<   2015年 12月 ( 31 )   > この月の画像一覧

本日は昨日の記事の続きです。




は~~~、20分かけて書いた記事が消えました・・・。

書いていた内容はやめて昨日の続きをサッサと書く事にします。

て書いたら目の前に白い丸が・・・。

ぐぬぬ・・・(メ゚益゚)



musica 「ところでスーさん、こういう内容って書いていいんですか?日本の文化、神道は古代イスラエル人の影響を受けたものだって事になるでしょ?」

スーさん 「秦氏が古代日本にもたらした影響は計り知れない。それは事実ではないか。君は今、日本の歴史を学んでいる所だろう?何が問題なのだ?」

m 「確かに私は『古来の神社は今のように常設の社殿があった訳ではなく、祭祀を行う度に仮の屋代・神籬(ひもろぎ)を設けて神を祀り、終わると神のお帰りを待って取り壊していた』と書いて、秦氏が神社を創建したと書きました。が、その時は秦氏が古代イスラエル人だとは思っていなかったですよ」

ス 「うむ、それで?」

m 「古代イスラエル人という事は秦氏が信仰していた宗教は、時代的に古代ユダヤ教とか原始キリスト教、東方キリスト教でしょう?神道は古代ユダヤ教とか原始キリスト教、東方キリスト教の影響を受けていると言っているのと同じじゃないですか」

ス 「それの何が問題なのかね?」

m 「問題じゃないですか?」

ス 「君が今着ている服は何かね?半纏を羽織ってはいるが部屋着は西洋の服ではないか」

m 「そうですけど」

ス 「今君が扱っているコンピュータは誰が発明したのかね?そのディスプレイは?それを動かしている電気は誰の発明かね?照明は?すべて外国の文明品ではないか」

m 「時代が違います」

ス 「時代?君は何を言っているのかね?今年君は何を学んだのかね?古代の日本人が諸外国相手に活発に交流をしていた事を学ばなかったかね?移動経路を学ばなかったかね?かかる日数を学ばなかったかね?君達日本人は古代より様々な国と人と文化と交流をしてきたのだ。いいかね?文化の交流だぞ?」

m 「・・・」

ス 「秦氏は我々日本に多大な貢献をした。様々な文化に於いてだ。そんな彼らが古代から続く日本の宗教に関し、自分達の宗教を基に整理してもおかしくなかろう」

m 「うーん・・・。日本に古代から続く宗教を自分達のものとすり替えたりとか」

ス 「すり替えるというよりも配慮はあろう。隠れキリシタンのマリア観音などが分かりやすいだろうか」

m 「あー、なるほど・・・」

ス 「『稲荷=INARI』と『INRI=ユダヤ人の王、ナザレのイエス』ネットで見かけただろう。日本人にとっては稲荷神社、秦氏にとっては彼らの宗教施設。これはある意味画期的だと言えよう?」

m 「うーん・・・。スーさんにとって自分達の宗教が侵攻されたという意識は無いのですか?」

ス 「侵攻?信仰ゆえに?」

m 「面白くないです」

ス 「日本語とは面白いものでね、同音異義語や似た言葉が真理を突いているのだよ。信仰ゆえに侵攻してしまう」

m 「癒しはイヤしいとか?」

ス 「フフフ。信仰とは文化と同じように常に形が変わっていくものだ。信仰の対象の形が変わり名が変わったとしても、我々の本質は決して変わる事は無い。我々の本質と言うのは君達への愛の事だよ」

m 「うーん・・・」

ス 「このブログで初めに君達に話しかけた内容は何だ?」

m 「鏡の話?」→スーさんの講義。

ス 「そうだ。君達が御神体の鏡に映すのは君達自身の姿だ。即ち神は見る者によって姿が変わる。ただそれだけの事だ」

m 「それだけの話」

ス 「百人の人がいれば百通りの神がいる、ただそれだけの事だ。納得いかぬかね?」

m 「なんとなく・・・」


☆(´・ω・`)★☆(´・ω・`)★☆(´・ω・`)★☆(´・ω・`)★


それでは本日も良い一日を~。

ス 「今週やり忘れた事は無いか?身の回りを整理し、今一度確認しなさい」





[PR]
by garoumusica | 2015-12-11 05:00 | 神社巡り | Comments(0)
本日も秦氏シリーズです。

本来は稲荷シリーズのはずでしたが、気がつけば秦氏シリーズです。

もうカテゴリーを古代氏族に変えた方が良いのではないかと思っています。



突然ですけど、昨日のブログの記事を書くまでは日ユ同祖論ってちょっと小ばかにしていたのですよ。

劣等感を持つ日本人が「我々は失われた10氏族の末裔だ(`・ω・´)+」とか言い出したのだろう、トンデモ話、プーくすくす、レベルに思っていました。

どうもすみませんでした(´・ω・`)

