カテゴリ:あさきゆめみし 京を巡る旅( 61 )

さてさて、お次は下鴨神社からバスで今宮神社へ向かいます。


赤いアイコンが今宮神社、黄色のアイコンが船岡山、青いアイコンが下鴨神社で、この様な位置関係となっております。



下鴨神社のバス停でバスを待っていた時の空。

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ダイナミック・・・!!!



で、画像を編集していて気が付いたのですが、この画像の左上の部分を切り取って90度回転させると、この様になります。

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で、私にはこの様に見えたのです。

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中世の方が身に着けられていた冠を被っている、鳥の頭をした神様!

キンケイと言う鳥に似てる気がします。→Google 画像検索 キンケイ

長く流れる様な髪の毛の下には翼も見えます。

・・・うーん、翼は無理があるかな・・・。

でも、鳥顔の神様がいらっしゃる様に思いました。

それにしても人の顔をしていないって初めてです。

下鴨神社の奥宮である御蔭神社は、神社のある御生山(みあれやま)が御神体の様ですから、下鴨神社の神様は山神なのかもしれませんねぇ・・・。



そう言えば、境内に入った時には龍がお出迎えしてくれていましたね!

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雲を散らす龍。

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拝殿からご挨拶をした本殿には、残念ながら神様がよく分かりませんでしたが、大空を見るといらっしゃる。

下鴨神社はそんな感じでした。

祝詞も凄かったですし、今までにない感じの神社でしたねぇ・・・。

下鴨神社の方々、どうもありがとうございました!



。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚



それでは本日も良い一日を~。

彫金1作目が出来ました!

じゃん!

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昨日ガスバーナー片手に作ったのです!

がんばった!私(`・ω・´)+

ネットで材料から作り方まで調べて、ようやくここまでこぎつけました。



ですが、上部の丸カンが斜めに・・・。

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ロウ付けの処理も、面倒臭くてしていないので汚らしいですが、まぁその辺はご愛嬌という事で。

要領も分かった気がするので、次はもう少し上手く出来るよう頑張ります!



musica 「『musicaがあたらしいじゅもんをおぼえた』、みたいな感じです」

スーさん 「君は気が付いていなかったが、昨日は冬至だ。冬至に新しい事を始めるには良い時機だったのだよ」

m 「あー、そう言えばかぼちゃが食卓にあった気が」

ス 「本当に君は無頓着だな・・・。言っておくが冬至は23日ではないぞ」

m 「・・・。あー、でも何で冬至に新しい事を始めるのが良いのですか?」

ス 「冬至は昼が最も短い日だが、言い換えればこの日を境に日が長くなるという事だ。陰が極まり再び陽に還る日、故に一陽来復(いちようらいふく)と言う」

m 「ほう」

ス 「陰が極まり再び陽に還る、つまり運が上昇に転じる日だ。その様な日に新しい事を始めるのは良い事だよ」

m 「へぇ~!何も考えていませんでしたが、調度良い日に彫金を始められたものですね!」

ス 「君は本当に何も考えておらぬから、この私が色々と世話を焼かなくてはならぬのだ・・・」

m 「冬至って23日じゃなかったんですね・・・」





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by garoumusica | 2016-12-22 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
山背の出雲氏で躓いていましたが、今年中に京旅を終わらせる為に、出雲氏に関してはとりあえず置いておいて、先に進む事にします。

私達は前を向いて歩いて行かなければいけない・・・。



スーさん 「何を言っているのだ君は、本当に・・・」

musica 「そういう気分なんですよ~」



賀茂御祖神社編 その2。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その3。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その4。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その5。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その6。~あさきゆめみし 京を巡る旅~



本日は下鴨神社の境内から出て、糺(ただす)の森の探索です。

糺の森の「ただす」とは諸説あるそうですが、「偽りを糺す」、賀茂川と高野川の合流点である事に起因して「只洲」、清水の湧き出る事から「直澄」、多多須玉依姫の神名に由来するという説などがあるそうです。

他には、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)にある「元糺の池」、およびその周辺の「元糺の森」から遷された名前であるという意見もあるとの事。

蚕の社と言えば秦さんとこの神社ですね!

賀茂ちゃんと秦さんは婚姻関係がありますから、さもありなん。



さてさてこの糺の森には、平安時代後期から江戸時代初期に渡って使用されたとみられる祭祀遺構が再現されています。

看板。

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あー、再現されたのは平安時代から江戸時代のものだけれども、平安京へ遷都する以前の遺跡も糺の森にはあるという事なのかな?



