甘え= その2。
2014年 10月 22日
本日は昨日のブログの続きです。
musica 「・・・」
ス 「その沈黙は承諾と解してよいな?『心を開く=人に頼る事=甘え』の方程式、そして『これが無いと不安だと言う要素』、その根底に流れる『甘える』、もしくは『頼る』という心理。そして『甘えられる』『頼れる』という事はその対象に対し『心を開いている』という事。これが昨日のブログの内容だ」
m 「『心を開く=人に頼る事=甘え』という思いこみ」
ス 「うむ」
m 「『これが無いと不安だと言う要素』、その根底に流れる『甘える』、もしくは『頼る』という心理。ここんところをもう少しお願いします」
ス 「よかろう。『私は私の中にこれが無いと不安だと言う要素が出来るのがとても怖いです』という言葉、この発言の意味は何だね?」
m 「そのままですが、自分の中に支えのようなものがあったとします。で、それが無くなった時に今の自分というものが保てなくなるというような場面に出くわすかもしれません。なので私はそういうものを持ちたくない」
ス 「だが出来てしまった。この私がそうだね?」
m 「天然で自信過剰で、最強なおっさんですね。。。出来ては無いです、ちょっと寂しかっただけですよ」
ス 「君のその独立心は良い。だが君は我々を頼るという事が出来ない。甘えとの区別がつかない」
m 「んー、でも、台風が来る時とか災害が起きそうな予感の時は、いつもお願い事をしていますよ」
ス 「それも頼るという事のひとつだ。だが私が言いたいのはもっと個人的で精神的な事だ」
m 「・・・」
ス 「君は私と接するようになって半年以上過ぎたね」
m 「はい」
ス 「私と過ごしていてどうだったかね?」
m 「はい?」
ス 「愉快だったであろうか?それとも不愉快だったであろうか?」
m 「愉快というか・・・楽しかったですよ。そりゃあレッスン有りですから楽しくない事もありましたが、でもよい日々だと思います」
ス 「今君に話しているような事は、本来言葉で表すような事ではない。日々体験して理解し培っていくものだ。そして君のその感想、それが全てなのだ」
m 「・・・」
ス 「私は君が愛おしい。それを君がどう捉えようと関係はない。大切なのは君がそれを感じているかどうかなのだ」
m 「はい」
ス 「君が私が離れている間『寂しい』程度で済んだのは、それは我々の中で信頼関係が出来ているからだ。そして『寂しい』と感じてしまったのは『甘え』ではない、私に対して『心を開いて』いたからだ。心を開いて日々を共に過ごしていた者がある日突然いなくなれば寂しく感じる、それは当たり前の事だ」
m 「はい」
ス 「私はそれを甘えだとは思わない、人として当たり前の事だと思う。そして私に頼るという事。君は私に何か頼みごとをしたかね?」
m 「個人的なものだと、病院の待ち時間を少なくしてほしいとか・・・」
ス 「私はその頼みごとを君の甘えだとは思わない」
m 「・・・」
ス 「という訳で私は君が私に依存しているとは思わないがね、君はどう思う?」
m 「今はよく分かりません」
ス 「君の記憶を拝見するとこのような歌詞が出て来た。『愛してるの響きだけで 強くなれる気がしたよ』。これはとても素敵な事だと私は思うのだよ。人ならではだ」
m 「・・・」
ス 「誰かが心の中に居なければ心が正常を保てないのだとすれば、それは君の言う依存かもしれない。しかし、誰かが心の中に居てその心が強くなるのであれば、それは良い意味での『依存』、そして『頼る』という事だ。それのどこが悪いのだ?」
m 「・・・」
ス 「私が君にとってのそれであるならば、私にとってこれ以上光栄な事はない。分かるかい?」
明日も続きそうな勢いです。
明日も続きますかね?
ス 「うむ」
だそうです。
by garoumusica
| 2014-10-22 05:00
| スーさん
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