カテゴリ:あさきゆめみし 京を巡る旅( 61 )

ハイ!本日から下鴨神社こと、賀茂御祖神社編に突入します!



糺の森の中にある小川。

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この小川沿いをてくてくと歩いて行きます。

糺の森には古代の祭祀跡があるのですが、これは下鴨神社が終わってからじっくり載せていこうと思います。



写真を撮りながら歩いていると、正面から爆走集団が・・・。

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途中でこけてる子とかいましたw

近くに幼稚園でもあるのですかね?

かわいかったです。



木の新しい芽が捲れた木の皮で突っかかっていました。

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直してあげようかな?と思いましたが、放置しました。

自然は厳しいのです(`・ω・´)+



フラを踊りだしそうな木々。

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これは虫除け?



切られたご神木。

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彼に何があったのか・・・。



そしてようやく到着!

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糺の森は結構広かったです・・・。

まぁこれですもんねぇ・・・。


ところで、航空写真の地図を選択しても、私のスマホで確認すると普通の地図で表示されてしまいます。

iPadだったら航空写真の地図なんですけど・・・。

本日も航空写真を選択しましたが、皆さまのモバイルではどう映ってますか?

そのうち問い合わせでもしてみようかな。



連理の榊。

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別名・縁結びの御神木。

この画像ではちょっと分かりにくいですが、木は2本なのですが、途中で右側の木の幹が左側の木の幹の中に入り込んでいるのだそうです。

不思議ですねぇ・・・。

この連理の榊は下鴨神社の末社の相生社の傍に生えていますが、その相生社の神威によって2本の木が1本に結ばれるのだそうです。



相生社(あいおいのやしろ)。

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祭神は神皇産霊神(かみむすびのかみ)。

造化三神の一柱です。

このブログに登場するのは初めてですかね?

この神様は造化三神の中で唯一女性であるとされていまして、『古事記』では少彦名神のお母さんとされています。



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苔生したお社の屋根が本当に味わい深いですねぇ・・・。



神皇産霊神の「産霊」は、生産・生成を意味するそうで、造化三神である高皇産霊神と共に「創造」を神格化した神であると言われています。

そして、高皇産霊神と対になって男女の「むすび」を象徴する神でもあると考えられているそうで、その為にこのお社は縁結びで有名なのだそうです。

連理の榊が相生社の神威によって2本の木が1本に結ばれたって言うのは、こういう事なのですねぇ・・・。

ちなみにこの連理の榊は現在で4代目なのだそうです。

連理の榊が枯れると、糺の森のどこかに2本の木が1本に結ばれた木が見つかるとの言い伝えがあるそうです。

面白いですね!



明日も続きます。



(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)



それでは本日も良い1日を~。

musica 「スーさん、何かひと言ありますか?」

スーさん 「そうだね。今年も残り僅か。君は来年を迎える準備が出来ているかね?」

m 「うーん、なんか、まだ3月位の感覚ですよ」

ス 「それは良く生きなかったという事かね?」

m 「今迄よりも絵を描かなかったという点では良く生きなかったかもしれませんが、うーん、今年は濃度の高い旅を2度もしましたから、良く生きたと言えば良く生きましたけど・・・」

ス 「歯切れが悪いね」

m 「日々の小さな無駄な時間が私の人生の邪魔をしている、かな」

ス 「では来年は日々の小さな無駄な時間を減らす努力をしようではないか」

m 「そうですねぇ・・・」

ス 「また歯切れの悪い・・・」

m 「無駄な時間もまた大切!(`・ω・´)+」

ス 「君という者は・・・」




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by garoumusica | 2016-12-05 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
本日で河合神社はラストです!

河合神社編 その2。~あさきゆめみし 京を巡る旅~



貴船神社のお隣にあるのは、河合神社の末社の任部社(とうべしゃ)です。

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祭神は八咫烏命。

そういう訳でサッカーボールがお供えしてあります。

それにしても、賀茂ちゃんの祖神である八咫烏命が河合神社の末社・・・?

て言うか、下鴨神社の祭神が八咫烏命である建角身命(たけつぬみのみこと)でしょ?

変でしょ。

まぁ、神武天皇のお母さんの関係って言われたら、まぁそうかもねって感じですが・・・。

一応調べてみましょう。



なんだかですね、この任部社の「とうべ」っていう名がポイントらしいです。

古名を専女社(とうめのやしろ)と言うそうで、古語辞典によりますと、一つ目の意味は老女。

二つ目の意味は狐・古狐だそうで、本来は稲荷社だったのではないかと推測できるのだそうです。

学研全訳古語辞典によりますと、狐を「たうめ」というのは伊勢・伊賀あたりの方言らしく、伊勢斎宮では狐を「たうめ」と称していたのだそうです。

は~~~・・・。

なんか、以前古本屋でスーさんに200円の古語辞典を購入させられた、その意味がよく分かります。



そして、河合神社の末社であります六社(むつのやしろ)。

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苔の生え具合が素晴らしいですねぇ・・・。

右から諏訪社で祭神は建御名方神、その横が衢社(みちしゃ)で八衢毘古神(やちまたひこのかみ)。

彼は道・道の分岐点の守護神です。

そして稲荷社で宇迦之御魂神、竈社(かまどしゃ)で奥津日子神(おくつひこのかみ)。

それから印社で、はじめましての霊璽(れいじ)さん。

なんでも、印鑑を神格化した神様だそうですが、詳細はよく分からないようです。

霊璽って検索すると神道版の位牌が出てくるのです。

不思議ですねぇ・・・。

そして最後は由木社(ゆうきしゃ)で少彦名神です。

これらのお社は元々は御垣内に別々に祀られていたようですが、江戸時代に合祀に至ったそうです。

こちらのお社からは、ひとつひとつからきちんと気が送られて来ましたよ。



そして休憩。

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かりんの甘い飲み物です。

工事現場から急いでこちらに来てお詣りをしたので、喉からから!

とてもおいしく頂きました~~~。



しばしの休息の後、再び探索開始!