写真部分。

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左上の平面図。

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こんな感じで再現されています。

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アップ。

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平面図との対比。

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平面図の上の画像は、平面図の左上あたりにあたる様ですね。



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平安時代からという事は、賀茂ちゃんがこの辺りを支配しだしてから、という事になるのでしょうか。

以前、出雲氏さんの支配地域は鴨川よりも西側と書いたのですが、賀茂ちゃんが南下して来るまでは、下鴨神社の周辺も出雲氏さんの支配地域だったのだとか。

賀茂ちゃんの方が川上を支配していたので、水源を賀茂ちゃんに握られ、抵抗する事が出来ずに土地を譲ったのではないか、との意見もあるようです。

色々ありますねぇ・・・。



祭祀遺構はこんな感じです。

それでは出口に向かいます。

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最後の一枚。

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美しい森ですねぇ・・・。

という事で、下鴨神社編はとりあえず一旦終了。

出雲臣とか出雲井於神社に関しては、本を読んで勉強しときます。

何かまた分かったらその時に記事にしますね~。



明日からは元稲荷のある船岡山です。



(o・ω・o)ノ++++++++++ヽ(o・ω・o)



それでは本日も良い一日を~。

m 「大難は小難にってありますけど、今回のコップ粉砕事件はそんな気がしました」

ス 「人生には避けられぬ難が少なからずある。今回で言えば、君が出血をする程の怪我をするというものだった」

m 「今回は針で刺した程度で済みましたけど、大怪我をする可能性もあったって事ですか?」

ス 「そうだ。君が我々のような存在と離れてしまう生活を送っていたとしたら、硝子の破片を直接身に受ける様な惨事となってたであろう」

m 「でも今回はいつもとは違う行動をとった為に、直撃は避けられました」

ス 「我々からの導きを無意識で感じ取ってくれたからね、君は」

m 「いつも導いてくれている訳ですよね?守護さん達は」

ス 「そうだ。ほとんどの場合は無意識と言う形でね。だから理性で物事を判断するだけでなく、なんとなくと言う感覚も大切にしてもらいたいものだよ」





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by garoumusica | 2016-12-21 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
ハイ!本日は下鴨神社の摂社・出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)の続きです。

賀茂御祖神社編 その2。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その3。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その4。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その5。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その6。~あさきゆめみし 京を巡る旅~



えーっと、前回は何を調べたんでしたっけ・・・。

確認確認。

あー、山背の出雲氏について調べていたのでした。

出雲氏ねぇ、と思い検索していたところ、この様な記事を見つけました。


この記事によりますと、

「飛鳥時代から奈良時代にかけて京都市北部の賀茂川西岸で勢力を誇った出雲氏の屋敷とみられる建物跡が、京都市の上京遺跡から出土した」

との事です。

賀茂川西岸、ですよね。

で、この記事にはこうあります。

「出雲氏は、弥生時代に島根県の出雲地方から移住してきたとされ」

弥生時代・・・。

うーん、ちょっとした疑問なのですけど、



「弥生時代に島根県の出雲地方から移住してきた」人達が、

何故出雲氏と名乗るのですかね?



出雲臣という名を賜ったのは反正天皇4年・西暦409年という事になっています。

で、旧国名が定まったのって、大化の改新以降とされている訳です。

西暦で言うと646年。

弥生時代っていうのは西暦紀元前300年頃から西暦300年頃の事です。

こんなにタイムラグがあるのに、出雲氏ですって名乗れるのですか?

前回載せたレファレンス協同データベースでは、

「平安京以前に,山陰道の出雲地方から丹波を経て京都(山背国愛宕(おたぎ)郡出雲郷)へ移住し,大きな勢力を築いていたといわれています。

氏の名から出雲郷の地名が生まれ・・・」

となっています。

うーん、これだと弥生時代に移住した人達が、既に出雲氏と名乗っていなければなりません。

・・・分かんない、とりあえず話題を変えよう。



昨日ようやく手にした秦氏とカモ氏―平安京以前の京都 (臨川選書)に、出雲井於神社の由緒書きに書かれていた「山背国出雲郷下里計帳」の内容について記載がありました。

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『戸主大初位上出雲臣筆、年漆拾歳、耆老 右頬黒子

男大初位下出雲臣安麻呂、年肆拾貳歳、正丁 眉黒子、北宮帳内』

と、あるそうです。

『戸主は大初位上という位の出雲臣筆、七十歳、右頬にホクロあり。

長男は大初位下の安麻呂、四十二歳、眉にホクロあり、(長屋王の)北宮に長内として勤務』

帳内というのは長屋王一家の護衛や雑務をする人の事だそうです。

彼らは長屋王に仕えている事から、山背の地から都へ出ていた事になります。

726年の記録ですから都は平城京なので、奈良まで出稼ぎをしていたのですねぇ・・・。



さてさて平城京にはもちろん賀茂ちゃんちの人も、秦さんちの人も平城京で働いていた事が記録に残っているそうなのです。

同じ山背国出身のですから、きっと顔見知り。

では、彼らの関係はと言うと、出雲臣と秦さんは婚姻関係が確認出来るだそうです。

が、居住地の隣接している賀茂ちゃんと出雲臣の間には、婚姻関係が認められないのだとか。

これが何を意味しているのかと言うと、

賀茂ちゃんと出雲臣は対立関係にあった

という事なのだそうです。



はー、今日寒い!