自分で納得のいくように勉強していたら、ごもっともですと思う様になりました。

私が無知でした。



日ユ同祖論って何ですか?と思われる方もいらっしゃるかもしれないので、ざっくりと書いていきます。

まず紀元前10世紀頃、現在のイスラエルの地には古代イスラエル王国と呼ばれる国があり、ここには「イスラエル12氏族」と呼ばれる人たちが住んでいました。

その後、南王国ユダ・北王国イスラエルに分かれ、南王国ユダには2氏族、北王国イスラエルには残りの10氏族で構成されました。

それから紀元前721年に北王国イスラエルはアッシリア帝国によって征服され、この王国にいた10氏族はアッシリアへ連行されます。

この時に北王国イスラエルは滅亡、10氏族は行方不明となります。

これが巷でよく聞く「イスラエル・失われた10氏族」です。



で、時は流れて現在。

1975年に設立されたイスラエルの失われた10支族に関する調査機関「アミシャーブ」というものがあり、ユダヤ人の方達は今も失われた10支族を探し続けていらっしゃいます。

他にも多くの方達が研究をされていらっしゃるのですが、彼らの研究によると失われた10支族の末裔はアッシリアに連行された後、東に向かった事が分かっているそうです。

アレです、昨日のシルクロードのやつです。→伊奈利と(略)、更に荷田氏。本日は秦氏と祖神・弓月君。

で、最終的に失われた10支族が辿り着いたのが東の果て・日本だった・・・!!!

というのが日ユ同祖論です。



あくまでも、日本人=ユダヤ人ではありません。

日本人の祖先はユダヤ人だ!でもないです。

秦氏が日本に来た当時の日本の人口は500万人で、それに対して弓月君は120県分の人を引き連れて来た事なので、1県100人とすると1万2千人程度です。

なのでユダヤ人の一部の人達の遺伝子と日本人の中の一部の人達の遺伝子が合致する部分があるよ、程度に思ってください。

で、実はこの日ユ同祖を言い出したのは日本人ではなくユダヤ人の方達です。

実際遺伝子の調査もされていて科学的に認められているそうなのです。



そしてスーさんとの雑談。

musica 「稲荷の記事を書いていたはずなのに、どうしてここまで来てしまったのか・・・」

スーさん 「君にとって必要な流れだったのだよ。まぁ少々強引だったのは認めざるを得ないがね」

m 「どうしてこうなった・・・」

ス 「君がここ数年年末にガイドを見てもらい翌年のアドバイスを貰っているだろう?」

m 「あー、はい。まるの日さんのガイド拝見。スーさん達と接する前からお願いしてます」→まるの日圭の あなたのガイド拝見

ス 「彼がメッセージを受け取る『ガイド』は非物質的に影響を与えている存在総てを指し、そのメッセージはその中で今一番繋がりの深い存在から受け取っていると言われている。そしてそれは過去生、未来生、別次元の自己の場合もある」

m 「はい」

ス 「さて、君のガイドの中に中央アジアの人物がいた。秦氏がもと居たとされる弓月国はどこに位置するかね?」

m 「中央アジアです・・・」

ス 「君の名をアルファベットで表記した場合、綴りが同じ外国語の名前がある。その名の起源はヘブライ語であり、古代のイスラエル人が使っていた言語だろう?」

m 「・・・」

ス 「君の人生に起こる出来事は全て必然だ。今回の流れも君の人生にとって必要な流れだったのだ」

m 「中央アジアのガイドさんのお名前はアウルさんで、これも私が小学生の頃から好きだった小説の主人公の名前でした。今回もまた壮大な伏線を引いたものですね」→備えて心にゆとりを持つ。

ス 「伏線はきちんと回収してもらいたいものだね」


( ・_ゝ・)o*――゚+.――゚+.――゚+.――゚+.――*o(・c_,・)


それでは本日も良い一日を!