ご神木。

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大きな銀杏の木です。



見上げてみました。

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ふふふ ( ´艸`)。

楓の葉っぱががいっぱいで、楓の木みたいですね。

秋に訪れたら、さぞかし見事なのでしょうねぇ・・・。



そして、なんだかミサイルが。

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ミサイルで良いのかな・・・。

名前が分からないって、ある意味幸せな事ですねぇ・・・。



看板を撮影していました。

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あぁ、砲弾か・・・。

あー・・・、八咫烏さんが神武天皇の道案内した由縁で、日露戦争の時にも皇軍必勝に導いた事への褒美の砲弾ですって。

はー・・・、神社には人を殺す道具は似合わないよー。

なんだか胸が痛みますねぇ・・・。



複雑な思いを胸に、河合神社を後にしました。

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門の屋根に、新しい命が。

平和ですねぇ・・・。



河合神社編はこんな感じです。

あっ!そう言えば、鴨長明のお家が再現されていました。

興味が無かったので素通りしましたけど。

鴨長明と言えば、


「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

世の中にある人とすみかと、またかくの如し」


で始まる『方丈記』が有名です。

古典の授業で暗記したな~~~。

美しい言葉の響きですねぇ・・・。

鴨長明はその名の通り、賀茂ちゃんの一族。

お父さんは下鴨神社のお偉いさんでしたが、長明が18歳くらいの時に亡くなってしまい、彼の後を継いだ親戚の鴨祐季(かものすけすえ)と色々と争ったものの長明は失脚。

その後はニートっぽくなります。

で、なんで河合神社と縁があるのかと言うと、まぁお父さんが下鴨神社のお偉いさんだったっていうのもあるんですけど、河合神社の神官になりたかったんですって、長明は。

お父さんの跡を継ぎたかったんですねぇ・・・。

でも、争った鴨祐季に邪魔されて結局はなれずじまい。

それで、なんと出家して田舎に引き籠ります。

そして書いたのが『方丈記』となります。

なのでなんか、この河合神社に引き籠った時に住んでいた家を再現するっていうのは、ちょっと違和感があるというか・・・。

「ようやく願いが叶って良かったね☆」って感じなのかなぁ・・・。

よく分からないです。

感性は人それぞれですね。



☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡.。.:*・☆彡



それでは本日も良い一日を~。

musica 「長明さん、神様の力で何とか就職出来なかったのですか?」

スーさん 「就職出来ない方が彼の為だったろう?そのおかげで後世まで残る素晴らしい作品を残せた」

m 「まぁそうですけど・・・(´・ω・`)」





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by garoumusica | 2016-12-04 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
本日は、ちょっと振りの河合神社編です。




さてさて今回は、前回やった時代ごとの祭神の移り変わりをまとめる所から始めます。

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平安時代:在山城國從五位下鴨川合神預名神『日本文徳天皇実録』

鎌倉時代:祭神御祖別雷両神苗裔神『年中行事秘抄』

江戸時代:社家説云、河合玉依姫、上社片岡同体『山城名勝志』


これを見る限りでは、平安から鎌倉にかけては祭神が女神か男神か分かりません。

苗裔神が男神に限るっていうのは無い感じなので・・・。

で、江戸時代になるとはっきりと玉依姫が祭神となっていますので、鎌倉時代と江戸時代の間に何らかの習合があったのだと思われます。

はっ!Σ(゚Д゚)

うらべ・・・?(゚A゚;)

まさか、うらべなの・・・?(゚Д゚;)

・・・ゴクリ(; ・`д・´)

いやいや!(ヾノ・∀・`)

この時期は色んな人たちが神話を独自解釈し中世神話が成立した時期なので、うらべ一人に疑いの目を向けるのは大間違い!(★゚д゚ノ)ノ

ちょっと調べてみましょう!(`・ω・´)+



あー・・・、なんかですねぇ、斎院が両賀茂神社に居た事が、河合神社の祭神が神武天皇のお母さんとされた理由となっているようです。

斎院というのはWikiの解説によりますと、平安時代から鎌倉時代にかけて賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の両賀茂神社に奉仕した皇女の事だそうです。

つまり皇女が巫女さんになっていた訳です。

何でこんな事をしていたのかと言うと、平安時代初期に平城上皇が弟・嵯峨天皇と対立して、平安京から平城京へ都を戻そうとした際に、嵯峨天皇は王城鎮守の神とされた賀茂大神に対し、我が方に利あらば皇女を「阿礼少女(あれおとめ、賀茂神社の神迎えの儀式に奉仕する女性の意)」として捧げると祈願をかけたのだそうです。

そして810年、薬子の変で嵯峨天皇側が勝利した後、誓いどおりに娘の有智子内親王を斎王としたのが賀茂斎院の始まりだそうです。

・・・娘を願掛けの道具にしちゃったのかー、嵯峨ちゃーん・・・。

で、この制度があるのは両賀茂神社と伊勢神宮のみ。

両賀茂神社もちょっと調子に乗っちゃったのか、自分とこの神社を上賀茂は「別雷皇大神宮」、下鴨は「賀茂御祖皇大神宮」、併せて「鴨下上皇大神宮」と称しちゃったりしたんだとか。

皇室の皇ですねぇ・・・。

明治時代に「皇大神」の名を剥奪されて現在に至るのだそうですが、それでもお札には「賀茂御祖皇大神」、「賀茂皇大神」と書かれているのだそうです。

でまぁそういう事があった訳で、以下の様なうらべ的発想が流行したのだとか。


「両賀茂神社には皇祖を祀っているから「皇大神」という名前が付けられたんだ!

上賀茂社の祭神は瓊瓊杵尊、下鴨社の祭神は神武天皇に違いない!」


まぁ、民衆などは平安時代初期に嵯峨天皇が娘を使って願掛けをした、なんていう事実など知る由もありませんしねぇ・・・。

それにこの時代の為政の場は江戸ですから、京都民としては自分達の誇りを護る為の皇室アゲが必要だったのかもしれません。

為政の場が江戸に移っても天皇が居るのは京、的な。

そして江戸後期に書かれた『都林泉名所図会』という京都名園案内には、「鴨祠の崇祠する所は神武天皇なり。故に皇祖の名有り」とあるのだそうです。

うらべのせいじゃなかったですね。

疑ってごめんなさい、うらべ・・・。(´・ω・`)



という事で、結局元の祭神がどなたかは分かりませんでしたが、神武天皇のお母さんが祀られている理由が私的には納得出来たので次に進みます。



さてさて、河合社本殿の西側にあるお社は、下鴨神社の摂社の貴船神社。

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祭神はもちろん!高龗神~~~、イエ~~~イ!!!