パソコンいじっていたらお腹が冷えてきたので、今日はこの辺で!



(o・ω・o)ノ++++++++++ヽ(o・ω・o)



それでは本日も良い一日を〜。

昨日の記事ですが、システムメンテナンスでアクセス出来なくなる1分前に更新したので、どういう記事を書いたのか確認出来ないままだったのです。

で、翌朝確認したのですが、なんだか恥ずかしい・・・。


musica 「なんであの内容を見せてきたのですか?」

スーさん 「脳内会話だけだと君は妄想かと不安になるだろう?」

m 「幻覚を見るという新しいレベルに達したのだと、余計に不安になる可能性も無きにしも非ず」

ス 「君次第だよ、どのように受け取るかは」

m 「またそういう言い方をする〜」

ス 「我々の世界というものは、受け手によって変化する。君が妄想と言えば君にとってはただの妄想となる。君が事実だと言えば君にとっては事実となる」

m 「そうですけど・・・」

ス 「私は君の選択を尊重する」

m 「じゃあさ、あの鏡に映った事はスーさんにとっては事実なのですか?」

ス 「私の輝かしい日常だ」

m 「あー、じゃあ私もそれで」

ス 「なんだか狡い発言だな、それは」

m 「そんな事ないです、私の輝かしい日常です。でも今度は鏡で見るよりも実際に体験したいです」

ス 「私に抱きつく事をかね?」

m 「違います、上の世界をです」






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by garoumusica | 2016-12-16 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
本日も下鴨神社編の続きです。

賀茂御祖神社編 その2。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その3。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その4。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その5。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その6。~あさきゆめみし 京を巡る旅~



突然現れたスーさんのお社。

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その名は出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)。



もう一度由緒書き。

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ちょっと一部をアップにしてみました。

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「延喜式」に「出雲井於神社」とある神社で「日本書紀」神武天皇2年(BC659)の条に、葛野主殿県主部(かどのとのもりあがたぬしべ)とある人々が祖神としてお祭りした神社です。

古代山代北部に住んでいたこの県主部たちは、鴨氏と同じ祖先に属し「神亀3年(726)山背国愛宕郡出雲郷雲上、雲下里計帳」(「正倉院文書」)で知られる人達です。

大宝令(700)以降、山代国葛野郡は四つに分割され、鴨川と高野川の合流地点より東山、北山までの地域が愛宕郡(おたぎぐん)となり、鴨川の東岸が蓼倉郷(たてくらごう)、西岸が出雲郷となった。

「井於」とは鴨川のほとりのことで、出雲郷の鴨川のほとりの神社という意味です。



今回の地図は赤いアイコンが出雲井於神社です。


青いアイコンは出雲郷あたりで、紫のアイコンが蓼倉郷あたりとなります。

出雲郷は鴨川の西岸な訳ですから、現在賀茂川の東岸にある下鴨神社の境内にある出雲井於神社は移されたものと考えてよいのかな?



さてさて、問題は何故出雲なのか?という事。

レファレンス協同データベースにこの様な記載がありました。



『出雲氏は,天穂日命(あめのほひのみこと)を始祖とする氏族です。

平安京以前に,山陰道の出雲地方から丹波を経て京都(山背国愛宕(おたぎ)郡出雲郷)へ移住し,大きな勢力を築いていたといわれています。

氏の名から出雲郷の地名が生まれ,現在でも出雲路(京都市北区)や出雲路橋という名が残っています。

出雲井於(いのうえ)神社と出雲高野神社は,出雲氏の氏神で「延喜式」神名帳にも記載されています。

現在はそれぞれ下鴨神社と崇道神社(京都市左京区)の境内末社となっています。

古くは,氏寺である出雲寺(上出雲寺・下出雲寺)も出雲郷に存在し,早くから仏教文化を受入れていたといわれています。

また,出雲氏は一定の教養や技能を身に着けていたとみられ,下級官人として活躍していました。

紙漉きなど優れた手工業の技術を持っていたとされています。

2004年の発掘調査で,出雲氏が居住していたであろう竪穴住居の遺構と,鉄を鍛える際に飛び散った鉄くずや道具が見つかり,鉄製品を生産していたことも明らかになりました。』

