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本日も大国主命の検証です。

検証と言っても、坂本さんの本を読むだけなんですけど・・・。→出雲王朝の隠された秘密―浮かび上がる古代の神々と国のかたち




坂本さんは『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』以外に、『万葉集』に関しても調べられています。

Wikipediaによりますと、『万葉集』は7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた、日本に現存する最古の和歌集です。

天皇、貴族から下級官人、防人など、様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年以降とみられているそうです。

で、坂本さんはこの中に大国主やオホナムチを歌った歌があれば、それを歌った人の出身地や歌を詠んだ場所から、その当時大国主やオホナムチがどの地域の人々に知られていたか推測出来、そこから大国主やオホナムチの勢力の及んだ地域が分かる可能性がある、と推測されました。

は〜、賢いですねぇ〜〜〜。

発想が違います(`・ω・´)



で、万葉集には大国主が出てくる歌が6首あるそうなのです。

しかも!大国主名義ではなく、

オホナムチが出てくる歌が4首、

八千桙神(やちほこのかみ)が出てくる歌が2首なのだそうです。

『古事記』が出来たのが712年、『日本書紀』が出来たのが720年。

その前後に詠まれた歌が纏められた『万葉集』に大国主の名が一つも出てこないという事は、やはり『古事記』に編纂者が作り出した言葉か、あまり一般的ではない大国主という名をあえて使ったという事になる、との事です。

そして『古事記』『日本書紀』が完成した後も、その後しばらくは大国主という名は一般には広まらなかったようだ、と坂本さんは推測されています。

それに対し、『万葉集』ではオホナムチと八千桙神という名は『古事記』『日本書紀』の影響のない段階から使われていたのだとか。

その歌の関係する土地は、石見、筑前、紀伊

一方『古事記』にオホナムチ名義で出てきた場所は、出雲、伯耆、因幡、越

更に『播磨国風土記』にも、播磨と伊予の地名の起源になっているとの記載があるそうです。

纏めると、オホナムチの分布は、


出雲、石見、伯耆、因幡、越、播磨、伊予、紀伊、筑前


となります。

該当する国名のところをピンク色にしてみました。

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オホナムチさんの勢力圏?


ついでに出雲国風土記に載っている場所も書いてみました。

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これを見ると大穴持命の勢力が出雲西部に集中しているのが分かります。

懐かしの出雲古禰さん圏ですね。

出雲古禰さんと言えば、アレですわ。

スサノオさんの剣を天皇に取られた上に、殺されちゃった人ですよ!→古代氏族 古代出雲2大勢力編 その2 出雲古禰。

あらやだ偶ぜ〜ん☆

・・・今日はまぁめんどいんで、これ以上は突っ込みませんが・・・。



はい、ここでちょっと楽しい事をしましょう!

上の『出雲国風土記』の図に、ついでにスサノオさんとクシナダさんの登場場所も記入しましたので、それを見ていきましょう〜。



一番右側のオレンジ丸、意宇郡のスサノオさんから。

『出雲国風土記』にはこうあります。

安来郷(やすきごう)

神須佐之袁命(かんすさのおのみこと)が、国土の果てまで巡りなさった。
その時、ここに来なさっておっしゃられた事には、

「私の心は安らかになった」[原文…安平(やす)けくなりましぬ]

だから安来という。



真ん中の大原郡のスサノオさん。

佐世郷(させごう)

古老が伝えて言うには、須佐能袁命が佐世の木の葉を髪飾りにして踊りなさった時に、刺していた佐世の木の葉が地面に落ちた。

だから佐世という。



左のオレンジ丸、飯石郡のスサノオさん。

須佐郷(すさごう)

神須佐能袁命がおっしゃられた事には、

「この国は小さい国だが、国として良いところである。だから私の名前は、木や石にはつけまい」

とおっしゃられて、ご自分の御霊をここに鎮め置かれた。

そして大須佐田・小須佐田をお定になった。

だから須佐という。



ちなみに大須佐田・小須佐田というのは、須佐にあった大小の田んぼの事だそうです。

で、この須佐郷の解説によりますと、この話はスサノオさんの小規模な国造りの神話だという事です。

上記のように各地を巡行した末に、飯石郡の須佐郷に鎮座したのだとか。



で、ラストは、ピンク色の久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめのみこと)です。

熊谷郷

古老が伝えて言うには、久志伊奈太美等与麻奴良比売命が、妊娠して出産しようとなさる時に、産む場所をお求めになった。

その時にここに来ておっしゃられた事には、

「とても奥深い[原文…久々麻々志枳(くまくましき)]谷である」

とおっしゃられた。

だから熊谷という。



ここに出てくるなっがいクシナダさんのお名前、久志伊奈太美等与麻奴良比売命。

これはですね、

久志伊奈太美が神秘な御霊を持って稲田を見守る、

等与は豊かな、

麻奴良は真瓊(まぬ)で玉、「ら」は接尾語とすると、玉のような、になり、

トータルすると、

神秘な御霊を持って稲田を見守る、豊かな玉のような姫君

となるそうですw

も〜、スーさんどうする???