ス 「君達が本当に迷っている時、能力のある者に我々からの言葉を届けてもらうのもひとつの手だ」




[PR]
by garoumusica | 2015-12-10 05:00 | 神社巡り | Comments(0)
ちょっと開けての稲荷話です。

どういう内容だったか自分が忘れてしまったので、自分のブログを読みなおしてしまいました。

前回の内容は「安心してください、神の祟りではなくて水銀中毒ですよ。」でした。

もっと詳しく思い出したい方はこちら→伊奈利と(略)、更に荷田氏。本日は秦氏と水銀中毒。



で、なんで稲荷神社と関係のない事を長々と書いてきたかというと、秦さん達はあらかじめこれらの出来事を予測していたんじゃないかなぁと思ったからです。

秦さんと当時の日本を比べると、持てる技術や文化が段違いに違う。

技術者集団という事ですから、当然水銀アマルガム鍍金法を用いる事によって引き起こされる水銀中毒を、経験的に知っているはずです。

遷都をしなくてはならない程の汚染を見逃し、最終的に資金を提供し都を自分達の本拠地へ誘致している様子から、全て彼らの計画通りなのか?と思わずにいられないのです。

平安京の風水はバッチリ!空海の知恵のおかげだよ!みたいな内容のものもネットで目にしましたが、空海というよりも秦さんの知恵っぽい感じがします。

300年近くの年月をかけて治水工事をしたり信仰の対象を創り上げたり。

少しづつ少しづつ京に都を置く手筈を整えていたようです。



が、そんな秦さん、政治では努めて裏方へまわる様にしていたそうなのです。

その後急激に力を失い政治の世界から消え去ったと言われている様なのですが、どうなのかな?と思い彼らについて調べてみました。

秦さん達の祖神は弓月君(ゆづきのきみ)。

元々いたと思われる国は中央アジアに位置する弓月国(ゆづきのくに)、古代の中国では「ユンクエ」←間違え。「クンユエ」と呼ばれていたようです。

f0351853_02550826.jpg

かなり適当で申し訳ないですが・・・。

秦氏はユダヤ人だという説があります。

なのでユダヤ人が開拓したというシルクロードの4つのルート(ルイス・ラビノウィッツさんの説)を重ねてみました。

f0351853_02552050.jpg

シルクロードには旅をして6日ごとの距離にユダヤ人の街があったそうです。

弓月国はその一つだったのかもですねぇ・・・。

秦氏がユダヤ人だったとしたら、彼らの歴史は現在で4000年の歴史があると聞きますから、当時で考えても2200年位の歴史があった訳ですので、秦氏の技術力・知力を考えるとさもありなんと思えてしまいます。

そして迫害の歴史がありますから政治の表舞台には立たず、裏で政治を操り自分達の住みやすい国を造る事に専念した事も納得です。

盛者必衰ですからねぇ・・・。



秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐのはたのきみ)の「伊弥奈利(=稲成り)」の神話も、なるほど、良く出来てるなぁと思うのです。(→伊奈利と稲荷、狐と空海、そして秦氏。

まず伊呂具さんを驕った嫌な奴として描いた後に、心を入れ替え伊奈利神社を建てた、としています。

秦氏を一旦低く描いていますから秦さん家が段違いに裕福でも、庶民は『秦さん家が裕福なのは心を入れ替えて頑張ったからよねぇ』と好意的に見る事が出来ます。

それに自分達への戒めにもなりますからねぇ。。。



が、一方の荷田さん。

彼らにも伊奈利神社に関する神話があるのですがこんな感じです。



荷田龍頭太(りゅうとうた)という者が稲荷山の麓に長年に渡り住んでいて、昼は田を耕し夜は山に入って薪を求める仕事をしていた。

その顔は龍のごとくで頭の上に光放つものがあり、夜でも昼のように明るかった。

この龍頭太が稲荷神であり、荷田氏の祖神である。



これは空海さんの弟子が書いた『稲荷大明神縁起』に出てくるのですが、祖神を光り輝く他者とはちょっと違う自分にしちゃったあたり、ちょっと虚栄入ってますよね。

祖神の伝説の中に己への戒めと教訓、そして他者への気遣いを入れた秦氏と、虚栄を入れた荷田氏。

どちらが上手か火を見るよりも明らかだなぁと感心してしまいました。



が、そんな秦さん家でもちょっとアレ?っと思う発言も出てきます。

9世紀になると秦さんが「自らの祖先は秦の始皇帝である(`・ω・´)キリッ」と言い出します。

実際それが事実で秦氏の中でそういう話が先祖代々伝わって来たのかもしれませんが、それを表に出しちゃいけないよと彼らは教えていたはずなのです。

時が経つと祖先の知恵も忘れ去られたのでしょうか。


|・ω・)ノ[終]|・ω・)ノ[終]|・ω・)ノ[終]|・ω・)ノ[終]|・ω・)ノ[終]