出雲高野神社・・・、調べてみましょう。

出雲高野神社は京都市左京区上高野の崇道神社の境内社で、祭神は玉依姫命。


赤いアイコンが崇道神社、青いアイコンが出雲井於神社、ついでに黄色いアイコンが下鴨神社の奥宮の御蔭神社。

御蔭神社が崇道神社の近くにあったので、ついでにアイコンを置いてみました。

なるほど、こういう位置関係ですか、と分かったところで本日は終了~。



**☆**:;;;;;:**☆**:;;;;;:**☆**:;;;;;:**☆**:;;;;;:**☆**



それでは本日も良い一日を~。

musica 「難しいところですね」

スーさん 「難しいと思うから難しい。思い出してごらん、縄文時代に生きた者達は定住していなかったと聞いた事があろう?」

m 「はい。稲作をする様になってから定住するようになったと」

ス 「古代において四季の移り変わりに合わせ、人々が移動する事は当たり前だった」

m 「うーん・・・」


明日、12月15日(木)深夜 1:00~午前7:30までシステムメンテナンス為、アクセス出来ないそうです。

あー、忘れそうー・・・。

ブログの更新の時間に気を付けよう~。





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by garoumusica | 2016-12-14 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(2)
はい、という訳で京旅の続きです。

賀茂御祖神社編 その2。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その3。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その4。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その5。~あさきゆめみし 京を巡る旅~



井上社を後にして、人手を避けて左手に歩いていきますと・・・、

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細殿です。

御所の緊急時に御動座される場所だそうです。

つまりお偉いさんの避難所って事ですかね?



くるりと反対側を向くとこんな感じ。

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奥に見えている朱色の建物が楼門です。



上の画像の左手に見えている建物は橋殿。

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井上社の前の御手洗池から流れて来た小川の上に建っています。

お祭りの時に芸能が奉納される場所だそうです。



細殿を振り返りました。

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それから、人出を避けてまっすぐ突っ切っていくと・・・、

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お社発見。

右手に見切れている建物は神服殿だそうです。

その昔はこの建物の中で神服を作っていたのだとか。

なんかいいですね、そういう専門の建物が神社内にあるって。



発見したお社専用の手水舎。

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岩をくり貫いてあるってなんだかすごいですね!



別の角度から。

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趣があって良いですねぇ・・・。



舞殿を振り返りました。

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いい感じですね~。

舞殿の前に手水舎です。



看板を発見!

どなたのお社かと言うと・・・、

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スーさん!!!



わー、スーさん!!!

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舞殿からお社を臨みました。

美しいですね!



明日はスーさんのお社をじっくりと見ていきます。



*:.。..。.:*ヽ(*゚∀゚)ノ*:.。..。.:*ヘ(゚∀゚*)ノ*:.。..。.:*



それでは本日も良い一日を~。

musica 「気が付けば12月も半ば」

スーさん 「早いものだね」

m 「本当に~。いまだに京旅の2日目も終わっていない~~~」

ス 「今年中に京旅は終えられそうかね?」

m 「わ~、どうでしょう~、ギリ!?」

ス 「では来年は出雲から始めるのか。縁起が良い事だ」

m 「そうなの!?」

ス 「ハハハ、そうなるよう努力しなさい」

m 「下鴨神社が終わったら船岡山、建勲神社、命婦社に今宮神社・・・」

ス 「出雲系の今宮神社で終わり、出雲の日御碕神社で始まる。良いね?」

m 「良いね・・・?」




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by garoumusica | 2016-12-13 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
はい、本日は下鴨神社編の続きです。

賀茂御祖神社編 その2。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その3。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その4。~あさきゆめみし 京を巡る旅~



前回の記事で西御本宮から小さな気の玉が送られてきた話を載せたのですが、その時挨拶をしたお社は別のものだったかもしれません。

境内図を見ていると西御本宮の横に霊璽社(れいじしゃ)というお社があり、どちらのお社から気が送られて来たのか記憶がはっきりしないのです。

で、その霊璽社。

祭神は霊璽。

河合神社にいらっしゃった方で、印鑑・契約守護の神様。

なんでも様々な約束事を護ってくださるのだとか。

契約の神様と言えば、以前勉強した八坂神社の境外摂社の冠者社の須佐之男命もそうでしたね!

京都の神様ってなんだか不思議です。

気を送ってくれたのが印鑑の神様だったとしたら、デコに何か判でも押されたのですかね・・・。

『下鴨』とか・・・。



さてさて、お次はお金を払って大炊殿(おおいどの)という神様へのご飯を作る場所を見学。

無料で参拝出来るのは言社と本宮までです。

ここからは有料。



有料域に入るとまずあるのは三井社で、同じお社が三つ並んでいます。

ん?河合神社の前にあったのと同じ名前ですね・・・。

祭神も同じです。

右から伊賀古夜媛命(いがこやひめのみこと)、賀茂建角身命、そして玉依媛命。

えっ!?

この三井社の横には垣を挟んですぐの所に、賀茂建角身命と玉依媛命の祀られた本宮があるのにも関わらず、また主祭神のお二人が祀られているのですか???

なんでまた!

