日御碕神社編 その4 ~八雲立つ 秋の出雲神話を巡る旅~

はい、本日も日御碕神社編です。




昨日は摂社の門客人社(かどまろうどしゃ)って一体なんだ!?で終わっていましたので、そこから始めます。

門客人社に祀られているのは、門神と客人神(まろうどがみ)と言われる神様なのだそうです。

門神は賀茂別雷神社編で一度出て来られました。→賀茂別雷神社編 その4。~あさきゆめみし 京を巡る旅~

その時の記事ではこんな事を書いています。

『棚尾神社です。

祭神は櫛石窓神(くしいわまどのかみ)と豊石窓神(とよいわまどのかみ)。

初めての神様ですね・・・。

門神だそうです。

その名の通り門を護る神様で、邇邇芸命の天孫降臨の際に門の守護の為に降臨されたそうです。』



で、客人神ですが、コトバンクによると「土着の神ではなく、その社会の外から来訪してその土地にまつられた神」の事だそうです。

土着の神ではないとすると、交易に来ていた日本国内ではあるけどよそのクニの神とか?

交易に来ていた外国の人が信仰する神とか?

そんな感じでしょうか。

もうちょっと詳しい内容のコトバンクにはこんな感じで書いてありました。

「神社の主神に対してほぼ対等かやや低い地位にあり,しかしまだ完全に従属はしていないというあいまいな関係にある神格で,その土地に定着してから比較的時間の浅い段階の状況を示している。

ふつう神社の境内に祀られている境内社には,摂社と末社とがある。

摂社には主神と縁故関係が深い神が祀られており,末社は主神に従属する小祠である場合が多い。

客神の場合はこの両者とも異なり,主神の祀られている拝殿の一隅に祀られたり,〈門(かど)客神〉と称され随神のような所にまつられ,まだ独立の祠をもっていない事が特徴である」

なるほど・・・。

でもこちらの門神様は立派なお社ですね!

ちなみに楼門や他の社殿と同時に建立され、国の重要文化財に指定されています。

ではもう一度。

右手側と、

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左手側です。

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で、まずはスーさんの祀られている神の宮へ。

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楼門をくぐると右に神の宮へと続く廻廊が有るのですが、工事中で・・・。

こちらからお参りします。

それにしても松の木が立派ですねぇ・・・。



やほー。

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立派な建物です。

主祭神は須佐之男命。

相殿は宗像三女神である田心姫(たこりびめ)、湍津姫(たぎつひめ)、厳島姫(いちきしまひめ)。

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出雲の国造りを果たした須佐之男命は、根の国の熊成峰に登ると柏の葉を投げ、自らの神魂が鎮まる場所を占います。

すると柏の葉は「隠ヶ丘」に止まり、須佐之男命はそこに祀られる事となりました。

そして安寧天皇13年に勅命で現在の日御碕神社の場所に遷座されたのだそうです。

この隠ヶ丘の伝説の出典というか出所が分かんないんですよね。

出雲国風土記にも載っていないですし。

やっぱり社伝なのかな。



彫刻がかわいい。

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日御碕神社が今の様な形になったのは、徳川三代将軍家光公の命を受けてからです。

日光東照宮建立の翌年、寛永十四年より幕府直轄工事として着工され、七年の歳月をかけて建てられたのだそうです。

日光東照宮・・・。

あの日光彫の小引き出しの技術ですね!

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雨が降っていたのであんまり画像に残していませんが、確かに日光東照宮ばりに美しい彫刻に溢れた神社でした。



元々は経島や隠ヶ丘と言った、わたし的にはスーさんとは関係無さそうなお墓とか産土神的なお社が、何でまたこんなに立派になったのか。

ポイントは徳川三代将軍家光公の命を受け、日光東照宮建立の翌年から幕府直轄工事として着工されたという所。

日光東照宮って江戸の鬼門・北東にあたる場所です。

つまり、徳川家光は鬼門封じの為に東照宮を造ったと言われているそうです。

そんな東照宮が完成した翌年、江戸城の西の方角に当たる日御碕に神社を造って江戸の護りとしたのではないか?と言うような説もあります。

フーン、って感じですけど、東照宮完成の翌年って言うのを聞くと、さもありなんって思えちゃいますね!



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それでは本日も良い一日を~。


musica 「こういうのってやっぱり調べると面白いですよね」

スーさん 「調べても覚えておかないと。我が娘の事も忘れおって」

m 「すっかり忘れていました。物部氏を調べた時に知ったようです。当時の記事にはこの様に書いていました。

『阿遅鋤高日子根神は大国主と田心姫(たこりひめ)の間に出来た子だそうです。

あーもう、田心姫って須佐之男命と天照大神の誓約で生まれた子じゃん・・・。

腹違いの姉(一説による)との子かよ、おーくにさん・・・。

正妻も須佐之男命の娘の須世理姫なのに・・・。

まぁ、以前何かで調べましたけど、古代は母が違えば結婚して良かったとの事なので・・・。

それでもおーくにさんの節操の無さ、溜息モノですね( ;´Д`)』」

ス 「この時も色男君の節操無さに呆れているね」

m 「呆れちゃいますよね・・・」

おーくにさん 「・・・」






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by garoumusica | 2017-10-13 05:00 | 八雲立つ 出雲神話を巡る旅 | Comments(0)

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