それでは本日も良い1日を。

スーさん 「ふと目に入った本、それを手に取りなさい。我々からのメッセージだよ」




[PR]
by garoumusica | 2015-12-09 05:00 | 神社巡り | Comments(0)
昨日私は夢を見ました。

現実の世界で行った事の無いスーさんの神社での祭儀に参加し、その帰りに私は母にこう言いました。


musica 「一風堂でラーメン食べて氷川神社へ行って帰ろう」


そこで覚醒・・・。

昨日は絵を描いたし本館と別館のブログの更新で明け方まで起きていたので、2時間位しか寝ていませんでしたが妙にスッキリ・・・。



m 「もー、なんで月曜日ばかりなんですか?」

スーさん 「木曜日から連続で絵を描き続けた為に我々との交信も禊もバッチリだからだ」

m 「あー・・・」←納得してしまった。



元々昨日は母の仕事も休みだったのでどこか近場で観光する予定だったので問題は無いのですが、上のセリフの条件に合うところがあるのか・・・。

ネットで調べてみると、高速使って1時間半くらいの場所に該当地あり。

マジか。

という事で母に提案をすると、却下。

ですって、スーさん。

今日は諦めてください。

すると母が何故か下関市の角島(つのしま)大橋に行こうと言い出しまして・・・。



えー、こっちの方が遠いのに・・・。

という事で本日は秦さんの続きを書く時間がありませんでした。

すみません・・・。



で、角島大橋です。

f0351853_01552567.jpg

左下が歪んでる・・・。

f0351853_01560222.jpg

雲がワイルドです。

f0351853_01555022.jpg

Eみたいな雲。

f0351853_01571925.jpg

帰りに見つけた小さなスーさんの神社。

f0351853_02102177.jpg

小山の上に建ってました。

そして多分ここが本命、神功皇后神社です。

f0351853_01562884.jpg

裏山が神域っぽい感じです。

f0351853_01564091.jpg

お社。

f0351853_01565328.jpg

社の右後ろに樹齢500年のご神木が。

まぁ気がつかなかったのですけどねw

手水舎がまさかのマーライオン。

f0351853_01570585.jpg

そして最後にプチ奇跡が。

f0351853_01573639.jpg

良い一日でした。


ス 「この程度の事で奇跡だと言って喜んでもらえるとは、私は幸せ者だな」

m 「何言ってるんですか・・・」


( ・_ゝ・)o*――゚+.――゚+.――゚+.――゚+.――*o(・c_,・)


それでは皆さまも良い一日を・・・。


ス 「我々は伝えたい事がある時にしばしば夢を使う」

m 「でも今日は夢の通りにならなかったですよ?」

ス 「流れが重要だったのだよ」



[PR]
by garoumusica | 2015-12-08 05:00 | つれづれ | Comments(2)
昨日は絵をバリバリ描いたので秦さんの話は書けませんでした(`・ω・´)+

なのでちょっとした日常の気づきを・・・。



先月の話。

ご近所さんに柿を沢山いただきまして。

で、昼食にせっせと食べていたのです。

いつもおっさんsにお裾分けをしているのでこの日もいつも通りにお裾分け。

なんだか柿はお好きみたいで皆さん輝きが違いました。

そしてふと、おっさんsの様に気軽に仏壇に気のお裾分けをした事ないなぁと思い、フォークに刺した柿を仏壇に差し出して、「どうぞ~」と言ってみたのです。


で、その後何気なくその柿を食べたところ、味が無い∑(゚Д゚ )

ものすごく甘い柿なのに甘味が無くなっていたのです!!!


え~~~、びっくり・・・。

スーさん達の場合は味の変化はないですし、と言うよりも、神社などに奉納した食べ物の気は濃くなると聞いていたので、こんな変化は初めて。。。

これが神職と霊体(?)の違いなのかと感心してしまいました。



で、後日。

また仏壇に差し出したところ、味の変化が無くなっていました。

あれ?なんでだろう?と思っていたら、



スーさん 「君があれだけ味が無くなったと騒いだから、君のご先祖が食べにくくなっただろう?」

musica 「あー・・・(´・ω・`)。(仏壇に向かって)ひとつ位味が無くなっても平気なんで、どうぞ食べてください」

ス 「まったく・・・」

m 「これからも味が変わったって思うかもしれませんが、それはただの物事の把握に過ぎないので気にしないでください・・・」



という事がありましたです。

明日は秦さんの続きが描ける様頑張ります(`・ω・´)+


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


それでは本日も良い一日を!

稲ちゃん 「最近は月曜日の憂鬱は無くなった?」





[PR]
by garoumusica | 2015-12-07 05:00 | つれづれ | Comments(2)
昨日は絵の面倒な所をずっと描いていたので早々に飽きてしまい、時間があるので稲荷神社に関する話題の続きです。
伊奈利と稲荷、狐と空海、そして秦氏、更に荷田氏←NEW!



まずは前回までのポイントを、よく分からなくなってきた自分の為にまとめてみます。


・古代には「春に山の神が里に降りてきて田の神となり、秋に収穫が終ると山に帰る」という信仰があった。

・狐には山と里を行き来するという習性があった為、狐を「田の神様」として扱っていたのが、後に狐が稲荷の使いとされるようになった。

・稲荷神社の祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で穀物・農業の神様。

・宇迦之御魂神の別名が御饌津神(みけつかみ)であり、みけつの「けつ」が狐の古名「けつ」に想起され、誤って「三狐神」と書かれしまった為、狐は宇迦之御魂神の眷属であるとみなされた。

・稲荷信仰の総本山・伏見稲荷大社は秦氏の氏神。

・秦氏は3~4世紀頃に新羅(朝鮮)から渡来した集団で、卓越した技術を持つ技術者の集まりだった。

・秦氏の一部が現在の京都の深草に進出し、その地を治めていた豪族荷田氏を制圧し現伏見稲荷大社のある伊奈利山の祭祀権を奪取、そして711年に前伏見稲荷大社である伊奈利社を創建。

・荷田氏は摂社である白狐社(命婦社)の統治を与えられる。

・白狐社(命婦社)の祭神である命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)は、810~24年あたりに宇迦之御魂神の眷属となった狐。