いいお嫁さん貰ったねw



はい、5時になったので纏めますと、『出雲国風土記』におけるスサノオ信仰は、須佐郷を拠点とした出雲地方の山間部に広がっていた可能性があるのだそうです。

『出雲国風土記』のスサノオさんは、素朴でおおらかな首長って感じですよね。

八岐大蛇退治のような華やかな出来事はありませんが、出雲国風土記のスサノオさんも良いですね///


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それでは本日も良い一日を~。

スーさん 「今日はひな祭り。桃の季節には少々早いが、今日は意識して花に触れなさい」

musica 「なんで?」

ス 「心が安らかになろう?」

m 「あ、出雲国風土記のセリフに合わせましたねw」


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by garoumusica | 2016-03-03 05:20 | 古代氏族 | Comments(4)
はい、本日も頑張ろう〜。

いつもの続きです。←適当になって来た。




時は和銅六年(713年)五月二日、次のような官命が出されました。


一、畿内七道諸国の郡・郷名に好い字をつける。

二、(一)郡内の所産の銀・銅・彩色・草木禽獣魚虫等の種類、(二)土地の肥沃、(三)山川原野の名の由来、(四)古老の伝える旧聞異事等を史籍に記して報告する。


一の好い字をつけるって、漢字を当て字してねって事でしょうね。

なんか面白いです。

畿内七道っていうのは、以前出雲国造の勉強した時に出てきたやつです。

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懐かしいですね・・・。


で、出雲国の郡はこんな感じでした。

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『出雲国風土記』には、天平五年(733)当時に出雲国を構成していた九郡が、

・意宇(おう)
・島根(しまね)
・秋鹿(あきか)
・楯縫(たてぬい)
・出雲(いずも)
・神門(かんど)
・飯石(いいし)
・仁多(にた)
・大原(おおはら)

の順で載っています。

なんでわざわざ順番を書いたかというと、一番初めの意宇郡の部分に「国譲り」のエピソードが出てくるからです。

まず意宇郡の総記があり、次に意宇郡にある郷(=さと)の場所とその名の由来について説明があります。

で、その意宇郡の郷の解説の初っ端に来るのが、母理郷(もりごう)。


『郡家の東南三十九里百九十歩の所にある。

所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の大穴持命(おおなむちのみこと)が、高志(こし)の八口(やぐち)を平定なさってお帰りになる時、長江山においでになっておっしゃられたことには、

「わたしが国作りをして治めている国は、皇御孫命(すめみまのみこと)が平和に世をお治めになるようお任せ申し上げる、ただ八雲立つ出雲国は、わたしが鎮座する国として、青く木の茂った山を垣の如く取り廻らし、玉の如く愛でに愛で正して守りましょう。」

とおっしゃられた。

だから文理という。神亀三年(726)に字を母理に改めた。』


ここがまず『古事記・日本書紀』とは違うところです。

『古事記・日本書紀』では記載の無かった、出雲国は自分が守るという言葉が載っています。

更には大国主さんの名前まで違う。



坂本さんの本によりますと、

『古事記』では、

大国主という名が16回
大穴牟遲(おほなむぢ)が9回
葦原色許男(あしはらしこを)が3回
八千矛(やちほこ)が2回

『日本書紀』では、

大己貴神、または大己貴命が21回
「一書にいう」という形で
大国主が2回
その他の呼び方が1回ずつ

なのだそうです。



が、『出雲国風土記』では大国主という名が一度も出てきません。

出てくるのは、
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)が20回
所造天下大神の大穴持命(おおなむちのみこと)が8回
その他として
大穴持命が1回
大神命が1回
大神大穴持命が1回

だそうです。

ちなみに所造天下大神は、国土を造った偉大な神、という意味だそうです。

なのですが、『出雲国風土記』では出雲国内の話に終始し、よその国の話は上記の国譲りに出てくる高志(=越)くらいです。

ちなみに越はどこだったかというと、

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濃いオレンジ丸のところです。

更に頑張ってこういうのも作ってみました(`・ω・´)

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手元の資料には8世紀の行政区分からしか載っていなかったので、8世紀です。

越はこの図では越前となっています。

越前の右横には越中・越後と続いていきます。



で、話が逸れましたが、以上の結果から大国主という名は地元出雲では使われていなかったと推測されます。

『日本書紀』においても「一書にいう」に2回出てくるのみなので、大国主という呼び方は『古事記』を編纂した者が作った名の可能性が高い、と推測されました、坂本さんが



更に坂本さんは面白い推測をされています。

『古事記』の各章を細分化し、①大国主と②大穴牟遲、③葦原色許男、④八千矛の登場回数を数えられています。

上巻-3 天照大神と須佐之男命の場面では、
①が11回、②が1回、③が1回、④が1回

上巻-4 大国主命の場面では
①が9回、②が8回、③が2回、④が1回

上巻-5 葦原中国の平定の場面では、
①が6回、②〜④が0回

上巻-6 邇邇藝命(ににぎのみこと)の場面では、
各0回

となっています。

以上の事から坂本さんが推測されたものは、

上巻-4 「大国主命」では様々な名前が登場し舞台も出雲・因幡・伯耆・越に及んでいる事から、『古事記』のこの部分は、これらの地の実際の伝承を取り入れた可能性が高い。

