夫婦というもの 古事記のスーさんの場合 その3。
2015年 01月 31日
本日で夫婦シリーズは一応ラストです。




そしてテキストはこちら!→人生が変わる古事記
スーさん 「さて、次の章へ移る。クシナダヒメと新しい生活を始める為に土地を見て回っていた所からだ」
musica 「はい」
『クシナダヒメが住み慣れた場所がいいと思ったのかはわかりませんが、スサノヲは出雲の地で新しく暮らす場所を探しました。前節のスサノヲの変わりぶりも驚きでしたが、ついにここまでアットホームな男に変わったのです』
『「ここに来たら、気分がスガスガしいなぁ」と言ったから、その地名が須賀になったとか。スサノヲよ、そんなおやじギャグを言ってどうした、とこちらが心配になるほどの変わりっぷりです』

~あなたが清々しいと言ったから、ここは須賀になりました~
m 「・・・」
ス 「・・・」
m 「・・・思う事は皆同じ・・・」(稲ちゃんもそう言ってました。→稲ちゃんの神社。)
ス 「次の文が大切なのだ」
『守るべき、大切なものができると男はここまで変わります』
ス 「人は愛で変わるのだ」
m 「はいはい」
『結婚したスサノヲは歌も詠みます』
m 「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
ス 「君に詠んでもらえるとは、感慨深いな」
m 「私この和歌、世の中の和歌の中で一番好きです」(←とパソコンで記入した途端、目の前に丸が広がりましたwスーさんよwww)
ス 「『幾重もの雲が天へと上ろうとしていく わき出でる雲は幾重もの堀をなしていくようだ 愛しき妻の住まう我が家にあの雲のような堀垣を作り君を守り続けよう あの素晴らしい八重垣を』」
m 「フフフw」
ス 「君、昨年行った出雲の画像を載せてごらん。わき出でる雲を見ていただこう」
m 「はい」



ス 「古事記の稲田姫はスサノヲと出会うまで、七人もの姉が毎年一人ずつ八岐大蛇の餌食となってきた。一人、また一人と姉が殺されていき、自分の死を告げるその足音が近づくのを聞く稲田姫の恐怖はいかばかりのものであろうか?
彼女の心の奥深くに根付いた恐怖を和らげる為に、また、もう二度とそのような思いを彼女に味あわせない、そして私は君を永遠に護り続ける、というスサノヲ自身の誓いも込めて八岐大蛇の首の数に合わせ八重垣を造ったのだ」
m 「古事記バージョンのスーさん、カッコいいですね・・・」
ス 「古事記バージョンの・・・?・・・自分が自分がと我を前面に出していたスサノヲが、稲田姫に出会い、恋をし、相手の心を思いやり気遣う事の出来る男へと成長し、我を取り除き、そして真の神へと成長していったのだ。初めの頃に君に話した内容は、実は自分自身への戒めでもあるのだよ」リンク→スーさんの講義。
『暴力から平和へ、スサノヲは大きく成長しました。フツーの女クシナダヒメが、スサノヲの荒んだ心を変えたのです』
『理想の恋や結婚ってなんでしょうか。その答えは案外、「フツー」なのかもしれません。別に特別な何かは要らないのです。なぜなら特別にするのは、お互い自身なのですから』
m 「・・・あれ?」
ス 「フフフ、気が付いたかね?」
m 「これってちょっと前の記事に書いたのと似てる・・・」
自分のブログを検索。
m 「あ!このシリーズの一番初めのやつじゃん!」
リンク→夫婦というもの。
ス 「『何の変哲も無い日々を共に過ごし、そして振り返ればそれが特別で幸せな思い出となっている。それが夫婦というものだ』」
m 「特別にするのはお互い自身・・・」
ス 「そういう事だ」
m 「そういう事か。それにしても一番初めに答えを示しておくなんて」
ス 「流石はスーさん、であろう?」
m 「どうでしょ〜?www」
ス 「つれないものだ・・・」
m 「ふふふ。流石でございます、スーさん」
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by garoumusica
| 2015-01-31 05:00
| スーさん
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