下鴨神社の案内板によりますと、

「風土記・山城国賀茂神社の条に『蓼倉里三身社』、延喜式には『三井ノ神社』とある神社です。

奈良時代から平安時代にかけて、このあたり一帯は蓼倉郷と呼ばれていました。

三身社戸は、本宮の賀茂建角身命とその妻・伊可古夜日女命、その子・玉依姫命のことであり、三神が祀られています」

という事だそうです。

・・・何の解決にもならない・・・。



あの、元々この辺りの土地は秦さんが所有していたという説があるそうなんです。

で、秦さんから賀茂ちゃんに土地を譲られて、下鴨神社が出来る前に賀茂ちゃんの氏神を祀った、それが三井社だとかなんとか。

先日、秦さんと賀茂ちゃんの関係を書いた本を購入したつもりだったのですが、何故か賀茂ちゃんが山背に来る前に居た葛城について書かれた本が届きまして・・・。

まずそこから勉強しろって事なんでしょうけど、はー・・・。

とりあえず三井社の秘密はよく分からないのでこの辺で。



それから三井社の末社がみっつ。

ひとつは諏訪社、祭神は建御名方神。

それから小杜社で祭神は水分神(みくまりのかみ)。

そして白鬚社で祭神は猿田彦神です。

うーん、これらは普通に神社の末社として違和感はないですねぇ・・・。

というよりも、三井社だけで普通に神社として成り立ってる感じです。

うん、今はここまでにしときます。

資料が無いのでよく分かんないですし。



中門から出て本宮を振り返ってみました。

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本宮がちらり見える様な・・・。



さてさて、なんとなく左手に行ってみると、

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橋発見!



鳥居を越えて・・・。

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辿り着いたのは井上社!

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前の池は御手洗池と言われ、井上社の別名は御手洗社(みたらししゃ)なのだそうです。

祭神は瀬織津姫命、水の神様ですね。

元々高野川と鴨川の合流地東岸に鎮座されていたみたいなのですが、1470年に起きた文明の乱によって燃えてしまった為に、文禄年間(1592~96)にこの場所に再興されたのだそうです。

で、井戸の井筒の上に祀られたところから井上社と呼ばれるようになったのだとか。



お社の下は井戸なのですか・・・。

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京都の方は井戸の上に神社を建てるがお好きですねぇ・・・。



由緒書き。

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ほぉ~、みたらし団子発祥の地ですか!

池の底から吹き上がる水泡をかたどったって、なんだかロマンチックなんだけどみたらし団子!

みたらし団子は水泡が由来だなんて思いもしなかったところで、本日は終了~。



(o・ω・o)ノ++++++++++ヽ(o・ω・o)



それでは本日も良い一日を~。

musica 「何かありますか?」

スーさん 「何も無いよ」

m 「えっ!」

ス 「君が何も無いからそう尋ねるのであれば、私も何も無いと言うさ」

m 「えー・・・」

ス 「何かないかね?」

m 「うーん、今日も良く生きよう!」

ス 「ハハハ、それで良い」




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by garoumusica | 2016-12-11 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
本日も本殿を参拝した時の話です。

賀茂御祖神社編 その2。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
賀茂御祖神社編 その3。~あさきゆめみし 京を巡る旅~



本殿にご挨拶をした後、運の良い事にどなたかの御祈祷が始まりました。

外国の人達が並んで見学していたので、私もその中に入る事に。

実は下鴨神社の御祈祷、一万円からとちょっとお高いのです。

なので心の中で『よっしゃ!』とガッツポーズです。

自分では躊躇してしまう額だったので・・・。



そして神主さんの祝詞が始まったのですが、これがまたすごい!

とにかくすごい!

この時の神主さんだけなのかは分かりませんが、声が物凄く響いてきます。

声が大きい訳ではないのですが、とても響くのです。

音程?の上下も他の神社の祝詞に比べてとても多かったように思います。

何て言うか、祝詞というよりも呪文って感じ。



そして何よりも感動したのは、その祝詞で尾骨が震動した事。

祝詞をあげていらっしゃる間中、ずーっとです。

その振動は尾骨のみで上昇する事はありませんでしたが、チャクラの活性とかになったのでしょうか?

広い境内の探索は少々疲れるものがありましたが、この祝詞のお陰でリフレッシュ出来ました。

素晴らしかったです。

スーさん、御祈祷を見学する機会を与えてくれて、ありがとうございました。



で、この経験をしてしまうと考えずにはいられないのは、下鴨神社の祝詞と他の神社の祝詞の違いは一体何なのか?という事です。

神社ごとに代々受け継がれてきた奏上の仕方とかがあるのでしょうかね?

それとも各々によって唱え方に違いがあるのでしょうか。

声質なのか発声なのか・・・。

今度調べてみましょう。←今日はしない。



それから一般の方の祝詞も聞く機会がありまして。

神社参りをしていると、拝殿で祝詞をあげていらっしゃる方が結構いらっしゃるからです。

大抵は女性ですけれども、皆さん男性のあげられる祝詞の様に音程を低くしてあげていらっしゃいます。

他の参拝者の方々への配慮で、口の中だけで唱えていらっしゃるからでしょうかね。

それで低くなっちゃうとか。

女性が祝詞を挙げる場合、女性らしい本来の声の高さであげることはタブーなのでしょうか?