こんなところです。

で、これから都が平安京に移ってからの話になるのですが、秦氏ってすごいですよ。

秦氏って3~4世紀頃に新羅(朝鮮)から渡来したと書いたのですが、深草に進出したのは5~6世紀あたりではないかという事なのです。

まず福岡に上陸し、彼らは宇佐八幡宮の元宮である矢幡八幡宮を創建します。

全国津々浦々にある八幡宮も秦氏が創建したものっていうのがすごいですよねぇ・・・。

その後5~6世紀あたりに深草へ進出。

はじめ物凄く不思議だったのですよ、なんで深草?って。

当時のこの辺りの中心地と言えば奈良(下図の①です)でしたから、京都の深草(下図の14です)ってちょっと外れてるように見えたのです。

太秦に進出した秦氏にしてもそうです。

ですが時代が変わるにつれてだんだん都が京都に移動してくるのですよ・・・。

794年に都が平安京に移る時に、秦氏は天皇に資金提供をし都を自分達の勢力圏に持って来たのです。

f0351853_02504827.jpg

はじめは中央下の①からスタート。

数字がピンク丸の横にあるのは、また同じ場所に戻って来たよ☆ということです。

中央上の14が平安京です。

ちなみに緑のウニョウニョは山です!(`・ω・´)

山です!(`・ω・´)



なんかすごいですよねぇ・・・。

先見の明があると言えばそうなんですけど、何百年と時間を掛けて徐々に自分達の居る方向へ手繰り寄せている感じが、蜘蛛の巣にかかった獲物を少しずつ確実に捉えていく蜘蛛の様で。

上の図に星のマークがあるのですが、あの場所は大和の地を眺める絶好の場所だったそうで、古代の人達は大和へ来る時にあの場所から大和の地を眺めたのだそうです。

山々を見てとんぼが交尾してるみたいだね☆と言った御仁もいました。

ですが秦氏は違います。

100年後200年後を見据えて行動しています。



①から③⑤と数字が並んでいますが、そこには川があり谷になっていて宇陀地方へと行く事が出来ます。

宇陀は古代に重宝された水銀や辰砂の産地で、国内だけでなく海外からも買い付けに来ていたそうなのです。

それはそれは賑やかだったそうなのですが、あんまり度が過ぎると出てくるのが水銀中毒。

538年に仏教が伝来し、次第に国産の仏像が造られるようになりますが、仏像を金色にメッキする技法に水銀アマルガム鍍金法が用いられたそうなのです。

これは水銀を蒸発させて仏像にメッキを施す方法なのだそうですが、その蒸発した水銀を技師が吸引すると発生するのが水銀中毒。

廃水や空気、土壌なんかにも当然水銀が混ざりますから、それを元に民にも被害が出ます。

て言うか、その前に採掘場からの汚染もあるでしょうから、どのみちその一帯は居住出来なくなるのです。

平城京にある奈良の大仏も5年がかりでメッキを施されましたが、その間都の人達は蒸発水銀を吸い続け、水銀中毒にかかってしましました。。。

蒸発水銀を吸った場合の中毒症状は、気管支炎・肺炎、腎障害・むくみ・尿毒症、それから倦怠感・手の震え・運動機能の失調などです。

これらを当時の人達は仏教を信仰した為に日本の神々が怒ったのだ、祟りだと恐れ都を転々としました。


安心してください、神の祟りではなくて水銀中毒ですよ。


明日も(絵が順調だったら)続きます。


゚♪゚.★.。O。゚♪゚.★.。O。゚♪゚.★.。O。゚♪゚


それでは本日も良い一日を~。

musica 「スーさん達ってさ、事ある毎に神の祟り~とか言われちゃっててさ・・・」

スーさん 「それは一重に知識が無かった故だろう?仕方あるまい」

m 「仕方あるまい、か」

ス 「我々は人を受け止める為にいるのだから」

m 「祟ったりはしないです?」

ス 「当たり前だよ。でも君が祟る神を望むのならば・・・」

m 「いつものパターンですねw」





[PR]
by garoumusica | 2015-12-06 05:00 | 神社巡り | Comments(0)

ヌーマイト。

f0351853_02153764.jpg

本日は絵を描きたかったので、お稲荷さんを巡るあれこれはちょっとお休みです。



冒頭の画像はヌーマイトと呼ばれる石です。

ヌーマイトは1810年にグリーンランドで初めて発見された石で、フィンランド・アメリカ・中国でも採れるそうです。

f0351853_02155156.jpg

黒っぽい石の中に青や茶色のキラキラを見る事が出来ます。

で、なんでこの石を取り上げるかというと、今描いている熊野のスーさんの絵を描く時に身に着ける石は何にしようかなと思った時に、脳裏に浮かんだ石なのです。

八咫烏の羽根っぽいですしね。

カラスの羽根は一見黒ですが、光の当たり方によって様々な色を見せてくれます。

黒い色の中に様々な色を隠し持っている所が、カラスの羽根の良い所です。



さてさて、この石を身に着けるとしたら12ミリ玉!と思ってよく買うお店を覗いたところ、10ミリまでしか売っていません・・・。

えー・・・(´・_・`)。

この石は絶対12ミリが良いと思っていたので、残念ですが購入を断念。

なので代わりになりそうな石はないかなぁとひと月かけて考えた結果、色の濃い目のグリーンエピドート イン クォーツにしよう!と思い、チェックしていた商品を購入しようとしたところ、なんと!販売期間終了で購入出来ず・・・。

またまた、えー・・・(´・_・`)。

この石じゃダメだったのか~、また探さないと、と思った翌日!