上巻-3「天照大神と須佐之男命」・5「葦原中国の平定」においては、ほぼ大国主しか使われていない事から創作された可能性が高い。

『日本書紀』においては、大己貴に統一するという方針が貫かれた可能性が高い、との事です。


明日も続きます。


☆・゜・*:.。.*.。.:*・☆・゜・*:.。.*.。.:*・☆・゜・*:.。.:*・☆


それでは本日も良い一日を~。

musica 「坂本さんの本、今回は普通に面白く読めました」

スーさん 「この氏族シリーズで勉強したおかげだね」

m 「はい。て言うか、まず出雲の勉強をさせておいて、それから七支刀に似た木を見せて物部氏の勉強をさせ、その過程でまた出雲に戻るって、すっごい手の平コロコロですね!」

ス 「これが守護の導きw」


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by garoumusica | 2016-03-02 05:04 | 古代氏族 | Comments(0)
はい、という訳で本日は出雲国造神賀詞の続きです。




出雲国造神賀詞に出てくると思われる神社を描いたものがこちらでした。

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で、私は勝手に神武天皇の宮を四方向から守護しているんだな、と思ったのです。

なんでまた国を譲らさせれた上に守護まで買って出たのか・・・。

磐余彦さんが出雲系の人と結婚したからでしょうか。

と思っていたのですが、古代の日本では前勢力(王権?)を倒して新しい国を造った時には、その殺害した前勢力の王を祀って新しい国を守護させる、という習慣があったのだそうです。

それは祟りを恐れてなのか、残っている前勢力の怒りを鎮める為なのかは分かりませんが。

残念ながら、この話のソースを忘れてしまったんです・・・。

自分としてもソースが分からなくてスッキリしないのですが、その風習が本当にあったのだとしたら、大国主一族は磐余彦勢に惨殺されたって事なんですかね?

だから白梼原宮を守護する様に祀られた。

という事を考えると、出雲国譲り神話はますます創作されたもの臭くなって来ました・・・。



スーさんがなんで出雲国造神賀詞を読めと言ったのか、その意図を考えてみると、やはり数日かけて見てきた神社の並びと、それらが守るもの、そして更にそれらの事実が示すものを知らせたかったのだろうなと。

私としてはスーさんっ子なんで、彼らの神話を否定する様な事をするのは嫌なんですけど・・・(´・ω・`)

つっくんとアマテラねぇちゃんのセリフを思い出します。

「なかなか酷な事をなさいますなぁ・・・」

「これが為政者というもの」



さてさて前回、出雲国造神賀詞の記事を書いた時に『出雲国造家にはちょっと異なる日本神話がありそう、見てみたいですねぇ』と書いたのです。

それに関して記事を書いた後にスーさんから助言を受けました。

その為の出雲国風土記だろう?と。

なるほど!

て言うか、記事にしてアップする前に教えて!(´Д` )



古事記の完成が712年。

全国に風土記の作成を指示したのが713年。

出雲国造が出雲神話に関してリベンジするならココですね!

そして出雲国風土記が完成したのは、なんと!733年!

20年の歳月がかかっています・・・!

気合が入ってますね。

きっと日本書紀(720年)の内容もチェックして書いたのでしょうねぇ・・・。

そう考えると、結構つまんない風土記が楽しく読める気がしてくるから不思議です。

風土について纏めただけの本ですから、結構つまんないんですよね・・・。

私が持っている風土記は島根県古代文化センターが編集されたもので、コラムとか解説などは読んでいてすっごく面白いのですけど、風土記そのものは結構つまんないです。→解説 出雲国風土記

ちなみに現存するよその地域の風土記で成立が分かるものは、常陸国風土記(ひたちのくにふどき)が721年、播磨国風土記(はりまのくにふどき)が715年、あるいは717年となっています。



さてさて、この風土記を見直していかなければいけないのかー、と溜息をついていましたところ、スーさんにこの本を読み直しなさいと言われた本があります。


これ、2年前に出雲旅行に行く前に読もうとしたのですが、当時は歴史に疎かったので読めなかった本なのです。

寝ちゃって・・・。

で、早速パラパラとめくってみましたら、なんと!坂本さんが出雲国風土記に出てくる神話について、分かりやすく纏めてらっしゃる・・・!

ラッキー!と思って、読もうとしているところです←読んでない。


明日は読んでると思います。

多分。


☆―(*´・∀・`)―☆―(´・∀・`*)―☆―(*´・∀・`)―☆―(´・∀・`*)―☆


それでは本日も良い一日を~。

スーさん 「本が読めない時、れは今読む時ではないという事だ」

musica 「知識がある程度ないと読めないものもありますもんね」

ス 「君の場合は時機ではなかったのだ。そして今がその時機だ」



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by garoumusica | 2016-03-01 05:05 | 古代氏族 | Comments(0)

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