下鴨神社の方の祝詞が第一チャクラならば、女性の声できちんと祝詞を唱える事が出来たら、もっと上の方のチャクラを活性化させる事が出来るんじゃないかと思ったのです。

て言うか、そもそも祝詞は神様に奏上するものですから、この考え方が根本的に間違っているのかもしれませんが・・・。




祝詞をあげる目的を忘れてはいけないという事を念頭に置いて、話を続けます。

私なんかだと神棚に向かって歌を歌わされる時がありますが、上の人と交信を良くする場合は音程の高い曲を、足元を安定させる場合には音程の低い曲を歌います。

それと似た様な事が祝詞でも出来るんじゃないかなって、下鴨神社の祝詞を聞いて思ったのです。

無理して男性の挙げられる祝詞の音程で唱えるよりも、女性だからこそあげられる事の出来る祝詞がありそうな気がするのです。

物凄く綺麗な女性らしい声であげられる祝詞も聞いてみたい気がします。



ところで、この方の唄われる君が代が素晴らしいです。

音霊・言霊としての君が代が堪能出来ますよ。


天上の声ですねぇ・・・。



☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡



それでは本日も良い一日を~。

musica 「ん、何かありますか?」

スーさん 「投げやりだね・・・」

m 「寒いんですもん、早く部屋の中に入りたい」←パソコンはエアコンの無い部屋の外。

ス 「ほらまた否定的な感情を持って言葉を発する。昨日の『疲れた』と同じだ」

m 「えー、自己暗示?」

ス 「今日は波動の方だね」

m 「えー・・・」




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by garoumusica | 2016-12-09 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(2)
本日は昨日の続きを書ければよかったのですが、先程までアクセサリーを作っていた為に脳が、

「真面目なの書けない・・・( 〇□〇)」




さてさて、言社の看板から先は写真の撮影は禁止されています。

京都で撮影を禁止しているのはお寺の方が多いですが、神社でも写真の撮影を制限している所があります。

そういった情報をネット上にまとめているサイトがあるので、予め確認されておくと寺社に迷惑を掛けずに済むので、京都への旅行の予定のある方は検索されておくとスマートかもしれません。

で、まずは言社でご挨拶をしたのですが、本来は自分の干支のお社だけで良いのですが、気が向いたので全ての干支のお社にご挨拶をしてきました。

どんな場でも挨拶は大事ですから(`・ω・´)+



そしていよいよ拝殿前から本殿へご挨拶!

御簾が掛けてあったのでよく分からなかったのですが、お賽銭箱のある場所が本殿の真ん前なのだろうと思い、そこで挨拶をしたのです。

が・・・、不思議なくらい反応が無い・・・。

あれ?おかしいなぁ、と思いつつも後の人が待っていますから、そのまま左に移動しつつ拝殿の向こうを見ていると、お社が見えてきました。

なのでちょっと人目が恥ずかしかったですが、中途半端な位置でお社に向かって再びご挨拶をしたのです。

すると、今度は小さな気の玉をおデコにぶつけられましてw

すごーい軽い感じの気の玉で、おデコにぶつかった瞬間に、

パリン☆

って感じで弾けたくらい、軽く薄い気の玉でした。

なんだかその斬新な気に思わず笑みが漏れてしまいました。



で、この記事を書き始めてから下鴨神社の境内図をようやく見たのですが、どうやら賽銭箱が置かれている場所は、上賀茂神社と同様に透廊の様な感じみたいです。

そしてその左右に賀茂建角身命と玉依姫命のお社があるようです。

私がご挨拶をしたお社である西御本宮(にしのごほんぐう)の祭神が賀茂建角身命。

私が気が付かなかった東御本宮の祭神が玉依姫命だそうです。

なので、気の玉を投げてくれたのは賀茂建角身命?


さてさて、透廊があるという事は、上賀茂神社の神山と同じ様に実は拝殿からは別のものを拝む形となっているのかな?と思い、地図を確認!


うーん、分かりません!

なのでネットで調べてみると、なんと!下鴨神社には奥宮があるらしいのです!

奥宮はどこにあるのかというと、ここ!


赤いアイコンのある比叡山の麓です!

その奥宮の名は御蔭神社。

祭神は賀茂建角身命と玉依姫命の荒魂です。

現在は下鴨神社の境外摂社ですが、賀茂大神が御降臨された場所だと言われており、天武天皇の時代に山背国司が造営したと伝えられる賀茂神宮は、この御蔭神社であるという説があるそうです。

うーん、奥宮というよりも元宮?

ちなみに下鴨神社は、奈良時代に上賀茂神社から分置されたという説もあるそうです。

あ、それだと透廊から何かご神体を臨むって言うのは無さそうですね・・・。

ん?(・・)

あー、この奥宮のある賀茂大神が御降臨された山が、御神体なのだそうです!