なんと!!!(◎_◎;)

いつものお店の新商品で!ヌーマイトの12ミリ玉が新入荷!!!

うお―!!!スーさんスゲ―――!!!

という訳でこちらを作りました。

f0351853_02154580.jpg

ヌーマイトの12ミリ玉とオリエンタルなイメージのシルバーのビーズの組み合わせです。

多分中国のものです。



本当はシルバーのロンデルを2個入れたいのですが、石が14個なのでバランスが取れないのです。

シルバーのビーズから4玉目と5玉目の間にすると、4・6・4の組み合わせでちょっとバランスが気持ち悪い。

5・4・5でもちょっと・・・。

だったら入れるなって感じですけど、ロンデルを入れないのは違うんです。

シルバーのビーズも取っちゃえば?って感じですが、それも違う。

1個増やしちゃいなよYOUって感じですが、それだとサイズの問題が・・・。

だったら他の石との組み合わせちゃえば?なんですけど、それだと絵から離れちゃうんで・・・。

なので、スーさんにこれも買いなさいと言われ購入した、ノルウェー産のヌーマイトの8ミリ玉のブレスレットを着けています。

どういうこっちゃ・・・(´・_・`)



本館ブログでは津和野の太鼓谷稲成神社の帰りに寄った鷲原八幡宮の画像特集です。

f0351853_02151406.jpg

国の重要文化財に指定されているすっごく素敵な神社なので、お時間がありましたら是非ご覧ください→画廊 musica 「津和野町 鷲原八幡宮 」

本殿の前に置いてある鏡の変色がなんとなくハートに見えて、ほっこりです。


◎・v・●・v・○・v・◎・v・●・v・○・v・◎


それでは本日も良い一日を~。

スーさん 「あの時は何故この様な行動をとったのだろう?と思う事があろう。それも守護の意思だ」





[PR]
by garoumusica | 2015-12-05 05:00 | つれづれ | Comments(0)
なんでこんな事になったのか分からないですが、本日もお稲荷さんの続きです。



とりあえず、昨日のラストに出て来た命婦神(みょうぶしん)の由来から調べていこうと思います。

命婦神は空海さんの弟子の書いた書物『稲荷流記』に出てきます。

その内容はと言いますと、



平安初期の弘仁年間(810~24)に平安京の北郊・船岡山の麓に棲む年老いた白狐の夫婦がおりました。

この狐夫婦はとても善良な狐で、いつも世の為人の為に尽くしたいと願っていました。

ですが獣の身であり、その願いを果たす事は出来ないでいました。

そんなある日の事、狐の老夫婦は五匹の子狐を伴って稲荷山に参拝します。

そしてこうお祈りをしました。

「本日より御社の眷属となり、神のお力を以てこの願いを果たしてください」

すると社が大きな音を立て、稲荷神の御神託が下りました。

「あなた達の願いを聞き入れました。只今よりこの社の仕者(仕える者。特に、神仏に仕える人や鳥獣)となり、参詣者や同じ信念を持つの仲間たちを助け、慈愛の心を以て接しなさい」

それからというもの狐の老夫婦は稲荷山に移り住み、信者の前に直接、あるいは夢の中などに間接的に姿を現して人々を導くようになり、人々の間で「告狐(つげぎつね)」と呼ばれるようになりましたとさ。



ちなみに夫狐は小薄(おすすき)、妻狐は阿古町(あこまち)という名前を稲荷神から授けられたのだとか。

はじめ、この夫婦は稲荷社の上社(一ノ峯)に夫狐、下社(三ノ峯)妻狐が仕えるようになっていたのだそうです。

が、その後の明応年間(1492~1501)に書かれた『遷宮記』によりますと、稲荷社の上社には夫狐、中社には黒烏(くろを)、下社には妻狐がを祀った末社があったとあるそうです。

更に妻狐の下社が移動となり現在の白狐社となったそうです。

こちらの文化遺産オンラインでご覧いただけます→伏見稲荷大社 白狐社

ちなみにこのお社の祭神は妻狐の阿古町さん、別名「命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)」のみになります。

上社と中社は現存しません・・・。

お社が無くなっちゃったのかー・・・。

黒いからすと書いてくろをさん。。。

一体どなたなのか気になりますね。



ところでこの老狐夫婦が元居た船岡山には建勲(けんくん)神社があり、その中にある稲荷命婦元宮は伏見稲荷大社命婦社の親神「船岡山の霊狐」を祀っているそうです。→建勲神社のホームページ

親神・・・。

船岡山の霊狐=老狐夫婦ですよねぇ?

親神って何でしょうね・・・。

元祖!とか発祥の地!的なアレですかね?

