00 | 古代氏族 | Comments(0)
本日より再開します、古代氏族シリーズです。



皆さまお元気でいらっしゃいますか?

私は回る椅子の上で体育座りをして、思わずくるくると回ってしまいたくなる気分です。

スーさんの掌の上でコロコロと転がされっぱなしですから・・・。



なんでこんなにやさぐれているかと言うと、アレです。

一昨日の記事で稲田姫物語の国譲りの私の予想を述べさせられたのですが、その時にスーさんにタケミナカタとナガスネヒコの類似点を勉強してみなさいと言われまして。

ですがその時私はナガスネヒコの奈良とタケミナカタの長野では場所が遠いからあんまり関係が無いんじゃないのかな?と思ったのです。

そして昨日、月曜になってお絵描き曜日が終わったのでようやく本読みを開始したのです。→神武東征とヤマト建国の謎 日本誕生の主導権を握ったのは誰か?

で、ざっくりと読んだところで眠気が・・・。

MUJIの人をダメにするソファーで軽く寝たら2時間経過・・・。

そして目が覚めてからなんとなく手に取った本、先日スーさんに行けよ?と言われて行ったブックオフで見つけた三輪氏の本。

f0351853_04593697.jpg

ヤマト王権は三輪山の麓で栄えましたから、その三輪山をご神体とする大神神社の祭祀者の三輪氏の勉強をさせたいのだろうな、と思って購入したのです。

で、なんとなく目次を読んでいると、なんと!

「長髄彦と磯城県主の系譜」という項目があり、更に

諏訪神族の東国移遷」

という文字が・・・。

慌ててその章を見ると、ありました、建御名方命のお名前が・・・。

ファーーー!!!

そこしか読んでい無いのでなんとも言えないのですが、建御名方命の別名が『建御名方富命(南方刀美神)』とも言われ、『富』『刀美』が地名の『登美』に当たるなら、長髄彦さんの別名『登美能那賀須泥毘古』に通じるものがあると書いてありまして・・・。

思わずここで本を閉じてしまいました。

もうこの掌のコロコロ感がすごくイヤ・・・。

そのコロコロっぷりがこのブログにしっかりと記録されているのがなんだか悔しいし、世に晒されているのも恥ずかしい・・・。

・・・稲田姫物語で自分がされて嫌だった事は人にしちゃダメですよ?スーさん!



しかもこの本が言っている事がなんとなく分かるのです。

この古代氏族シリーズが途絶えた原因となった秦氏シリーズ。

この時に日ユ同祖論と学んだのですが、そのとき読んだ本にこうあったのです。→日ユ同祖論対談 飛鳥昭雄×久保有政

籠神社の海部光彦宮司によって明かされたという「多次元同時存在の法則」

これは『違う神であっても名前の意味が同じであれば同一神、名前が違っていても神話のストーリーが同じなら同一神、さらに違う系図に同じ神の名があれば、その間にいる神々も同一神』という法則だそうで、八百万と言われるほど膨大な日本の神々を整理する時に極めて強力な効果を発揮するそうなのです。

この古代氏族シリーズの間に日ユ同祖を学ばせたのもその為なんですかね・・・。

あーーー、もーーー、椅子の上で体育座りをしてくるくる回りたくもなるわーーー!!!



はい、という訳で今日から長髄彦さんを勉強してみたいと思います。

きちんと思い出したいという方はこちら!


以前長髄彦さんが出て来た時の記事の転載↓です。



饒速日さんが古事記に出て来るのは伊波礼琵古(いわれひこ)の東遷のラスト、大和地方で東征に最後まで抵抗した伊波礼琵古さんの宿敵である登美能那賀須泥毘古(とみのながすねひこ)を討った時です。

邇藝速日(古事記バージョンの漢字)さんは伊波礼琵古さんにこう言います。

「天の神の御子が天からお降りになったと伺いましたので、後を追って降って參りました」

それから天から持って来た宝物を捧げ、伊波礼琵古にお仕えしましたとさ。

そしてこの後にこう続きます。

この邇藝速日命が登美能那賀須泥毘古の妹・登美夜須毘売(とみやすびめ)と結婚して産んだ子が宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)で、これが物部連・穂積臣(ほづみうじ)・采女臣(うねめうじ)の祖先です、と。



つまり、長髄彦(←日本書紀バージョンの漢字です)さんは饒速日さんの義理のお兄さんにあたります。

物部氏の祖とされる宇摩志麻遅さんのお母さんのお兄さん=伯父さん。

長髄彦さんは饒速日さんがヤマトに来る前にこの地を治めていた豪族でした。

f0351853_03125874.jpg

この図には生駒山脈しか描いていませんが、オレンジ色の大和国と書いてある部分の右下あたり(もしくは大和湖と書いてある右横あたり?)に三輪山があります。


明日に続きます。

本日の更新はやさぐれていたのでちょっと遅れました。

すみません。。。


◎・v・●・v・○・v・◎・v・●・v・○・v・◎・v・●・v・○・v・◎


それでは本日も良い一日を〜。

スーさん 「相手の掌の上で転がされているように見えながら、実は自分が相手を掌の上で転がしている、男と女とはそのようなものだ」

musica 「自分は稲ちゃんに完敗の癖に!」

ス 「一見そう見えるかもしれないが実は・・・」

m 「負け惜しみですか?( ̄▽ ̄)」

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by garoumusica | 2016-02-23 05:14 | 古代氏族 | Comments(2)
本日も饒速日命編です。