透廊の先ではないですけど御神体に辿り着きましたね!

で、賀茂大神が御降臨されたから、この山は御生山(みあれやま)と呼ばれていたのだそうです。

御生といえばアレですね、御生神事!

賀茂神社の葵祭に先立って行われる神事の事です。

賀茂神社の葵祭はこの御蔭神社から始まるのですねぇ・・・。

という事で、御生山が下鴨のおじいちゃんが降臨した山、神山は上賀茂のおっちゃんが降臨した山。


赤いアイコンが御生山、青いアイコンが神山。

こういう位置関係です。

何かあるかな?と思いましたが、無さそうな感じ?



あ!何だかんだで真面目に記事を書いたではないか!

今日はもう止めよう!疲れた!(`・ω・´)+

明日も本殿へお参りした時の体験の続きです。



(・v・)ノ(゚∀゚)ノ (゚д゚)ノ(´x`)ノ(゚_っ゚)ノ(・v・)ノ



それでは本日も良い一日を~。

musica 「うーん、もう頭が働きません!何かひと言!」

スーさん 「だらしのない・・・。疲れた疲れたと言ってはいけないよ」

m 「や、疲れました」

ス 「暗示だ。その様な言葉を繰り返すと、己の身体に『自分は疲れやすいのだ』と暗示をかけてしまう」

m 「波動じゃないんだ?」

ス 「この場合は暗示だね、波動とはちょっと違う」





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by garoumusica | 2016-12-08 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
本日は昨日の記事の補足から入ります。




昨日の記事では、本日は本殿をお参りした話から入ると書いたのですが、言社について書き直す事から始めます。

何でかと言いますと、一昨日・昨日と私の周りの人がちょっとした勘違いをされまして。

ひとつひとつは、あはは~って感じの小さな勘違いなのですが、それが2度3度続くと「あれ?何かおかしいな」と感じまして・・・。

もしかしたら、私が何か勘違いをしているよ、と言うメッセージではないか?と思ったのです。

では、私が今何か勘違いとか思い違いをしている事はないかな?と考えたところ、すぐに思いついたのが昨日の記事に書いた「言社」の事。

7人の大国主さんが祭神となっている干支のお社です。

f0351853_01213419.jpg

これらの末社の名前は言社。

社務所で頂いたパンフレットによりますと、

右側の大物主神・大国主神のふたつのお社を合わせて「二言社」、

真ん中の顕国魂神・大国魂神のふたつのお社を合わせて「一言社」、

そして左側の志固男神・大己貴神・八千矛神のみっつのお社を合わせて「三言社」、

と、それぞれ呼ぶのだそうです。



で、この中の一言社で思い出すのは、一言主神(ひとことぬしのかみ)。

最近よく目にしていたのです、何故か知らないですけど。

一言主神は『古事記』や『日本書紀』の雄略天皇の段に出て来られる神様です。

『古事記』によりますと、雄略天皇が葛城山へ鹿狩りに行った時に会った神様で、その時に、


「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」


と言ったのだそうです。

葛城と言えば、山背へ出る前に賀茂ちゃんが居た所と言う説があります。

うん、賀茂ちゃん系ですねぇ・・・。

そして、822年に書かれた『日本霊異記』では、一言主神は役行者に使役される神となっています。

役行者(えんのぎょうしゃ)と言えば、役小角(えんのおづぬ)。

役氏は三輪の賀茂氏から出た氏族ですので、地祇系の賀茂氏の血を引いている事になります。



一言主神をお祀りする神社の総本山は、奈良県御所市にある葛城一言主神社です。



祭神は一言主大神と幼武尊(わかたけるのみこと:雄略天皇)。

一言主大神は凶事も吉事も一言で言い放つ託宣の神とされ、現在も一言で願いを叶えてくれる神として信仰されているのだそうです。

なんか、すごいですね・・・。



で、今回の事に関係しそうなのは、一言主神と高鴨神=味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)が同一人物と言う説がある事です。

そして高鴨神は高鴨神社の祭神です。

高鴨神社・・・、皆さま覚えていらっしゃいますか?

そうです!出雲国造神賀詞に出てくる葛木の鴨の社の事です。



出雲国造神賀詞の中で高鴨神社の出てくる場面はここです。

『己命の和魂を八咫の鏡に取り託けて、倭の大物主櫛甕玉命と名を称へて、大御和の神奈備に坐せ、己命の御子阿遅須伎高孫根命の御魂を、葛木の鴨の神奈備に坐せ、事代主の命の御魂を宇奈提に坐せ、、賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備坐せて、皇孫の命の近き守り神と貢り置きて、八百丹杵築の宮に静まりましき』

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で、この高鴨神社は、京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)を始めとする、全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社と称しているのだとか・・・。

おぉ、繋がりましたね!