貴船神社の由緒は不明だそうですが、平安時代には河合神社の御垣内に祀られていたそうです。

名神祭が行われていたのだから、高龗さんが祀られていてもおかしくないですよね!



なんだか長くなったので、本日はここまで!



▽▲▽▲´-ω-`▽▲▽▲´-ω-`▽▲▽▲´-ω-`▽▲▽▲



それでは本日も良い一日を~。

musica 「なんだか摂社ひとつに時間を掛け過ぎてしまっている感じがします」

スーさん 「まぁ、それが君の良いところでもある」

m 「ダラダラと記事を書くところがですか?」

ス 「疑問を抱けるところと疑問を解消しようとするところだ」

m 「うーん、ただのめんどくさい人?」

ス 「自分で解決をしようとしているのだから、面倒臭い人でも良いのではないかね?」

m 「一人めんどくさい人・・・」

ス 「まぁ、私が付き合っているがねw」




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by garoumusica | 2016-12-03 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
本日も河合神社編の続きです。




舞殿の柱の間から見えるのが、拝殿と本殿。

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そして舞殿の向こうへ。



本殿を拝殿から望みました。

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美しい・・・。

お社から御簾の色まで、何から何まで美しい。

記事を書きながら画像を見ているだけで、その美しさに感動してしまう程です。

そして本殿の入り口をじっと見ていると、それだけで気も流れて来ます。

素晴らしいですね・・・。



下鴨神社の第一摂社である河合神社の祭神は、神武天皇のお母さんである玉依姫命。

いつから鎮座されているのかは不明ですが、神武天皇の御代から余り遠くない時代と伝えられているそうです。

それにしても、なんで賀茂ちゃんとこに神武天皇のお母さんがいらっしゃるのか・・・。

うーん、玉依姫間違いとかありそうな気がします。

だって第一摂社ですもんねぇ・・・、河合神社は。



Wikiによりますと、明治から戦前までの近代社格制度では、官国幣社の摂社は以下のいずれかを満たすものとされたそうです。


1、本社の祭神の后神・御子神等、系譜的に連なる神を祀る神社

2、本社の祭神の荒魂を祀る神社

3、本社の地主神(祭神が現在地に遷座する前に当地に祀られていた神)を祀る神社

4、その他、特別の由諸がある神社


これだと該当するとしたら3、4あたりですかねぇ・・・。



河合神社の正式名称は、鴨川合坐小社宅神社(かものかわあいにいますおこそやけのかみのやしろ)、小社宅(おこそべ)神社だそうです。

あー・・・、角川地名大辞典を見るとこの様な記載がありました。

『日本文徳天皇実録(にほんもんとくてんのうじつろく)』という平安時代の歴史書に、「在山城國從五位下鴨川合神預名神」と書いてあるのだそうです。

えーっと、「山城の国に在る従五位の下鴨川合の神は名神に預かる」ですかね・・・。

名神(みょうじん)というのは、神々の中で特に古来より霊験が著しいとされる神に対する称号で、名神祭を行います。

名神祭というのは、国家的事変が起こり、又はその発生が予想される際に、その解決を祈願する為の臨時の国家祭祀だそうです。

国家的事変と言うのは、雨が降らなくて大変だから雨乞いをするよ!とかです。

うーん、だから神武天皇のお母さんの方の玉依姫で、摂社理由は4の「その他、特別の由諸がある神社」でしょうか。



あー、でも『山城名勝志』という江戸時代の京都の地誌によると、

「社家説云、河合玉依姫(ただすたまよりひめ) 上社片岡同体」

とあるようです。

「上社片岡同体」っていうのは、上賀茂神社の片岡社と同じ神を祀っていますよって事です。



上賀茂神社の片岡社と言えば、こちらです!

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しかし別の説もあります。

まだあるんかい!って感じですねぇ・・・。

鎌倉時代の『年中行事秘抄(ねんちゅうぎょうじひしょう)』という、朝廷の年中行事を記録した書によりますと、

「祭神御祖別雷両神苗裔神」

とあるのだそうです。

祭神は御祖(賀茂御祖神社祭神:賀茂建角身命)と別雷(上賀茂神社祭神:賀茂別雷大神)の両神と苗裔神(びょうえいしん:御子神)という意味です。

上賀茂のおっちゃんとおじいちゃんと、そして息子って事で良いのですかね?

それと、古い時代の祭事の際に神様に納められた神服が、男物だったそうなのです。

はー・・・、少なくとも性別の違う祭神がいらっしゃったって感じ?



あ、なんか急に集中が切れたので今日はここまでにします!(`・ω・´)+

今日で終わりにしたかったんですけど、明日も続きます。



■゚Д゚■゚Д゚■゚Д゚■゚Д゚■゚Д゚■゚Д゚■゚Д゚■゚Д゚■



それでは本日も良い一日を~。

musica 「電池が急に切れた感じです。この集中の切れ方は」

スーさん 「気が消耗したのだよ。それに今日は防御用のブレスレットをしていない」

m 「えー、ポケットの中に入れてますよ~?あれっ!?これ違うブレスレットだ!」

ス 「ハハハ!気が消耗しただけで済んだのだから、河合神社の祭神に感謝しなさい。度々気を送ってもらったであろう?」

m 「はい!あー・・・、それにしても言葉を濁しましたね?名前ではなく河合神社の祭神って言った」

ス 「君の勉強の邪魔はしないさ」

m 「邪魔して欲しいです。あっ、スーさん!」

ス 「うん?」

m 「充電お願いしまっス!」

ス 「甘えっ子だね」

m 「ユンケル飲む的なアレです」





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by garoumusica | 2016-11-30 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
はい、本日から下鴨神社編が始まります。

が、糺(ただす)の森の途中にあります、摂社の河合神社からお送りしたいと思います。



下鴨神社の最寄り駅は、八坂神社から二駅の出町柳!