建勲神社は明治時代に作られた神社なのだそうですが、末社の義照稲荷社や稲荷命婦元宮は秦氏の守護神として古くからこの地にあったとか。

これは深草の秦氏ではなくて太秦に拠点を置いた秦氏の神社なのでしょうか。

色々ありますねぇ。。。



はい、という訳で本日も終わりませんでした。

絵を描きたいのにお稲荷さんが終わらない・・・。

f0351853_02585277.jpg


きつねっ子、渾身のアピール。


(゚д゚)ノ(´x`)ノ(゚_っ゚)ノ(・v・)ノ(゚∀゚)ノ (゚д゚)ノ


それでは本日も良い一日を!

スーさん 「急がば回れというであろう?週末は特に肝に銘じる様に」




[PR]
by garoumusica | 2015-12-04 05:00 | 神社巡り | Comments(2)
本日も昨日の記事の続きです。




本日は昨日の記事のラスト、「こんな感じで特に悪いイメージが見受けられない狐さん、空海さんによる荼吉尼天(だきにてん)の眷属(けんぞく)扱い問題により、ちょっとイメージが変わってきます。」から始めようと思ったのですが・・・、



スーさん 「まだ調べ足りないところがあるから記事を書く前にもう一度調べ直しなさい」

musica 「えー・・・」

ス 「知識はあるがあえて記事に書かなかったという事と知識が無かった為に書けなかったでは、記事にしなかったという事は共通点でも大分意味が違う」

m 「・・・」



という事で一から調べ直したところ、気がついていなかった事があったので本日はそちらを先にします。



昨日の記事に「伏見稲荷大社のある稲荷山(伊奈利山)には、秦氏がこの地に定住する前から伊奈利社は存在し信仰を集めていたという説もあるそうです。」と書いたのですが、そこをもうちょっと詳しく調べていきます。

伏見稲荷大社のある地域は深草と呼ばれていまして、そこに拠点を置いた秦氏は深草秦氏と呼ばれているようです。

秦氏って新羅経由で大陸から渡って来た時は1万人規模だったそうなのです。

だから秦氏由来の人達が全国津々浦々散らばっているので、深草に住みついた秦氏は深草秦氏みたいな呼び方をするようです。

で、この深草秦氏が伊奈利山の麓にある深草に住み着き、この辺り一帯を支配したのが5世紀前後とみられるそうです。



ですがこの地域には縄文時代から続くとみられる原住民が住み着いていたのだそうです。

実際弥生時代の遺跡も見つかっているのだとか。

つまり深草秦氏が深草の地に辿り着いた時、この地を治めていた豪族がいた訳です。

その人達が荷田氏(かだうじ)です。

もちろん先に伊奈利山の祭祀権を持っていたのは荷田さん。

ですが秦さんの圧倒的な力には及ばなかったようで、秦さんは711年に伊奈利山に神社を創建してしまいます。

古来の神社は今のように常設の社殿があった訳ではなく、祭祀を行う度に仮の屋代・神籬(ひもろぎ)を設けて神を祀り、終わると神のお帰りを待って取り壊していたのだとか。

まぁ、建てちゃった者勝ち?

昨日載せた山の神・田の神信仰っていうのは全国にあったようなので、伊奈利山の祭祀権を押さえ山の神・田の神信仰=伊奈利信仰の総本山、しかも秦氏の氏神!という伝承を作る事が出来れば、宗教を以て全国の民心を掌握する事も可能だったかもしれません。

秦氏は渡来人なので政治の中心に立つ事は不可能に近かったでしょうから、民心を掴んで政治を動かすという事を目論んでいたかもしれないですねぇ。。。

真相は分からないですけど。



5世紀前後に深草に入り、伊奈利山に神社を創ったのが711年。

この空白の時間に秦さんが荷田さんを制圧したのでしょうか・・・。

実際秦さんと荷田さんは不仲だったらしいんです。

まぁねぇ、荷田さんにとっては不愉快な存在でしょうねぇ。。。

現代でもありそうですよね、今まで地元の名士として知られちやほやされていた地主さんが、後から来た都会暮らしから田舎暮らしに転向した都会人の方に注目が集まり、更に自治会なんかでも権力まで持たれてしまって・・・、みたいな。

更には伊奈利社の役職配分に関して荷田さんは不遇を受けていたそうなのです。

なんでも伊奈利社の摂社である命婦社の統治しか与えられなかったようです。

命婦社・・・(´・_・`)

!!!(◎_◎;)

私が津和野の太鼓谷稲成神社でお社を写さなかったところですか!Σ(・□・;)

f0351853_01483704.jpg

こんな伏線があったとは・・・。

そして今日もまた記事が終わりませんでした。



m 「神社に連れて行かれたところから全て計画済み?」

ス 「フフフ」

m 「相変わらず手の平コロコロですねぇ、私・・・(´・_・`)」

ス 「そうじゃない、一心同体と言いなさい。これが守護される者と守護する者の関係だぞ?」


*::;;;;::*゚*::;;;;::*゚*::;;;;::*゚*::;;;;::*゚*::;;;;::*゚*::;;;;::*゚*::;;;;::*


それでは本日も良い一日を!