出雲国造神賀詞のこの部分、

己命の御子阿遅須伎高孫根命の御魂を、葛木の鴨の神奈備に坐せ』

に関してですが、「己命」は「大国主神」の事ですから、「阿遅須伎高孫根命」は「大国主神」の「子」と言っている訳です。

つまり、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)の総本社である高鴨神社の祭神は大国主の子、って事になるのかなぁ・・・。

だから下鴨神社の本殿の前に大国主さんがずらり並んでいても、まったくおかしくないよって事ですかねぇ?

いずれ記事に書きますが、下鴨神社には須佐之男命が祭神の出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)がありますから、出雲系でもまったくおかしくない。



まぁ、おっさんに調べ直しをさせられて、こんな感じになったという事で、本日はおしまい!

疲れた!



(′□`●)ノvvvvvvvvvvvvココマデvvvvvvvvvvvv



それでは本日も良い一日を~。


昨日の話。

以前、手作りアクセサリーのネットショップを開こうとしたのですが、住所と名前が知られる事を懸念したスーさんに中止させられました。

ネットに個人情報を載せなければ良いのでは?とも思いましたが、それだと法律違反となる為、波動が犯罪を犯す人物のものに変化してしまい、人生に影響が現れると反対されたり。

目に見えない世界は難しいですね。

で、最近メルカリというスマホのフリマアプリでは、出品者・購入者のどちらの住所・名前も相手に知られずにやり取りが出来る!という事を知りまして。

これで物売ればいいじゃーん☆と思ったのです。



スーさん 「待ちなさい」

musica 「またですか。今度は何が問題ですか?」

ス 「待てと言っただけでやめろとは言っていない」

m 「時機じゃないって事ですか?」

ス 「まぁ分かるよ」



で、ふと思いついて、メルカリで「musica」と検索してみたのです。

すると残念な事に、既に「musica」という名前でユーザー登録をしている方がいらっしゃったのです。



m 「あー、残念・・・。また振出しかぁ・・・」

ス 「『待ちなさい』と言っているだろう?」





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by garoumusica | 2016-12-07 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
本日も下鴨神社編の続きです。




楼門。

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立派な門ですねぇ・・・。

この楼門は1628年に建て替えられたものだそうです。



そして楼門を潜ると・・・、

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白い龍がお出迎え!

龍が雲を消してくれているように見えますね。

実際、この後はとても美しい青空が広がりました。



龍アップ!

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左側が顔の様に見えます。

途切れていますけど、目や鼻まできちんとありますね!



線を引いてみました。

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なんだか間抜け面に・・・、ごめんね龍・・・。

1頭だとばかり思っていたら「違うだろう?」とおっさんが。

何頭かいるようですね。

下鴨神社のおっちゃん、ありがとうございました。



舞殿。

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こちらも1628年造営の入母屋造です。

屋根の左右の外はねがかわいいですねぇ。

角っこ触りたい・・・。

手の平の真ん中にツンツンってしたいです。



スーさん 「何を言っているのだ、君は・・・」

musica 「ごめんって」



そして中門。

f0351853_01211341.jpg



中門を潜ると拝殿、本殿となるのですが、その前にはこの様なお社があります。

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これらのお社は下鴨神社の末社で言社って言うらしいのですが、祭神、ちょっと変じゃないですか???

右から、

・大物主神
・大国主神
・大国魂神
・顕国魂神
・志固男神
・大己貴神
・八千矛神

これらはすべて、大国主さんの事ですよ!

は~~~、大国主さんは名前によって守護する干支が違うんだ~~~・・・。

知らなかったです。

めんどいから書きませんが、神様としての働きも名前によって異なるそうです。

すごいですね!大国主さん!

て言うか、なんでまた出雲神の大国主さんが本殿の前に位置しているのか。

それが問題です。

下鴨神社のもう一人の祭神である玉依姫が、大物主さんの奥さんの方の玉依姫であるなら問題無いですけどね。

由来は分かっていないようです。



本日はこんな感じで、明日は本殿へお参りした際の出来事を書いていく予定です。



+☆+。・゚・。+☆+。・゚・。+☆+。・゚・。+☆+。・゚・。+☆+。・゚・。+☆+



それでは本日も良い一日を~。

m 「それにしても、あの龍はお見事でしたね!」

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ス 「龍をただ出現させるのではなく、その龍が雲を消し行くその様を見せる。何と粋な演出だろうか」

m 「本当に。下鴨のおっちゃん、ありがとうございました」

ス 「玉依姫かもしれないぞ?」

m 「オゥ、マダーム」

ス 「何を言っているのだ、君は」

m 「なんか咄嗟に出ました」




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by garoumusica | 2016-12-06 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(2)

目に見えない厳ついおっさんと絵描きの会話。それから大変申し訳ありませんが、本サイト内の画像、写真の無断転載・転用を禁止させていただいております。


by musica