近いですねぇ・・・。

と言っても、駅まで結構距離があります。

八坂神社の最寄り駅の祇園四条までは7~8分位。

祇園四条から下鴨神社の最寄り駅の出町柳まで2駅で5分。

それから下鴨神社までは徒歩12分!

トータルで30分位です。


本日は航空写真で地図を作製!

赤いアイコンが下鴨神社、オレンジのアイコンが河合神社、青のアイコンが出町柳駅です。

森がずーっと続いている所がありますが、そこが糺の森。

結構距離がありますよね。



で、おもしろいな~と思うのは、下鴨神社の立地。

賀茂川と高野川の合流地点から糺の森が始まっています。

一見水害に見舞われやすそうな、あまり良くない場所に思えますよねぇ・・・。

実際、鴨川は水害を起こしやすい川なのだそうですが、古代の豪族たちはこの様な場所を好んで領地にしたのだそうです。

まずは水の確保が重要だったのでしょうかねぇ。

ちなみに、この合流地点を「剣先」と呼んでいるのだそうです。

鋭い感じが剣に見えたのでしょうかね?



さてさて、高野川を越えててくてくと歩いていきますと、一の鳥居発見!

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賀茂御祖神社が下鴨神社の正式名称です。



更に進むと・・・、

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消防車!?

その向こうには事故処理車!?

不穏な・・・。

この日は船岡山の稲荷神社でご挨拶をしていた時も、ものすごい数の消防車がすぐ近くに集合しまして。

今宮神社の近くでボヤがあった様なのですが、なんだか消防車をよく見る一日でした。



で、事故処理車の向こうは現在の糺の森の入り口なのですが、残念な事に工事中で・・・。

工事に使う道具?のエンジンの排気ガスが充満していて、これは化学物質過敏症が発動する!と思い、マスクを肌に押し付けて早足で工事現場を駆け抜けます!

工事をされる方は、この様な空気の悪い中で頑張ってくださっていて、本当に頭が上がりませんねぇ・・・。

そして河合神社を見つけたので、急いで鳥居をくぐったのです。



急いだのでうっかり鳥居の画像を取り忘れてしまい、河合神社は鳥居をくぐる所からです。

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チラッ。

趣があります。



手水舎。

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美しい・・・。



その横には三井社(みついしゃ)が・・・。

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ああ~、お社の屋根に草や苔が生えている所がすごく良いです・・・。

祭神は中社が賀茂建角身命、下鴨神社の祭神でもあります。

西社が伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)で、東社が玉依媛賣命(たまよりひめのみこと)です。

ん・・・?

河合神社の祭神は玉依姫命なのですが、何故門の前にも祀られているのでしょう???

おかしくないですか???

私が何か勘違いしているのでしょうか?

調べてみましょう!(`・ω・´)+



あー・・・、河合神社の祭神の玉依姫命は、神武天皇のお母さんの方の玉依姫命!

で、三井社の玉依媛賣命は下鴨神社の祭神の娘さんで、上賀茂のおっちゃんのお母さんの方!

なんかですねぇ、この三井社はその昔、下鴨神社の領地だった所に祀られていた神社だったそうです。

それがこちらに移されたのですねぇ・・・。

なるほど。



神門。

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美しい・・・。

門の屋根の上に生えた草や苔の緑が、古びた門の色とマッチしていてとても美しいです。



門を潜ってすぐの所にあるのが舞殿。

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コンパクトながらも品のある舞殿ですねぇ・・・。



斜めから。

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吊り灯篭の淡い金色と、焦げ茶・白・緑の色の組み合わせが素敵ですねぇ・・・。



で、ふと思ったのが、舞殿の屋根瓦。

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この瓦の形と・・・、



八坂神社の屋根瓦の形が似ています。

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不思議な感じがしますね、調べてみましょう!(`・ω・´)+

えーっと、この瓦の種類は経の巻(きょうのまき)と呼ばれるタイプだそうで、その名の由来はてっぺんの丸がお経の巻き物に似ているからだそうです。

は~~~、巻き物!



そう言えば八坂神社の疫社にもありましたね!

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巻き物の数は3つか5つだそうです。

経の巻は平安時代初期頃から使われ始め、当初は宮中のみの使用だったようですが、後に神社や寺院への使用が許されたのだそうです。

ちなみに現在ではどなたでも使用出来るそうです。

皆様もご自宅の屋根にいかがでしょうか?

目立つと思いますよ!(`・ω・´)+



(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)゚+.゚。゚+.(・∀・)



それでは本日も良い一日を~。

musica 「そう言えば京にいた間、正確には大阪ですが、なんと!とんこつラーメンを2回も食べに行きました。6日間しか滞在しなかったのに!」

スーさん 「いつもと逆だね」

m 「そう!いつもは結構厳しい斎戒で食べ物制限があるのに、今回は無かった!」

ス 「今回はいつもとは逆に、能力を落とす様にコントロールをしたのだ」

m 「なんでまた」

ス 「京の歴史や街に張り巡らされた結界故だね」

m 「そう言えば、うちの姉は京都が苦手なようです。体調崩したり、無意識に車道に足を進めてしまったりとか、色々あったようです」

ス 「無防備な能力のある者が一番被害に遭う」

m 「気の毒に(´・ω・`)」




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by garoumusica | 2016-11-29 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(2)
昨日も出て来た『牛頭天王と蘇民将来伝説の真相』絡みの話題です。