ス 「守護の者からのメッセージは大体の場合『なんとなく』という感覚の中にある」




[PR]
by garoumusica | 2015-12-03 05:00 | 神社巡り | Comments(0)
本日は昨日の記事の続きです。




昨日のラストの文章。

「諸説ありますが空海が古来からの稲荷信仰に荼吉尼信仰をこじつけて、荼吉尼法というのを行って狐神を稲荷と称して勧請したのが「稲荷=狐」の始まりなのだそうです。」を掘り下げてみたいと思います。



まず「古来からの稲荷信仰」というのを調べてみます。

古代には「春に山の神が里に降りてきて田の神となり、秋に収穫が終ると山に帰る」という信仰があったそうです。

で、狐には山と里を行き来するという習性があった為、狐を「田の神様」として扱っていたのが、後に狐が稲荷の使いとされるようになった、という事らしいです。

なんでも宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)の別名が御饌津神(みけつかみ)であり、みけつの「けつ」が狐の古名「けつ」に想起され、誤って「三狐神」と書かれしまったからだとか・・・。

えー・・・(´Д` )

まぁ伝承ってそんなものなのかも。。。

そういう事で、古代における狐に対するイメージというのは、「田の神の化身」だとか「神の御使い」という喜ばしいものだったのだそうです。



伏見稲荷大社のある稲荷山(伊奈利山)には、秦氏がこの地に定住する前から伊奈利社は存在し信仰を集めていたという説もあるそうです。

なんでも弥生時代からとか。

その頃は上に書いた「春に山の神が里に降りてきて田の神となり、秋に収穫が終ると山に帰る」という信仰を基にした儀式を行う場だったのでは?という事のようです。

後に秦氏が伊奈利山のある地域に定住し、伊奈利山の祭祀権を掌握。

更に空海の真言宗と結びつくことによって飛躍的に発展していったそうです。



さてさて、神の使いの狐とは別に「妖狐(ようこ)」という存在もいます。

平安時代初期(822年) に書かれた『日本現報善悪霊異記』(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)略して『日本霊異記』という奇跡や怪異についての話をまとめた書に、妖狐に関する話が載っているそうです。

(※ちなみに古事記が712年、日本書紀が720年、空海が唐から帰国したのが806年です。)

『日本霊異記』にある妖狐の話は「狐を妻(め)として子を生ましめし縁」(=「狐を妻にして子供を産ませた話」)というタイトルで、どんな話かというとまぁタイトル通りなのですが、



ある男の人が自分の細君(さいくん=妻)に相応しい人を探していたところ、広野の中で美しい女性に出会います。

男は女に声を掛け、家に連れて帰って祝言を上げ一緒に暮らす事になりました。

やがて細君は身ごもり一人の男の子を産み、同じ頃その家で飼っていた犬も子を生みます。

ところがこの犬の子がいつも細君にいきり立ってにらみつけ、牙をむき出しにして吠え立てるので細君はひどく怯え、良人(りょうじん=夫)に仔犬を殺すよう頼みますが良人は出来ませんでした。

そんなある日の事、犬に吠えられ咬みつかれそうになった細君は、驚いて正体を現し狐となって垣根の上に登ってしまいます。

そんな細君を見た良人、狐に戻った細君にこう言います。

「お前と私とは子供まで作った仲じゃないか。私はお前を忘れられない。せめて毎夜寝床に来て一緒に寝てはくれないか」

そして細君は毎夜良人の寝床に来るようになりました。

これにより、「来つ寝」=「きつね」となりましたとさ。



うーん、妖狐と言っても特に悪い印象は受けないですかね?

それに狐である奥さんを受け入れる旦那さん、懐が深いです。

それにしても日本人って、種族を超えた愛の物語って好きですよねぇ。

1193年経った今でも作られていますから。

ところでこの狐が人、特に女性に変化するというのは元々中国から移入された概念なのだそうです。

なのでこの話が古来から日本にあった話かどうかはちょっと疑問みたいです。



こんな感じで特に悪いイメージが見受けられない狐さん、空海さんによる荼吉尼天(だきにてん)の眷属(けんぞく)扱い問題により、ちょっとイメージが変わってきます。

長くなったので明日も続きます。

f0351853_23022853.jpg

うちのきつねっ子。


musica 「今日も終わらなかったです・・・」

スーさん 「良い勉強になろう」


*☆彡・.。*☆彡・.。*☆彡・.。*☆彡・.。*☆彡


それでは本日も良い一日を~。


おーくにさん 「昨日は昨日、今日は今日」

m 「どうしたんですか?」

お 「年末になると飲み会がちょっと・・・」

m 「いや、まだ年末は早いですよ」




[PR]
by garoumusica | 2015-12-02 05:00 | 神社巡り | Comments(2)

目に見えない厳ついおっさんと絵描きの会話。それから大変申し訳ありませんが、本サイト内の画像、写真の無断転載・転用を禁止させていただいております。


by musica