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古代氏族物部氏 その15 実権を握っていたのは磯城?の巻。

はい、という訳で、本日二度目の別館 画廊musicaです。

あー、めんどい、おっさんに却下された記事だって、1時間半もかけて書いたのに(´Д`)

その記事を訂正しながら書かなきゃいけないんでしょ?

しかもそれをしたら明日の記事も書かなきゃなんでしょ・・・?

・・・(´・ω・`)。

はー・・・(;´д`)=3




はい、以前こういう↓記事を書きました。

天孫降臨をした天皇家の祖の瓊瓊杵命は、須佐之男命と天照大神が誓約をした時に須佐之男命が初めに生み出した子な訳です。

で、大国主に懐柔された天穂日命は、誓約の際に二番目に須佐之男命が生み出した神であり、出雲国造の祖な訳です。

そして大国主須佐之男命の子供だとかだとか言われている訳です。



前回はこれ↓でした。

初代天皇である磐余彦さんの奥さんの媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)は大物主・もしくは事代主の娘

2代綏靖(すいぜい)天皇の奥さんの五十鈴依媛(いすずよりひめ)は事代主の娘

3代安寧(あんねい)天皇の奥さんは『日本書紀』では渟名底仲媛(ぬなそこなかつひめ)は、事代主の子・鴨王の娘

4代懿徳(いとく)天皇の奥さんは『日本書紀』では天豊津媛(あまとよつひめ)で、息石耳命(おきそみみのみこと)の娘

息石耳命は第3代安寧天皇の第一皇子で、もちろん母は皇后の渟名底仲媛で事代主の子・鴨王の娘

出雲系統のお姫さんを天皇家が娶っている、という内容でした。



これらを考えると、すわ!出雲王国強し!って感じですが、そうは問屋が卸しません。

2代綏靖天皇の奥さんは『日本書紀』第1の一書では磯城県主の娘の川派媛(かわまたひめ)、第2の一書では春日県主(磯城県主の後の名称)の女の糸織媛(いとおりひめ)、『古事記』では師木県主の祖の河俣毘売(かわまたびめ)となっています。

3代安寧天皇の尊号は『日本書紀』では「磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)」、『古事記』では「師木津日子玉手見命」。

奥さんは『日本書紀』第1の一書では磯城県主葉江の娘の川津媛、第2の一書では大間宿禰の娘の糸井媛とし、『古事記』では師木県主波延(河俣毘売の兄)の娘の阿久斗比売(あくとひめ)となっています。

そして4代懿徳天皇の奥さんは『日本書紀』第1の一書では猪手(磯城県主葉江の弟)の娘の泉媛、第2の一書では磯城県主太真稚彦の娘の飯日媛とし、『古事記』では師木県主の祖の賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめ、亦名を飯日比売命)です。

なんだなんだ、この磯城県主の羅列は・・・。

5代目以降も磯城県主の娘やその周辺の豪族の娘さんを娶っています。

なので純粋に出雲系と言われているのは神武天皇の奥さんの媛蹈鞴五十鈴媛だけになるようです。



ところで県主(あがたぬし)って何かと言うと、そういう役職です。

ヤマト王権への忠誠度が高く、ヤマト王権の代権者としてその地方を治めたのが県主。

その第一号?が磯城県主です。

初代磯城県主は神武東遷の時に忍坂(おさか・おしさか)で戦った磯城兄弟の弟です。

古代氏族物部氏 その15 実権を握っていたのは磯城?の巻。_f0351853_01423039.jpg

「0」のところです。

以前記事にした時のこの図の解説で、私はこう書いていました。

・大和国磯城の豪族・磯城兄弟に遭遇→戦います。

・再び八咫烏を送りますが、兄磯城(えしき)さんは拒絶し惨殺、弟磯城さんは恭順します。

以上ですがまぁ、私の性格(めんどくさがり屋)が良く表れてますねぇ・・・。

で、この磯城県主は『先代旧事本紀』によると、饒速日命の末裔で、物部氏と同族なのだそうです。

やっと物部氏に戻って参りました(`・ω・´)+

と言ってもまぁ、良く調べてないのでここまでしか書けないのですが。



さてさて、こうなると気になるのが磯城な訳です。

磯城は今で言うところの天理市の一部桜井市の大部分宇陀市の一部磯城郡の一部なのだそうです。→google maps

で、なんで磯城県主の娘をこんなにも娶ったのかと考えれば、当時の前ヤマト王権(邪馬台国?)の実権を握っていたのが磯城だったから、としか考えられないのです。

実権を持った土着の首長から女性をもらう事で王権を安定させようとした、という感じです。

ちなみに当時の邪馬台国は連合国だったと言われています。



さてさて、そうなると大物主とか事代主はどうなってしまうのか。。。

やっぱり出雲のオオナムジさん≠三輪の大物主という事で、出雲神話に関する神々は関係ない?

出雲神話はヤマトの地にあったという邪馬台国隠しの為に創られただけ、と考えた方が自然・・・。

などと思っていたところ、大和誕生と神々―三輪山のむかしばなしという本にこの様な記述を発見しました。

「ミムロ山と耳成山を結ぶ地域は磯城・十市と呼ばれる以前は出雲だった」


えー・・・。

そう言えば桜井市にも出雲って場所がありますよね。→google maps 桜井市出雲

島根の出雲と奈良の出雲、どっちが先なのか!?


というところで明日に続きます。



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by garoumusica | 2016-03-21 21:00 | 古代氏族 | Comments(0)

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