由岐神社編 その3。~あさきゆめみし 京を巡る旅~
2016年 11月 03日
本日で由岐神社編、ラストです。
私、これを読んで気になったんですけど、『御所内に祀られていら祭神をこの地に勧請した』とあるのですが、天皇さんは大己貴命を御所に祀ってたんですか?
出雲の神を?自分のお家に?
天皇家って昔、出雲の神の祟りを恐れていたじゃないですか。
それなのに出雲の神を祀るのでしょうか?
1回目の祟りは第十代崇神天皇の時でしたから、この時にはもうそういう意識は薄れていたって事かな。
整理します(`・ω・´)+
鞍馬寺は、寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起(あんばがいじえんぎ)』によると、鑑真の高弟・鑑禎が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりとしています。
他には『日本後紀』によると、延暦15年(796年)東寺の造営の任に当たっていた藤原伊勢人の夢に、貴船神社の神が現れ鞍馬寺を建立するよう託宣したとの事です。
鞍馬寺と言えば源義経ですが、その義経さんは藤原氏を頼って鞍馬寺へ身を隠した訳だから、鞍馬寺は藤原氏のお寺のひとつなのでしょう。
で、その地に由岐神社を建てた朱雀天皇。
朱雀天皇のお母さんは藤原基経の娘、中宮藤原穏子。
そのお父さんの醍醐天皇のお母さんも、内大臣藤原高藤の女藤原胤子。
藤原氏の方々ですねぇ。
藤原氏の方は出雲系の神を宮内に抵抗が無かったのでしょうかね?
藤原氏は元々中臣氏でしたから、祖神は天児屋命(あめのこやねのみこと)。
天児屋命は岩戸隠れの際に岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した神様で、天孫降臨の際にニニギさんと共に来られた方です。
そして藤原氏になった時に守護神を武甕槌命と経津主命に改めます。
この二人は出雲の国譲りを迫った神様です。
うーーーん、どういうこっちゃ???
よく分からないままですが、由岐神社を建てた朱雀天皇の時代は、可哀想なくらい天変地異が起きています。
て言うかまず、朱雀天皇が即位したきっかけは、お父さんである醍醐天皇が菅原道真の怨霊を恐れたからです。
地震あり、洪水あり、そしてなんと!富士山まで噴火まで!!!
更には平将門の乱、承平天慶の乱などの反乱も起きています。
可哀想な事に、昔は世の中が落ち着かないのは天皇の行いが悪いから、っていう考え方だったようです。
それでまぁ神頼みを色々としたみたいです。
色々とする事によって民衆の不満を抑える効果もあったようですし・・・。
その中のひとつが由岐神社。
京の都からかなり離れた山奥に大己貴命と少彦名命を祀ります。
祀るんだから天変地異を抑えてよ?と。
で、天変地異が収まらなかった時には、天皇が悪いのではない、抑えられなかった神が悪いのだ、となるのだそうです。
あー、だから天皇家とあまり縁のなさそうな出雲の神を祀ったのかもしれないですねぇ・・・(´・ω・`)。
ちなみに由岐神社の名前の由来は、遷宮にあたって矢を入れる靫(ゆぎ)を奉納したところから、靫(ゆき)神社と命名されたのだそうです。
靫(ゆぎ)を神事に用いるのは厄除けの為だそうです。
本来は斎木(ゆぎ:神前に供える常磐木 (ときわぎ) 。サカキの一種)を用いて結界を構築するのだそうですが、同音の為に靫を用いるようになったのだとか。
それに靫だと軍事的な意味がそこに加わるそうです。
朱雀天皇は天変地異を鎮める為だけではなく、政治的な平定も大国主さんにお祈りしたって事ですかね・・・。
そんな朱雀天皇は8歳で即位し24歳の若さで村上天皇に譲位、そして30歳で崩御。
由岐神社が造営されたのは朱雀天皇が17歳の時でした。
17歳で神社を造営しなければいけない程、色々な事が起きたって・・・。
なんだか気の毒ですね。
きっとおーくにさんも同じ様に思われたんじゃないかなって思います。
神社を造営された理由がどんなものであっても。
という事で、由岐神社編はしゅーりょ~~~。
☆追記☆
過去に祟りを起こした前例があるからこそ、天変地異が祟りと取られ、出雲神が祀られたのかもしれないぞ?と・・・。
まぁ、そういう考えもあるかも?という事で。
|・ω・)ノ[終]|・ω・)ノ[終]|・ω・)ノ[終]|・ω・)ノ[終]|・ω・)ノ[終]
それでは本日も良い一日を~。
スーさん 「鞍馬山はどうだったかね?」
musica 「結局時間の関係で由岐神社しか廻れませんでしたが」
ス 「君は一人だとのんびりし過ぎだ」
m 「誰かと一緒だと待たせちゃいけないってなるんですけどね~」
ス 「私が一緒なんだけどね」
m 「スーさんは例外!で、由岐神社しか廻れませんでしたが、不思議と身体が楽になる場所でした」
ス 「鞍馬天狗には逢えたかい?」
m 「分かりませんでした~~~。でも次に行く時は上まで行きますので、その時に元気になる秘密を見つけたいですね」
ス 「その為には体力作りが必要だ。旅を終えてからサボっている運動を再開しなさい」
m 「あー・・・」
由岐神社です。
結構こじんまりとした印象です。
この日は神職の方がお掃除をされていました。
数日後に鞍馬の火祭が控えていたからでしょうか?
斜めから。
外国の方がパシャパシャ写真を撮ってました。
確かに面白い造りなのです。
横。
屋根の前面がビローンて伸びています。
参拝する人が濡れないように設計されているのでしょうか?
そして狛犬もかわいい・・・。
ムフーって感じの表情。
そしてこの狛犬の特徴は子供を抱いている所。
ボディ真ん中辺にある丸い何かは子供の狛犬の顔です。
アップ。
狛犬の手が優しい・・・。
阿形の狛犬。
ワホーって感じです。
これらの狛犬は実はレプリカなのだそうです。
本物はもう少し小さくて本殿に飾られているとか。
宋で作られる獅子の造りに似ている事から、「宋風獅子」と呼ばれているそうです。
さてさて、本殿の左奥にあるのが三宝荒神社。
かまどの神様、荒神さんです。
いつもうちの台所がお世話になってます~。
三宝荒神社の側にある火難除けの御神水。
外国の人が座っていたので、近くで撮れませんでした・・・。
さてさて、由岐神社の祭神は大己貴命と少彦名命、相殿に八所大明神。
八所大明神て言うのは諸説あるそうですが、天照大神と須佐之男命が誓約をした際に生まれた五男三女神の八柱とも言われているそうです。
他には沢山の神と言う意味ではないか、とか色々あるようです。
再び由緒書き。
by garoumusica
| 2016-11-03 05:00
| あさきゆめみし 京を巡る旅
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