八坂神社というのは、元々は八坂さんとこの宗教施設でお寺みたいなもんだったようで。

ですが、869年に京で大流行した疫病を鎮める為に、清和天皇が詔勅を下し、廣峯神社から牛頭天王を分祀した事により、祇園社となりました。

では、廣峯神社について調べてみます。



廣峯神社(ひろみねじんじゃ)は、兵庫県姫路市の広峰山山頂にある神社で、 全国にある牛頭天王の総本宮。

現在は素戔嗚尊・五十猛命が主祭神として正殿に祀られ、左殿に奇稲田姫尊・足摩乳命・手摩乳命、右殿に宗像三女神・天忍穂耳命・天穂日命他が祀られています。

『播磨鑑(はりまかがみ)』という江戸時代に作られた地方紙によりますと、崇神天皇の御代に廣峯山に神籬が建てられたのが始まりという事です。

崇神天皇、第10代天皇です。

3~4世紀頃の人と言われています。

随分と前ですねぇ・・・。

で、また一説によると、733年に唐から帰った吉備真備(きび の まきび:奈良時代の学者)が都へ戻る途中この地で神威を感じ、それを聖武天皇に報告したことにより、翌734年に白幣山へ神籬が創建されたのに始まると伝えられているそうです。

白幣山というのは廣峯神社の奥にある山だそうで、広峰山の西側にある山だそうです。


赤いアイコンは廣峯神社で、青いアイコンは広峰山。

白幣山は記載がありませんでした・・・。



さてさて、先に廣峯神社は全国にある牛頭天王の総本宮と書きましたが、本によると大元が別にあるそうです。

その神社はというと、広島県福山市の素盞嗚神社だそうです。


赤いアイコンが広島県福山市の素盞嗚神社、青いアイコンが兵庫県姫路市の廣峯神社です。

素盞嗚神社の現在の祭神は、その名の通り素盞嗚尊。

配神は稲田姫命と八王子です。

いかにもな神様の並びですね・・・。



社伝によりますと、創建は天武天皇の治世であった7世紀頃(679年頃?)とされており、その後、吉備真備が唐から帰国した後の天平6年 (734年)に、備後から素盞嗚命を播磨の広峯神社に勧請したとされているそうです。

素盞嗚命とありますが、当時は牛頭天王です。

では整理します!(`・ω・´)+



679年:現・素盞嗚神社創建。

733年:唐から帰った吉備真備が白幣山辺りに神威を感じ、聖武天皇に報告。

734年:現・素盞嗚神社から牛頭天王を白幣山へ勧請し、廣峯神社を創建。

869年:清和天皇が詔勅を下し、廣峯神社から牛頭天王を現八坂神社へ分祀。

て感じですかね。



さてさて、なんで素盞嗚神社が祇園社の大元かというと、最も古いとされている「蘇民将来伝説」に所在地が記載されているからです。

・・・『釈日本紀』に記載されている「備後国風土記逸文」に・・・。

え~~~、うらべが元ネタかよ~~~( ´Д`)

とは思ってはいけません、大切な学術書です。

『釈日本紀』に記載されている「備後国風土記逸文」の全文はこちらです。→Wikipedia 「備後国風土記逸文」

この冒頭の一文に出てくる「疫隈(えのくま)の国つ社」が、現素盞嗚神社と言われています。

「備後国風土記逸文」には牛頭天王という名は無く、武塔(むとう)の神となっています。

風土記を作成するよう御触れの出た713年頃には、まだ牛頭天王という存在は居なかったようです。

これがまたややこしいのですが、武塔の神は牛頭天王以前から信仰されていた神様?らしく、後に牛頭天王と習合したようです。

で、武塔の神の武塔という言葉も、朝鮮語のムーダン(シャーマン的存在の事)から来ているのではないか、とも言われています。

そのムーダンに、頭に角が生えている古代中国の神・新農さん辺りが習合した神様のような感じもします。

いずれにせよ素盞嗚神社のある瀬戸内は、古代から渡来系の人達が使う航海ルートでしたから、彼らの信仰が根付いたとしてもおかしくないようです。


て感じで、祇園社の元宮について書いてみました。

中途半端ですが、あんまり牛頭天王に集中すると何故だか呼び出し神社のスーさんと繋がれなくなっちゃうんですよ。

牛頭の兄ちゃんの絵を描いていた時なんか、数日断絶してしまいまして・・・。

エネルギー的に種類が違うんでしょうね、うちの呼び出し神社のスーさんと牛頭天王は。

牛頭天王は陰陽師系ですから色々とあるのかもしれません。

ちなみに、上に出て来た吉備真備も陰陽師系です。

色々ありますねン!

もっと詳しく牛頭天王を知りたいわ!という方は、本をどうぞ。

今回購入した本はKindleだと1285円ですから、すごい安いですよ!

ページ数が多い上に字が小さいですが、読みやすくておススメです!



明日からは下鴨神社編に入ります。



☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆



それでは本日も良い一日を~。

musica 「色々ありますねぇ・・・。朝鮮半島の神様由来なら、八坂さんも自分ちの宗教施設に祀らしてよ☆って言われても、そんなに抵抗が無かったかもですね」

スーさん 「まぁ、元々新天地へと赴いた一族であるからね。郷に入れば郷に従えだ」

m 「習合慣れしてると」

ス 「慣れなければならなかった、だろうね」





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by garoumusica | 2016-11-28 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
以前、八坂神社編 その1。~あさきゆめみし 京を巡る旅~の記事の中で、私はこの様に書いたのです。

『京都に来るまで白鬚神社って聞いた事がありませんでしたが、京都ではメジャーなのでしょうか?』

この内容について分かった事があるので、本日はそれをつらつらと書いていきます。



昨日画像を載せた本、『牛頭天王と蘇民将来伝説の真相』にこのような内容の記載がありました。

 
・許麻(こま)神社、狛(こま)神社などは高句麗(こうくり:コグリョ)

・杭全(くまた)神社、百済王神社は百済(くだら:ペクジェ)

・白城神社、白鬚神社などは新羅(しんら:シルラ)


現在この様な名前になっている神社は、それぞれの国の人達による祖霊神、首長霊神の祭祀が元になっているのだそうです。

は~~~、白鬚神社って新羅の方が作られたお社だったのですねぇ・・・。

えー、でも猿田彦さんは葦原中国の人ではないのですかね?

ちょっと知らべてみます!

えーっと、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説によりますと、


「滋賀県高島市鵜川に鎮座する元県社を本社とする神社。山形県,福井県など各地にあり,サルタヒコノカミまたは新羅神とされる白鬚明神をまつる」


あー・・・、白鬚明神なる方が新羅の神様ですか・・・。

これもアレですかね?