『古事記』ではあっさりとした扱いだった饒速日(にぎはやひ)さん。

『日本書紀』ではまず神武天皇の巻の冒頭、磐余彦(いわれびこ=神武天皇)さんによる噂話に出てきます。



磐余彦さん(45歳)、お兄ちゃんや子供達の前でおおいに語ります。

「(略)塩土老翁(しおつちのおじ、潮流を司る神・航海の神・製塩の神)に聞いたところ、

『東方に四方を青山が囲んだ美しい国があります。その中に天磐船(あまのいわふね)に乗って飛び降った者がおります』

と言っていた。私が思うに、その国は必ず天つ日嗣(あまつひつぎ)の大業を弘め、天下に君臨するのに相応しい土地である。まさしく我が国の中心地ではあるまいか。天から飛び降ったという者は饒速日であろうか。その地へ行き都を定めるとしようではないか」

そして諸皇子もこう言いました。

「道理は誠に明白です。我々も常々その様に思っておりました。速やかに実行されますように」

その年の十月五日に磐余彦さんは自ら諸皇子・水軍を率いて東征に出発しましたとさ。

※この文の中に出てくる「天つ日嗣」というのは、日の皇子として皇祖の霊を受け継ぐ事だそうです。「日の皇子」というのは日の神(天照大神)の霊を継ぐ皇子を「日の皇子」といい、皇位を継承することを「日継」とも言うそうです。



上記の赤字部分が饒速日さんの事です。

磐余彦さん、東方の地ですでに饒速日さんが天降りし統治していたのを知っているのにもかかわらず、その地に自分で都を定めるなどと言っています。

なんでしょう?現地の親戚を頼って遠方の地に引っ越す感覚ですかね?



ところでこの饒速日さんが治めていた美しき東の国には彼が名付けた正式名称がありまして、それが『日本書紀』に載っていました。

国号と言うのですが統治する者が変わる度に変更されています。

まず伊邪那岐(いざなぎ)さんが「浦安の国 (心安らぐ国の意 ) 」「細戈の千足る国 (くわしほこのちだるくに=細戈がたくさん備わっている国の意 )」「磯輪上の秀真国 (しわかみのほつまくに=石で周囲を囲み 、中心を高く盛り上げる祭壇をもつ 、最も秀れた国 の意) 」と呼んでいます。

それから大己貴(おおなむち=大国主)さんは 「玉牆の内つ国 (たまがきのうちつくに=美しい垣のような山々に取り囲まれている国 ) 」と名付けました。

で、饒速日さんは天磐船に乗って大空をめぐり行き、この国を見下ろして天降ってきたので 「虚空見つ日本の国 (そらみつやまとのくに=大空から見て良い国だと選び定めた日本の国 ) 」と名付けました。

そして天皇に即位した磐余彦さん(52歳)は、腋上(わきがみ)の地に立ってこう言います。

「内木綿(うつゆう←意味がよく分かっていないらしいです)の狭い国というけれども 、蜻蛉(あきづ=とんぼ)が交尾して飛んで行くように 、山々が続いて囲んでいる国のように見える 」

そうして美しき東の国を秋津洲(あきつしま)と名付けました。

・・・(´・_・`)

えっ!?Σ(・□・;)

とんぼが交尾をしている様に見えるから秋津洲って名付けたんですかい!?

・・・。

饒速日さんまでは結構いい感じのネーミングだったものが、ここに来てとんぼの交尾とは・・・。

とんぼの交尾っていうのは円を描いている様に見えるらしいんです。

それに加え、とんぼは秋の精霊で五穀豊穣を意味するとかなんとか。

交尾という行為自体も子孫繁栄の為であり豊穣に繋がるので縁起が良いとかで、秋津洲はとんぼが数多く飛び回る程に作物が豊かに実る国、と言う意味を持つそうです。

は〜〜〜・・・。

ギャグのつもりで言ったのに真面目に取られ採用されてしまったパターンだったら、なんだかちょっとイメージアップですけどねぇ・・・(´・_・`)

少年の心を持つ52歳の磐余彦さんでした。

ちなみに古代のヤマト地方はこんな感じです。

f0351853_03125874.jpg


よく分からない上、描きかけですけど・・・(´・_・`)

大和国と書いてあるのが秋津洲だと思われます。

で、大和国の周りはまだ描いていないですけど山々に囲まれていて、とんぼの・・・。

・・・(´・_・`)


∋(´・ω・)o/・*:..。o○☆゚+。*゚¨゚゚・*:..。o○☆゚+。*゚¨゚゚・*:..。o○☆゚


それでは本日も良い一日をお過ごしください!

南方先生 「体調を崩しやすい時期だ。少し着過ぎかな?と思う位が調度いいよ。脱げば良いだけなのだから」




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by garoumusica | 2015-11-26 05:00 | 古代氏族 | Comments(0)

目に見えない厳ついおっさんと絵描きの会話。それから大変申し訳ありませんが、本サイト内の画像、写真の無断転載・転用を禁止させていただいております。


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