神仏分離的なアレで新羅神が猿田彦さんに入れ替わったとか?

うーん・・・、まぁ八坂神社も元はと言えば、高句麗から渡来した八坂造(やさかのみやつこ)さんとこの宗教施設ですもんねぇ・・・。



京都ってなんで朝鮮半島系が多いのか疑問だったのですが、なんか、大和の地に都があった頃は大和地方から見て山の後ろにある地(山背:やましろ)に、渡来人を住まわせていたみたいなんですよ。

・・・( ˙-˙ )

大和地方から見て山の後ろにあるから山背って、ものすんごい安易な名付けですよね!

あー、でもトンボが交尾してるみたいに見えるから秋津島って名付けた初代天皇もいましたっけ・・・。

どっかのおっさん「この場所は清々しい」とか言っちゃって、須賀っていう地名になっちゃった場所もありましたね・・・。

安易な名付けはお家芸か・・・。



で、話を戻しますが、始めは山の後ろ辺りを山背と読んでいたようなのですが、だんだんと広がって行き、現在知られる様な山背国となったのだそうです。

そんな感じで山背国には朝鮮半島から渡来してきた人が多いのだそうです。

秦さんもそうですしねぇ、なんだか渡来系の人達がグルになって、現代に知られる山背に移動して行った感じもしないではない。



でも渡来系の人達の場所って、やっぱりあんまり良くないのですよ。

八坂神社は鴨川よりも東にありますが、昔は鴨川よりも東側があの世、西側がこの世と言われていたのだそうです。


赤いアイコンが八坂神社、水色のアイコンが鴨川です。



で、八坂神社をちょっと行った所に清水寺がありますが、清水寺南から泉涌寺近辺の一帯、阿弥陀ヶ峰周辺は、鳥辺野(とりべの)という風葬地になります。


iPadくらいの大きさのモバイルでギリギリアイコンが見えるかも・・・。

緑色のアイコンが清水寺、ピンク色が阿弥陀ヶ峰、紫色が泉涌寺です。

これらの地域に亡くなった方々の遺体が捨てられ、野ざらしにされていたのだそうです。

秦さんとこの伏見稲荷大社にも近いです。



風葬地はこの他に化野(あだしの)と蓮台野(れんだいや)があります。

嵯峨嵐山に近い化野念仏寺周辺が化野、スーさんお薦めの今宮神社にほど近い大徳寺周辺が蓮台野です。

平安京からちょっと外れた場所ですよね。

野ざらしだからカラスとか多そうですから、離れた場所に置きたかったのでしょうねぇ。

とは言え、元々居たであろう渡来系の方々にしてみれば、超いい迷惑ですね!



という事で、本日は白鬚神社から渡来系の方々と当時のお墓事情について調べてみました。



(o・ω・o)ノ++++++++++ヽ(o・ω・o)



それでは本日も良い一日を~。


musica 「安易な名付け・・・」

スーさん 「ジョーク好きは古代からだよ」

m 「古代からお笑い系はモテたのですね?」

ス 「お笑い系だからモテたのではなく、私に魅力があったからだろう?」

m 「モデルとかグラビア系の元タレントの美人な嫁さんを貰う所まで一緒」

ス 「まぁ、それは否定出来ないね」




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by garoumusica | 2016-11-27 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
という訳で、本日は牛頭天王を振り返ります。

八坂神社編 その5。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
八坂神社編 その6。~あさきゆめみし 京を巡る旅~



なんだかんだでスーさんを感じる事が出来なかった八坂神社ですが、唯一スーさんを感じる事が出来たものがこちら!

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おみくじ!



おみくじを引く時に牛頭天王に「メッセージをお願いします」とお願いして引いたのですが、THE☆スーさんなメッセージでw

これは何でしょう・・・?

牛頭天王のジョークなのか、スーさんのアピールなのか・・・。

よく分からないですけど、このおっちゃんの笑顔が思い浮かびました。

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からかうのが好きそうなところは、スーさんと似ています。



さてさて、本が届きました!

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じゃーん!

六韜と牛頭天王の本です!

後ろの本の表紙に載っている仏像は牛頭天王です。

三つ顔があるようですね・・・。



これらの本はちょっと厚いのが難点・・・。

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牛頭天王の方は頑張って読みましたけど、六韜はまた今度です。



で、この本によりますと、牛頭天王と素戔嗚命が同一であると言う伝説が記されているのは、『備後国風土記』なのだそうです。

懐かしいですねぇ、風土記・・・。

『風土記』というのは、713年に元明天皇の命により、地方の文化風土や地勢等を、国ごとに記録し編纂した報告書です。

現在残っている『風土記』は常陸、播磨、出雲、肥前、豊後の五ヵ国分のみ。

では牛頭天王について記された『備後国風土記』は?と言うと、後世の書に引用された逸文として残っているのみで、しかも牛頭天王の出てくる「蘇民将来」に関する伝説の部分のみなのだそうです。

で、その後世の書というのが、卜部 兼方(うらべのかねかた)によって編纂された、『日本書紀』の注釈本である『釈日本紀』です。



卜部 兼方さんは、卜占(ぼくせん)という占いをする事を生業とし、宮中の祭祀や諸国神社を司った神祇官の家系の方です。

で、平安時代後期には朝廷儀礼や古典研究を業とし、鎌倉時代には『日本書紀』研究の権威となられました。

この頃は神仏習合が盛んに行われ、古代神話が大きく読み替えられて「中世神話」というものが生み出された時代なのだとか。

中国の思想、陰陽五行、密教や禅、本地垂迹説などが入り混じり、古代の神々も大きく変化し、そして新しい神々も生み出されたのだそうです。

その中心となっていたのが寺社の神官、僧侶。

で、卜部さんは彼らに対抗して、『日本書紀』の読み替えを進めたのだそうです。

・・・もう嫌な予感しかしません・・・。

そして彼は研究に研究を重ね、


素戔嗚命と牛頭天王は似てる☆


という判断を下し、『備後国風土記』の「蘇民将来」伝説に卜部さんが一文を書き加えました。



「吾(あ:私)は速須佐能雄能神(はやすさのをのかみ)なり」



・・・(´・_・`)。

先学によるこの他の検証も含め、この『備後国風土記』の逸文は、平安末期から鎌倉時代にかけて作られた偽書であろうとされているのだそうです。

・・・(´・_・`)。


ちょっとぉ~~~、もぉ~、う~ら~べ~~~(´д`;)

(アンガールズ田中風)


って感じですよね・・・。



これが13世紀末の話だそうで、それ以降徐々に庶民の間にこの「素戔嗚命=牛頭天王説」が拡がり定着、そして明治の廃仏毀釈により素戔嗚命だけが残り、現在に至るのだそうです。

現代において、鞍馬山にサナトクマラが降臨したよ☆説が定着する様を見せているのと、同じ様な感じなのかもしれませんねぇ・・・。

牛頭天王の本はまだ他にも売られているので、そのうち読んでみたいと思います。



(o・ω・o)ノ++++++++++ヽ(o・ω・o)



それでは本日も良い一日を~。

musica 「という訳で、私的にはスーさん≠牛頭天王という感じになりました」

スーさん 「神は人それぞれだからね、君にとっての真実は君にとっての真実だ」

m 「はい。神様はあらゆる姿を取りますからねぇ・・・。脱いでみたり(チラッ→)」

ス 「あれは君の記憶に残す為の努力の結果だ」

m 「全裸が?」

ス 「あれくらいのインパクトが無いと、君の記憶に残らないという訳だ」

m 「まぁ、確かに記憶に残りましたけどね」

ス 「我々の日々の睦み合いは全裸に劣るという事だ」

m 「睦み合った記憶はありませんね」

ス 「全裸ではないから覚えていないだけだ。試しに全裸で」

m 「あ、結構です(ヾノ・∀・`)」








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by garoumusica | 2016-11-26 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(2)
八坂神社編、本日でお社探索はラストです。

八坂神社編 その5。~あさきゆめみし 京を巡る旅~



最後のお社は悪王子社。

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祭神は素戔嗚命の荒魂。



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意図した訳ではありませんが、足の向くままに参拝していたらラストがスーさんのお社となりました。

それにしても悪王子なんて、すっごい言われよう。

すんごい乱暴者な感じがしますよねw

・・・と思っていたのですが、違うんですって!

古語辞典を開いてみると、悪は接頭語として人名や人を表す官職名に付くと、『勇猛である、荒々しく乱暴である』という意味を成すそうで、この悪王子社の場合は特に霊験あらたかな神様みたいな感じになるのだとか。

んー・・・、でもおかしいですよね。

素戔嗚命が『王子』と呼ばれる意味が分からない。

素戔嗚命が王子様だった事ってありますか?

王子様ってすごくキラキラしたイメージがありますけど、素戔嗚命はどう考えても髭モジャのおっさんじゃん。

それに日本で言うなら、王子ではなくて『皇子』のはず。



スーさん 「おっさんはあくまで君の前に現れる場合だろう?」

musica 「えー、でも、いずれにしても王子様ってキャラじゃないでしょ~」

ス 「伊弉諾の息子だぞ?」

m 「伊弉諾さんは王ではないでしょ?」

ス 「いいから調べなさい」

m 「王子って言ったらもっとキラキラした・・・」

ス 「いいから」



じゃあまず、王子について調べてみます。

関係ありそうなのは王子信仰でしょうか?

Wikiによりますと、


『日本には古来、本宮と呼ばれる神社の主神からその子供の神として分かれ出た神格を祀ったり、巫女的な性格を持つ母神とその子神をあわせて祀る信仰があり、これを若宮あるいは御子神(みこがみ)と呼んでいた。

のちに仏教と神道の習合が進むと、仏教の神格のひとつで、図像では仏に顧従する児童の姿で表現される「童子」が若宮と習合され、王子と呼ばれた。

また、王子を祀る社も王子と呼ばれることがある』


で、


『祇園社の牛頭天王や日吉大社の山王権現の眷属神として、王子の姿をした八柱の神格である八王子権現が現れ、病気を払う力を持った霊威あらたかな神として広く信仰された』


うーん・・・、上記を読んでも素戔嗚命の荒魂のお社が悪王子と名付けられた意味が分かんない・・・。

このお社も神様違うんじゃないかな・・・。

普通に考えたら牛頭天王の子供である八王子が祭神でしょ。



ところで、上に出てくる山王権現ってどなたなのでしょう?

この方についても調べてみます。

Wikiによりますと、


『山王権現とは、日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合して成立した、延暦寺の鎮守神である。

また、日吉大社の祭神を指すこともある』


また比叡山か・・・。

日吉大社は先日出来て来た日吉社の大元です。→八坂神社編 その4。~あさきゆめみし 京を巡る旅~

いずれにしても、元々の祭神は素戔嗚命ではなさそうですね・・・。



でも、とてもかっこいいお社です。

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美しい流造り。

色が良いですねぇ・・・。

渋いわ~~~。



こちらのお社へのご挨拶で、八坂神社のお社巡りは終了です。

次の目的地は下鴨神社なので、再び地下鉄へ乗り込む為に西門へ向かいました。

八坂神社の正門は南門なのですが、こちらは結局潜りませんでした。

皆様がお参りされる時は、是非南門から御参拝ください。



で、西門へ向かう途中で見かけた謎のモニュメント。

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何でしょうね?コレ・・・。

太鼓?

真ん中の巴紋のある部分には金網が張ってあります。

まるで扇風機・・・。

巴紋の彫りが扇風機の羽根に見える上に、指入れ防止の為のネットまで張ってあるんですもん・・・。



模様が素敵です。

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剣と龍!

どういう意味合いがあるのでしょうねぇ・・・。

龍が剣を飲み込もうとしている様に見えますよね・・・。

龍が剣を飲み込むって、なんだか意味がありそう!

ちょっと調べてみます!(`・ω・´)+



あー・・・、合っているかどうかは自信ありませんが、なんか仏教に倶利迦羅竜王(くりからりゅうおう)っていう不動明王の化身の竜の王様がいらっしゃるそうで、形像は岩上で火炎に包まれた黒竜が剣に巻きついて、それを飲もうとする様に表されるのだそうです。

倶利迦羅竜王は人の住むこの世を、剣は仏界をそれぞれ表し、衆生の心の内に仏の知剣を導き入れ、仏と人が一体となる様を剣を飲む龍で表現しているのだそうです。

は~~~、なんだかそれっぽいですよね。

ほんと仏教の場だったのですねぇ、八坂神社は・・・。

て言うか、迦羅って古代の朝鮮にあった国の名前ですよね?

倶利迦羅竜王は迦羅の神様って事?



ス 「それを言うなら唐だってそうだろう?」

m 「あー・・・(´・_・`)、うーん・・・(´^`)。うん!( ´ ▽ ` ) 今日はやめておきましょう!(`・ω・´)+」

ス 「君という者は・・・」



で、この扇風機じゃなくてモニュメントの前には、意味ありげな石もありました。

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磐座?

一体これは何なのか・・・。

八坂神社へ行かれたら、是非こちらも探してみてくださいね~。

明日は八坂神社と牛頭天王を振り返ります。



(´x`)ノ(゚_っ゚)ノ(・v・)ノ(゚∀゚)ノ (゚д゚)ノ(´x`)ノ(゚_っ゚)ノ(・v・)ノ



それでは本日も良い一を~。

m 「ねぇスーさん?」

ス 「うん、何かね?」

m 「なんか無いですか?」

ス 「フフフ、今日のひと言かね?」

m 「はい」

ス 「それでは、本日は金曜日だね。今週やり残した事は無いかね?その様な場合は土日にやろうと思っても、結局は上手くいかないものだ。今週やろうと思っていた事は今日しなさい」

m 「今週はまだ絵を描いていない・・・」

ス 「今日描きなさい」

m 「はー・・・い」




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by garoumusica | 2016-11-25 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)
さてさて、八坂神社巡りもそろそろ終わりが見えてきました!



能舞台。

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それから斎館を過ぎますと・・・、

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辿り着いたのはお稲荷さん!

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玉光稲荷社と命婦稲荷社です。



こちらは鳥居のすぐ側にある玉光稲荷社。

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朱色に黒の模様が美しいですねぇ・・・。

読み方は「たまみつ」だとか「たまこう」だとか・・・、よく分かりません。

祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、素戔嗚命の娘さんです。

宇迦之御魂神の事を玉姫大神と呼んでいる神社もあるので、それで玉光という名が付いたのでしょうか。

それにしても、このお稲荷さんは祇園社時代も宇迦之御魂神だったのでしょうかね?

荼枳尼天だったとかあるのでしょうかね?



そして命婦稲荷社。
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先の玉光稲荷社よりも高い位置にあります。

祭神はその名の通り命婦神。

以前こういう記事を書いていました。→伊(略)そして秦氏、更に荷田氏←NEW!その2。

命婦社についてはこちらをご覧ください。



ところでWikiによりますと、玉光稲荷社権殿の命婦稲荷社と二社で一体とされているそうなのですが、命婦稲荷社が玉光稲荷社の権殿ってどういう事なのでしょうね?

権殿ってアレですよ?

本殿を建て直したり修理したりする時の仮のお社の事です。

なのに命婦神がいらっしゃる命婦稲荷社が権殿って、なんだかおかしくないですか?

それから本殿より権殿の方が、高い位置にあるというのはどういう事なのでしょうか?

あっ!そう言えば貴船神社は権殿が本殿よりも高い位置にあった・・・。→貴船神社 本宮編 その3。〜あさきゆめみし 京を巡る旅〜

どういう事なのでしょう・・・。

宮大工さんが神様より高い位置に立たない様にする為の配慮?

なんだかよく分からないです。



そして大神宮社。

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・・・残念ながら工事中でした。

祭神は天照大神と豊受大神の伊勢神宮コンビです。

豊受大神は食物・穀物を司る女神で、稲荷神である宇迦之御魂神と習合した歴史があるそうです。

ふうん・・・。

じゃあ、こちらも祇園社時代は他の神様だったのですかね?



参拝出来ないので横からチラリ。

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あれ?千木の向きが反対です。

千木というのはお社の屋根にある天に向かって突き出た柱の事ですが、尖っている方が上向き(外削ぎ)なら男神、平らな面が上向きになっている(内削ぎ)のは女神のお社となります 。

なので、上の画像だと右側が女神、左側が男神と判別出来ます。

ですが、お伊勢さんの場合はどちらのお社も女性のはず。

・・・?

調べてみましょう!(`・ω・´)+

えーっと、あー・・・、伊勢神宮に限っては内宮の千木は内削ぎで、外宮の千木は外削ぎなのだそうです。

という事は、右側が内宮:天照大神のお社で、左側が外宮:豊受大神のお社という事になります。

・・・多分・・・(´・ω・`)。



千木の間の堅魚木(かつおぎ:鰹木)の数でも分かります。

奇数の場合は陽数なので男神のお社で、偶数の場合は陰数なので女神のお社という事になります。

ではもう一度。

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えーっと、右側のお社の堅魚木は6本なので女神。

左側のお社は5本なので男神。

よって、右側が内宮:天照大神のお社で、左側が外宮:豊受大神のお社と予測出来ます。

・・・。

・・・多分・・・(´・ω・`)。



明日で八坂神社のお社探索は終了です。



(o・ω・o)ノ++++++++++ヽ(o・ω・o)



それでは本日も良い一日を~。

musica 「わー、なんだか急に寒くなってきましたね」←昨日の会話。

スーさん 「体調管理には気を付けなさい」

m 「はい」

ス 「雨が降る毎に気温が下がる。この辺りの紅葉も見事なものとなるだろう」

m 「楽しみですね。安芸の宮島に行きたかったです。『秋の☆安芸の宮島』って言う記事を書きたかった・・・」

ス 「君、我々のジョーク好きがうつっているぞ」

m 「・・・」




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by garoumusica | 2016-11-24 05:00 | あさきゆめみし 京を巡る旅 | Comments(0)

目に見えない厳ついおっさんと絵描きの会話。それから大変申し訳ありませんが、本サイト内の画像、写真の無断転載・転用を禁止させていただいております。


by musica